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地域だより[1999年9月]

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最終更新日:2010年3月6日

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地域だより
[1999年9月]
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名古屋事務所



○ハリヨと梅園─地域社会への取り組み─

 皆さんは「ハリヨ」(針魚)をご存知ですか。ハリヨは環境庁が絶滅危ぐ種に指定しているトゲウオ科の淡水魚で、全長5〜6センチ、全体が黒っぽく一部が赤い、針をもった魚である。日本では岐阜県養老町周辺と滋賀県坂田郡米原町の醒ケ井(さめがい)付近の湧き水のある所だけに生息する大変珍しい魚である。
 このハリヨが、岐阜県海津郡南濃町の中日本氷糖(14)南濃梅園内の湧水池で保護されている。ハリヨを保護するきっかけは、NHKのテレビ「生き物地球紀行」で梅園脇の小さな湧き水の出る池とハリヨが放映され、埋め立てなどで絶滅に瀕していると報じられたことであった。早速、社内で検討し保護することを決め、ハリヨの生活条件に適応した、人の手を加えない自然のままの状態の池を整備し、平成9年にはハリヨの親を放流した結果、今では千匹以上に増えているとのことである。
 一方梅園は、昭和61年から平成7年まで毎年50〜100本の梅の苗木を植えてきたもので、今では約1万坪の園内に約500本が育ち見事な梅園となっている。品種は南高が8割、古城(こじろ)が1割、残りが地元種となっている。また収穫された梅は、安価で周辺の人に分けたり、梅酒、梅シロップ作り教室に提供され消費者に大変喜ばれている。  ここで紹介したハリヨの生息する湧水池や梅園は、誰でも自由に出入りすることができ、秋になると渡り鳥もやってきて、野鳥を観察する人たちを楽しませてくれる。  なお、同社では「自然環境を守るため梅園を維持管理し、ハリヨを保護することで、今後も地域に密着した活動を続けていきたい」とのことである。
南濃梅園脇の湧水池
南濃梅園脇の湧水池
ハリヨ
ハリヨ
(朝日百科:動物たちの地球4魚類より)

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大阪事務所



○砂糖がつなぐ夢の架け橋1,500キロ!
「第1回石垣市・上板町観光物産友好交流フェア」の開催

 平成11年7月17日(土)〜22日(木)の6日間、徳島県板野郡上板町にあるテーマセンター「技の館」において、「第1回石垣市・上板町観光物産友好交流フェア」が開催された。
 「技の館」については、阿波和三盆糖関連の展示施設を有するテーマセンターとして本誌2月号で紹介したが、今回砂糖が取り持つ縁で、1,500キロ離れた沖縄県石垣市との観光物産交流フェアが同所で実現した。
 石垣市のある八重山地方と砂糖との関わりはかなり古くからあったと推定され、既に15世紀半ばには製糖が行われていたという説もある。近代になって、明治14(1881)年1月、沖縄県庁から製糖用さとうきび3株が送付され、2坪の畑地に試植したのが八重山における製糖用さとうきび作りの始まりとされているが、西洋式農具を用いたさとうきび作りや、蒸気器機等を装置した製糖工場など八重山において近代式糖業を初めて試みたのは、徳島県人の中川虎之助(1859〜1926)であった。
 虎之助は、安政6(1859)年阿波板野郡神宅(かんやけ)村(現在の徳島県板野郡上板町神宅)の豪農に生まれた。家は代々農業の他、製糖や酒造を営んでいたが、明治10年頃から、外国産砂糖の輸入量が次第に増大し、中川家のように旧来の伝統的和式製糖法によって砂糖を生産する国内の業者は大きな打撃を受け、経営不振を続けていた。
 明治14(1881)年、東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に、虎之助が自家生産の三盆糖を出品した際、沖縄から出品されていた大きなさとうきびを見て、虎之助はさとうきび栽培から砂糖製造まで石垣島で一貫生産することにより、糖度が高く、かつ、安価な原料によって砂糖を大量生産して輸入糖に対抗することを思い立った。
 明治15(1882)年3月、虎之助は沖縄本島及び八重山群島の石垣島を視察し、その後明治26(1893)年許可を得て石垣島(名蔵地区)の開墾に着手、明治28(1895)年1月に八重山糖業(14)を設立し、製糖事業を開始した。
 同社は、新式の機械を設置しようとした矢先、明治30(1897)年11月3日と、翌31(1898)年6月14日の2回にわたり襲来した台風によって工場の建物等に大きな被害を受け、日清戦争後の金融逼迫も重なって、明治32(1899)年事業中止を余儀なくされ、結局明治35(1902)年解散したが、虎之助の試みた製糖技術は現地の人たちに受け継がれ、今日の石垣市における糖業の礎となっている。
 平成2(1990)年5月に石垣市の郷土史家、西表信氏が中川虎之助伝執筆のため中川家を訪れ、さらに、同年11月、中川家から虎之助が石垣島開拓に使用した農機具を石垣市へ寄贈したことを契機として、石垣市と上板町の友好の機運が高まっていった。平成7(1995)年には両自治体が友好都市に関する「親書」の交換、平成8(1996)年には石垣市長が上板町を訪問するなど、着実に交流が進み、今回のフェアが初の公式交流行事となった。
 フェアの概要は、以下のとおりである。

●テーマコーナー
 中川虎之助活動の足跡をたどる年表など、両都市交流の歴史的経緯を示したパネル展示などを通じて、イベント全体を説明

●観光コーナー
 八重山諸島の観光スポットをプロモーションビデオ等で紹介

●物産展示即売コーナー
 波照間島産の黒砂糖、パイナップル、マンゴーなどの食品や、ミンサー織、上布などの工芸品をはじめとする八重山諸島の特産品を展示即売

●郷土料理体験コーナー
 コーヤー(ニガウリ)のチャンプルー(豆腐、豚肉などを入れた炒め料理)やサーターアンダーギー(小麦粉、卵、黒糖、牛乳を使った揚げ菓子)など八重山諸島の食材を使った郷土料理を実演、試食

●郷土芸能コーナー
 石垣市と上板町の郷土芸能の交流ゾーン。7月18日と20日には八重山民俗舞踏が披露された。

 なお、このフェアには6日間通じて約1万5千人が訪れ、物産展示即売コーナーにおいては、予定販売量が早々に売り切れとなり、急きょ石垣市から追加分を空輸して販売した品物もあり、人気は上々であった。
 両市町によると、平成12年を目途に姉妹都市提携の調印を目指しているが、今後行政レベルだけでなく、一般市、町民による幅広い交流を目指したいとしている。
石垣市の物産展示即売石垣市の物産展示即売 農機具(砕土機)中川家から石垣市へ寄贈されたものと同型の農機具(砕土機)

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○豊見城村「ウージ染め展」の開催

 沖縄県豊見城村(とみぐすくそん)の「ウージ染め」については、既に本誌(98年8月号)に紹介されているが、このウージ染めの作品展が7月21日〜26日の間、丸善岡山店で開催された。この展示会は、販路拡大事業として平成9年から行ってきており、丸善の各店で開催されている。
 「ウージ染め」とは、さとうきび(沖縄の方言とウージという。)の葉と穂を使った草木染めのことで、糸を染めて織ったもの(先染)と布地を染めたもの(後染)がある。黄金色、黄緑色、薄緑色をはじめとする自然色を生かした独特の美しい色合いが特徴で、麻、絹、木綿の天然素材をベースとしてタペストリー、のれん、テーブルセンター、シャツ、ネクタイ、ハンカチ、袋物などの展示や販売が行われ、来場者の関心を集めていた。
 「ウージ染め」は、平成元年に豊見城村の村おこし事業で開発されたもので、平成6年に豊見城村ウージ染め協同組合が設立された。これまでに展示会やイベント等で注目され、商品としても高く評価されたことから、同組合は国、県の補助事業を受けて組合独自の商品作りに取り組んでいる。また、村内女性を対象に研修事業を行い技術者養成にも力を入れている。
 同組合によると、これからも積極的に県外において展示販売事業を進め、沖縄の基幹作物であるさとうきびを砂糖の原料として使用するだけでなく、その葉と穂を利用して太陽と沖縄の心で染めた「ウージ染め」の素晴らしい魅力を多くの人に知ってもらいたいとのことである。
 実際に製品に触れ、素朴でやさしい色合いを見つめていると、南のさわやかな空気ときらめく太陽のもとで育ったさとうきびの輝きが静かに伝わってきて、心が癒されるようである。
 なお、同展は、丸善東京日本橋店において8月24日から9月23日まで開催されている。

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○沖縄の昔ながらのお菓子と新感覚のお菓子

 沖縄にはこの地方特有の昔ながらのお菓子がたくさんあり、普段はおやつとして愛され親しまれているとともに、今でもお祝い事や季節折々の伝統的な行事に欠かすことができないものも多く見られる。
 2つほど紹介しますと代表的なものにサーターアンダーギーがある。沖縄では最も有名でポピュラーな揚げ菓子で、サーターは砂糖、アンダーギーは油で揚げたお菓子……つまり、沖縄版ドーナツとでも言えるだろうか。ただ、リング状ではなく、赤ん坊のこぶし大くらいの丸い形をしている。これは、カタハラウンブーという塩味の平たい揚げ物と一対にして結納、結婚などのお祝いの席によく出されるお菓子である。次に、餅に小豆をまぶしたフチャギというものがある。沖縄では、旧暦の8月15日をジューグヤ(十五夜)と呼び、豊作に感謝するお祭りの日で、昔から畑の作物を供える風習があり、今日でもフチャギを作り神仏に供える家庭も多いようである。
 一方、以前からあるお菓子でありながら、最近では新しい感覚と沖縄のトロピカルなイメージを取り入れたお菓子がある。沖縄のマンゴー、グァバ、パイナップルといったトロピカルなフルーツや黒糖、泡盛などを用いたチョコレートや、沖縄ではポピュラーなお菓子であるちんすこうにパイナップルや紅いものチョコレートをコーティングしたものもあり、いずれも人気が高いようである。
 このチョコレートを製造したメーカーに製造法を聞くと、クーベルチュール(チョコレートの原料)を溶解し、これにフルーツパウダー(マンゴーなどのドライ粉末)や黒糖、泡盛などを加えて作るのだそうである。味や香りへのこだわりは当然であるが、チョコレートの融点を通常より高い34℃に設定して、南国の沖縄でも溶けないように工夫を懲らしているそうである。チョコレートの融点を高める技術は、かつてのアメリカ大統領が、南方の戦場に赴く兵士にもチョコレートを食べてもらおうと、あるメーカーに技術開発を指示したのが始まりだったようだ。
 このほかにも、沖縄特産のフルーツ、野菜、黒砂糖などを素材にしたお菓子やアイスクリームなどが数多く見かけられ、また30cm程度にカットされたさとうきびが商店の軒先で売られている情景にも、沖縄ならではの風情が感じられる。

サーターアンダーギー
サーターアンダーギー
フチャギ
フチャギ
ちんすこうチョコレートでコーティングした
ちんすこう
トロピカルなチョコレートトロピカルなチョコレート

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