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お砂糖雑感

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最終更新日:2010年3月6日

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今月の視点
[2003年2月]
全国和菓子協会 専務理事
藪 光生


 その昔、砂糖の消費量について言われた言葉だと思うが 「砂糖は文化のバロメーター」 というものがあった様に記憶している。
 砂糖と文化がどの様に結びつくのかは、あまり探求したことも無いので判然としないが、確かに砂糖には文化という豊かさを感じさせるものがある。
 「甘み」 「甘美」 「甘え」 などから生まれる連想は、快楽、豊かさ、喜びであり、余裕のないところからは生じるはずはない。
 太平洋戦争の最中はもちろん、1950年(昭和25年)まで統制下に置かれていた砂糖は、当時の庶民にとっては夢にまで見る味であったといって過言ではない。
 当然のこと乍ら統制解除の後には砂糖の消費量は増加の一途をたどった。
 その増加の道すじは、復興後の日本経済の成長や発展と重なり合っていたともいえ、正に砂糖は人々の心をとらえた魅力ある食品であったといえよう。
 そしてバブル経済最高潮に至った頃から、やたらと 「甘味離れ」 「甘さ控えめ」 なる言葉が氾濫しはじめた。
 まるで爛熟した経済、社会と符丁を合わせたかの様であったが、笑止なのは、(和菓子を含めて) 砂糖が存在することによって成り立つ商いの者達までものが、マスコミの手先と化したかの様にその言葉を売り物にしたことであるが、それにとどまらず製糖メーカー自らがその言葉を容認するかの様にスティックシュガーの内容量を10gから6gへ、そして3gへと減量するに至ったのには驚かされた。
 それはまるで 「もう満ち足りたから砂糖は少量で良い」 というかにも聞こえるものだったが、これをみると砂糖は文化のバロメーターという言葉も当っているのかとも考えさせられる。
 ところでこんなことはご存知だろうか?
 甘さ控え目が流行しはじめた頃、或る老舗和菓子店のお客様が 「おたくの和菓子は甘さ控え目なのが良い」 と言う人が増えたという。店主は 「うちは明治の頃から配糖率は変えていないのに…」 と戸惑いをみせていた。
 そのなのであろうと思う。
 1940年代にあった砂糖への飢餓感の反動というか、砂糖が自由に使えるようになった時に 「甘いものは良いものだ」 「甘いものこそは売れる」 とばかりに、1900年から1920年頃に一般的であった甘さの水準をはるかに超えた量の砂糖が使われたのである。
 言い変えれば1950年代からバブル経済期の間は、甘過ぎるものが製造され売られていたのだといえよう。
 その甘過ぎたことの是正が 「甘さ控え目」 なのである。ゆえにこそ昔から配糖率を変えていない老舗和菓子店の味が甘さ控え目と評価を受けるのだと思う。
 ヨーロッパなどで出会うデザートや菓子類の甘さに驚く人は少なくないと思うが、もともと日本人はヨーロッパやアメリカと較べれば甘さ控え目なのである。
 ゆえに私は声を張り上げて 「甘さ離れ」 は存在しないのだと言いたい。
 それにしても、資料によると日本人1人当たりの年間砂糖消費量は19kgで世界155ヶ国の中で102番目であり、第1位のオーストラリア63.5kgのわずか30%しか砂糖を消費していないというのは、いかにも少なすぎるように思う。
 もしかしたら日本の文化度が低いと言うことか知らん?
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「今月の視点」 
2003年2月 
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お砂糖雑感 全国和菓子協会 専務理事 藪 光生


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