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砂糖−愛されるが故に嫌われ、甘いが故に苦い評判の不思議−

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最終更新日:2010年3月6日

砂糖類ホームページ/国内情報


今月の視点
[1999年6月]

群馬大学教育学部家政教育講座 教授 
高橋 久仁子


●はじめに  ●砂糖とは  ●否定されている 「砂糖疑惑」
●特定食品の有害視はフードファディズム
●カルシウムを奪い骨を弱くする
●反応性低血糖症の惹起、 非行や犯罪の引き金に?
●非行の原因は砂糖という説  ●食べる側の責任
●売る側の責任  ●不安扇動ビジネスの存在  ●おわりに


はじめに

 砂糖類が呈する甘味は、動物種を問わず広く好まれ、人間もまた例外ではありません。もちろん、甘い物が嫌いな人もいますが、苦味や酸味とは異なり、幅広い年齢層に好まれる味といえましょう。また、食生活を営む上でも砂糖は重要な役割を担う食品ですが、同時に健康への悪影響がいろいろと心配されてもいます。
 確かに過剰摂取すれば悪影響が生ずる可能性はありますが、そういう問題は砂糖に限ったことではありません。しかしながら巷では砂糖有害論が声高に唱えられており、「少年たちがキレるのは砂糖の摂り過ぎ」という論も活発です。
 本稿は、砂糖に関するウワサのいくつかを検証し、砂糖がなぜこれほど悪者扱いされるのかについて考察したいと思います。

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砂糖とは

 ご承知のように、砂糖は化学的にはショ糖(スクロース)であり、炭水化物の二糖類に属し、ブドウ糖と果糖が結合した物質です。さとうきびやてん菜(サトウダイコン)に含まれるショ糖を抽出し精製して砂糖としたもので、グラニュー糖、氷砂糖、ザラメ、上白糖、三温糖など、いろいろな種類があります。
 ショ糖は代表的な甘味物質ですが、果物に含まれるブドウ糖や果糖、また、ブドウ糖2分子が結合した麦芽糖も甘味を呈します。でん粉を酸や酵素で分解すると麦芽糖やブドウ糖が生成され、いずれも甘いのででん粉糖と呼ばれ、糖質系甘味料として使われています。近年、これらの甘味物質を使った食品が増えていますので、砂糖について考える時、ショ糖としての砂糖の他、でん粉糖も一緒に含めて論じることをお断りしておきます。

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否定されている「砂糖疑惑」

 砂糖が及ぼす悪影響として疑われている主なものは、虫歯発生をはじめとし、脂質代謝異常、心臓血管系疾患、肥満、糖尿病などの発症、ガンへの関与、高血圧の発現、反応性低血糖症の惹起、集中力低下、成績低下、多動、非行・犯罪への関与、種々の精神的問題の原因など、実に多様です。さらに「カルシウムを奪い骨を弱くする」という日本独自説もあります。
 砂糖有害論は日本だけの問題ではなく、米国は日本以上に「砂糖恐怖症」を患っているような状況です。これに対応するため、米国食品・医薬局(FDA)は1986年に「糖質系甘味料に含まれる糖類の健康面の評価」という報告書を発表しました。砂糖をはじめとする糖質系甘味料が健康に及ぼす影響を調べた文献を総合的に検討した結果、虫歯の発生に砂糖が関与することは認めたものの、その他の「砂糖疑惑」は、現在の消費水準及び使用法で有害であることを示す証拠はないと結論したものです。この報告では、1984年の1人1日当たりの甘味料の使用量を154gと推定していました。日本における砂糖類の消費量は米国の半分以下で約66g(1997年)程度です。
 報告書の発表以来既に10年以上が経過し、その後も砂糖の悪影響に関する研究の報告は出されていますが、有害性を科学的信頼性をもって証明できるデータはないようです。
 また、FAOやWHOにおいてもしばしば論議されていますが、1997年に行われた「人の栄養における炭水化物FAO/WHO合同専門家会」でもFDAと同様の見解を発表しています。公式には否定されているにもかかわらず、砂糖に掛けられている嫌疑はなぜか払拭されていません。

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特定食品の有害視はフードファディズム

 フードファディズムとは、「健康や病気へ食物や栄養が与える影響を過大に信じたり評価すること」です。特定の食品を万能薬のように推奨したり、有害物であるかのように排斥したりすることを指します。日本ではほとんどなじみのない言葉ですが、1950年代のアメリカではすでにこの問題が取り上げられていました。食と健康が密接に関連することは疑いようのない事実ですが、これは長い間の食生活の状況が健康に反映されるということであって、特定の食べものがすぐに体をどうこうするという話ではありません。しかしながら世の中には、ある食べものや食品成分をあたかも万能薬のようにウワサしたり、逆に毒であるかのように語りたがる風潮があります。砂糖を有害視することもまたフードファディズムと思われます。
 いろいろな食品をほどよく摂取することが大切であるという原則を忘れて、特定の食品や食品成分を悪者に仕立て、それを一方的に排斥しようとすることは食生活教育をゆがめるものです。穀類を十分量摂取していれば、砂糖は栄養学的には全く摂取する必要はありません。砂糖を摂らないからといって体に悪影響することはないのです。しかしながら、砂糖が持つ味わいや調理上の特性を考えると、砂糖を使わない食生活というのはかなり無理があるような気がします。
 砂糖に格別の思い入れがあるわけではありませんが、砂糖が不当な扱いを受けている現状に疑問を感じ、砂糖に関して飛び交うウワサを、人々はどの程度信じているのかについて1992年の秋以降、数回にわたって調査を行ってきました。その中で「カルシウムを奪い骨を弱くする」説と「反応性低血糖症の惹起」説は、特に科学的に問題が多いのでここで取り上げたいと思います。

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カルシウムを奪い骨を弱くする

 数ある砂糖有害論の中で唯一、日本だけで流布しているのが「砂糖をたくさん食べると血液が酸性になり、骨の中のカルシウムを溶かす」とか「骨の中のカルシウムを奪う」です。まともな栄養学の場では見たことも聞いたこともありません。「酸性食品は体に悪い。アルカリ性食品は体に良い。」自体、栄養学的に無意味な説ですが、ミネラルを全く含有しない砂糖を「酸性食品」と決めつけている点がまず、この説の大きな誤りです。
 さらに砂糖がビタミンB1を全く含有していないことを理由に、骨の中のカルシウムが溶け出すという論を導いていますが、科学の断片をつなぎ合わせたナンセンスな説です(詳細は拙著『「食べもの情報」ウソ・ホント』講談社ブルーバックス)。
 砂糖をはじめブドウ糖やでん粉など、糖質がエネルギーとして利用されるにはビタミンB1が必要です。砂糖がビタミンB1を全く含まないことも事実ですが、ご飯やパン、めん類などの穀類も、それぞれが含有するビタミンB1の量では糖質代謝に不十分であり、不足する分は副食から摂取しなければなりません。砂糖の大量摂取で脚気になるというのでしたらまだ納得できますが、「酸性になった血液を中和するために骨の中のカルシウムが溶け出る」とは不可思議です。
 「牛乳はあまり好きではないけれど砂糖を少し入れれば飲める」という人がいます。「砂糖を入れて牛乳を飲めば」と勧めるのですが、「でも、カルシウムが無駄になるから」と砂糖も入れず、そして牛乳も飲まず、になることもあります。変なウワサが食生活指導の妨げになる一例です。
 しかし、この説の蔓延度には目を見張るものがあります。1980年代の初めにマスメディアの電波に乗って全国的に広まったということですが、1996年に2,254人を対象に行った私の調査では、この説を肯定する人は約7割にのぼりました。まともな話は広めたくてもなかなか広まるものでもないのに、驚くべき数字です。

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反応性低血糖症の惹起、 非行や犯罪の引き金に

 砂糖をたくさん摂ると低血糖症を起こす、という説を初めて聞いたときも驚きました。すでに20年以上も前からアメリカで流布している説ですが、いつ日本に持ち込まれたかはよく分かりません。
 「砂糖は吸収が早く、血糖値が急激に上昇するので、それを下げるためにインスリンが出過ぎる結果、血糖値が下がりすぎて低血糖になる(反応性低血糖症)。これが不安、躁うつ病、精神分裂病、アルコール・麻薬乱用、その他諸々の非行や犯罪の原因となっている」とのこと。日本に上陸した後は、いじめや不登校の原因になっているとされています。昨年あたりからは「キレた少年」は「砂糖の摂りすぎで低血糖症だったはず」ということになっており、最近では「下がりすぎた血糖値を上げるためにアドレナリンが分泌され、キレるのに一役買っている」というまことしやかな説に発展しているようです。
 しかしながら、砂糖摂取による反応性低血糖症がもし誰にでも起こるものであるなら、糖尿病を診断する時に行われる「ブドウ糖負荷テスト」は臨床検査として役に立ちません。これは糖質系甘味料入り清涼飲料2缶(700ml)に相当する量のブドウ糖(75g)を一気に飲み、上昇した血糖値の下がり方を調べる検査です。砂糖やブドウ糖を摂取して上昇した血糖値が簡単には低下しないからこそ臨床検査として利用されていることを考えるとこの説が誤りであることがお分かりいただけると思います。
 この「砂糖摂取で低血糖」は私の1995年の調査では一般成人(302人)の26%が、96年の調査(2,254人対象)では29%が肯定していました。「砂糖で低血糖、そしてキレる少年」論が昨年以降、活発であることを考えると、この肯定率は今はもっと高いのではないかと思われます。
 清涼飲料一般が有害視されるのはたくさんの砂糖を含むことによりますが、炭酸飲料、特にコーラ飲料についてはそれだけではない非難も込められています。

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非行の原因は砂糖という説

 「非行を犯した少年たちの食生活を調べたら、まともな食事を摂っておらず、清涼飲料と甘い菓子類、スナック菓子が食事代わりだった。食生活の乱れが彼らの心を荒れさせ、非行に走らせた」という論が昨年マスコミで大きく取り上げられました。しかし、非行少年に「食生活の乱れ」が認められたとしても、それが「原因」かどうかはそれだけで決めることはできません。非行少年は生活全体が乱れているでしょうから、生活の一部である食生活が乱れて当然です。もしかすると非行の結果として、食生活が乱れ、甘味食品の大量摂取をもたらしているのかも知れないのです。
 非行少年たちの劣悪な食生活の悪影響が論じられる時、いつも不思議に思うのはなぜ、栄養素欠乏だけが問題視されるのか、ということです。彼らがそういう食生活をするに至った家庭生活の背景と、その問題点が取り上げられないのです。もし仮に、清涼飲料とスナック菓子が日常的な食事の代わりになっているという事実があるならば、それ自体異常な食生活です。子どもにそういう食生活をさせてしまう家庭そのものが大きな問題を抱えており、食事の内容を云々する以前に改善されなければならない家族の病理があるのではないでしょうか。
 簡単には結論の出せない原因と結果の関係を安易に断定してしまうことは、問題の本質的解決を見誤らせます。砂糖含有量の多い食品の大量摂取が少年非行のひとつの原因と決めつけたがる風潮は、「犯人」を見つけたつもりになって安心した気分になりたい世相を反映しているのではないかと思われます。そしてその「犯人」は、目に見えない「家族の問題」や「社会の雰囲気」などより、目に見えるモノである「砂糖」の方が具体的で説明しやすいということなのではないでしょうか。

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食べる側の責任

 3度の食事をほぼきちんと摂るという生活をしていれば、甘いものを適度に楽しむことは、食生活のゆとりとして何ら非難される筋合いのものではありません。甘い菓子やケーキを、どこかに後ろめたさを引きずりながら食べるというのは残念なことです。
 しかしながら、世の中には常識のレベルとはかけ離れて砂糖含有食品を大量に摂取する人たちがいるようです。まともに食事をしないで、空腹を甘い菓子類や清涼飲料でごまかしてしまう人々、水代わりに炭酸飲料を飲む家庭など、「常識」外の摂り方をする人たちが少なくないとのこと。そういう人たちが「適度に摂れば砂糖は問題ない」という情報を耳にすると「適度に摂れば」という前提を無視して「砂糖は問題ない」という部分だけを自己弁護的に解釈するから困る、ウソでも何でも砂糖有害論で脅かさなければ大量摂取をやめさせられない、ということです。「適度に摂取すれば問題ない」とは、常識ある人々に対してのみ言えることだというのです。
 確かに「常識外の大量摂取」をしている人々を一時的にせよ振り向かせるには「コワーイお話」が有効かもしれません。しかし、砂糖を悪者に仕立てて「だからやめようね」で根本的解決が図れるのでしょうか。ウソも方便とばかりに「砂糖はこれほど毒である。だから食べてはいけないんだ」と、有害論で脅かすだけでは、残念ながら健全な食生活に導くことはできないと思います。常識外の摂り方をする人は「食べること」に対する考え方に、何らかの問題を抱えているのでしょうから、根気強く食品と人間の関係を説明し、理解を求める努力をしなければ、食生活全体を見直すことの動機づけはできません。
 また、「砂糖を摂りすぎるあなたが悪いんじゃない。たくさん摂りたくなってしまう砂糖が悪い。砂糖は麻薬のような物質で、その習慣性にとらわれてしまったあなたは、砂糖に汚染された現代社会の被害者なのだ」という主張がありますが、食べる側の責任を問わない無責任な論です。有害性が明らかな酒やたばこに対してさえ、「節度ある楽しみ方」を説いているのに、はるかに健康への影響の少ない砂糖を「麻薬」のように論ずることは理解できません。
 「砂糖は悪い食品」と断じ、有害論で砂糖の過剰摂取を防止しようとすることは、食べ過ぎる自分自身の責任を放棄することです。食品に責任を転嫁する態度は、食生活を運営する基本的姿勢として適正とはいえません。

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売る側の責任

 しかし、人間の自己節制力を試すかのように、これでもか、これでもか、と購買欲をそそるような宣伝の仕方や売り方までをも容認するわけではありません。路上に乱立する清涼飲料水の自動販売機は数が多すぎます。高校などに備え付けられている数台の自販機にも学校に設置する必要性に疑問を感じます。
 清涼飲料類や甘い菓子類の派手な宣伝や売り方に対する反発が、砂糖類への反感を助長する一因となっていることに売る側はどれだけ気づいているのでしょうか。悪い物を売っているわけではない、だからどのような売り方をしても許される、ということではないと思います。アルコール飲料類にも言えることですが、嗜好的食品の節度ある摂り方を身につけるには、売る側の配慮も必要なのです。
 しかし、砂糖と違って有害作用が明らかな酒やタバコがあまり問題にされず、砂糖含有食品がなぜ、これほど悪く言われるのかは、やはりどう考えても不思議です。

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不安扇動ビジネスの存在

 消費者の不安をあおり立て、それを金儲けの手段にする商法を私は「不安扇動ビジネス」または「不安便乗ビジネス」と呼んでいます。
 非科学的な論を展開する「不安扇動ビジネスパーソン」とそれを信じ込んでしまった熱心な「信者」たちによって、砂糖有害論の多くは支持されている部分が大きいと思います。行政や産業界は、消費者の全面的な信頼を必ずしも得ていません。国や企業は心配なことは何も言わない。こんな怖い話を教えてもらった私たちは幸せだ。皆さんに教えてあげなくては」とばかりに、エセ科学情報に惑わされた「信者」たちの中には心からの善意で砂糖有害論の「布教活動」にのめり込む人もいるのです。
 混乱する情報に迷惑させられるのは消費者ですが、不安煽動ビジネスは感情に訴える手法であるためか、科学で説明しようとしてもあまり効果は期待できません。むしろ、砂糖に関わる人々が有害論に対抗して「砂糖はこういう点で体に役立っている」と、有用性を強調すればするほど「売りたいヤツらの陰謀だ」と有害論信者の声は大きくなるばかりです。しかしすべての人が「信者」になるわけではありません。おいしいと感じる物を自分の責任で食べて何が悪い、と考える人々がたくさんいるのもまた現実です。
 砂糖に対する悪口を封じることはできませんし、してはならないことですが、科学的に正しいと考えられる研究報告を、マイナス評価も併せて時に応じてきちんと消費者に提示することは重要だと思います。砂糖への悪口を「ホント?」と疑問符をもって受け止める人は、まともな情報をきちんと読みこなそうと努力するでしょう。軽率な発言に左右されやすい人は、面白くてコワイ話題に飛びつくだけで、自分の頭で考えようとしませんから致し方ありません。
 また、ものごとを常に多面的に検証することを忘れてはならないと思います。砂糖有益論のひとつである「砂糖は吸収が速く、脳の唯一の栄養源」も「吸収が速い」ことが同時に非難の対象にもなっているのです。「吸収が早い」という砂糖の特質が、ある場面では有益に機能し、ある場面では懸念を招いているのですが、有益論では利点だけが、有害論では欠点だけが強調されるようです。ある性質を両サイドから眺めてその善し悪しを論じるという冷静さが、消費者の真の理解を得るには欠かせません。

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おわりに

 甘味が貴重だった時代、甘い物に対する人々のあこがれは並々ならぬものであったことを多くの古典文学が物語っています。時は移り、過剰なまでの甘味を安易に得られる時代になったからこそ、数々の悪口が言われるのでしょう。すなわち、明確な意志をもって自らの食行動を制御しないと、ついつい摂りすぎてしまうのが甘味なのだと思います。砂糖に対する数々の悪口も、ふんだんに甘味が手に入る今日「愛するがゆえに、のめり込むのが恐ろしい」という「愛すればこそ」の裏返しではないでしょうか。
 砂糖に対する人類の愛は、おそらく永遠で、少々の陰口をたたかれたくらいで人々が砂糖を手放すことはないと思われます。溺れることなく適度にその甘味を楽しみ、食生活に彩りを添えるものとして、砂糖とは末永くおつきあいしたいと願っています。

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●1999年6月 砂糖―愛されるが故に嫌われ、
甘いが故に苦い評判の不思議

 群馬大学教育学部家政教育講座教授 高橋久仁子
ソースについて
 (社)日本ソース工業会 参与 岡部勝雄

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