糖分取引制度の検討経過(1)
〔てん菜は砂糖を生産する作物〕
てん菜の原料取引は、北海道に初めててん菜が導入され、明治13(1880)年に官営紋鼈製糖工場が操業を開始してから、明治29(1896)年に工場が閉鎖されるまでの僅かの期間は品質を加味した取引が行われていた。
しかし、道内の製糖が帯広で再開された大正9(1920)年以降、ずっと重量のみによる取引が行われていたことから、農家の意識や栽培技術指導等も収量の向上に重点が置かれてきた。
昭和40(1965)年代に入り、てん菜の作付面積は5万haを超え、ha当たり収量も年々向上したことから原料てん菜の生産量が飛躍的に増大する一方、砂糖の自由化が行われている中で国内の砂糖価格は低迷し、製糖各社は不況に陥っていた。このような状況から、関係者の間でてん菜産業の将来的な発展のためには、原料てん菜の効率的生産と安定的供給体制の確立により、てん菜糖のコスト低減を図ることが重要であるとの認識から、てん菜栽培農家と糖業者が相互協調のうえに立って「てん菜は農産加工作物で、根を生産することが目的ではなく、砂糖を生産するものである。」との共通認識を持ち、品質を加味した合理的な取引制度を確立することが重要であるとの論議がなされた。
〔糖分取引に向けて調査研究のスタート〕
このような観点から、取引制度の改善合理化の方向を調査研究することを目的に、昭和44(1969)年、生産者団体、糖業者、北海道のほか、学識経験者を加えて「てん菜取引制度調査会」が発足した。調査会は、「てん菜の生産及び糖業の消長と取引制度の推移」「てん菜の品質或いは栽培技術と糖分に関する試験研究」「海外てん菜取引制度実態調査」などのほか、「原料甘しゃ・原料馬鈴しょ・生乳などの取引制度」についても調査し、最終的な考え方として、昭和48(1973)年2月に「てん菜取引の改善合理化に関する考え方」を取りまとめ報告している。
この最終報告では、「てん菜の現状と課題」「てん菜糖業の現状と課題」「てん菜産業発展の政策面からの課題」について記述し、さらに、「特に、てん菜産業を発展させるためには、てん菜糖のコストダウンを図る必要があり、商品の流通は時代の変遷や近代化の対応の中で、当然、量より質に向っており、てん菜も諸外国はその大半が糖分を加味した取引となっていることから、わが国においても、生産拡大第一主義で品質を度外視してきた重量取引を改め、糖分制に移行する段階に立ち至ったことを痛感する。」と続けている。そのうえで、「てん菜産業がおかれている現状からみて、糖分取引制度の確立は正に喫緊の事項であり、関係機関は協調して調整機関の設置や推進方策を進めるべきである。また、国及び道は、糖分取引実施を中心として、てん菜産業の健全な発展のために必要とする施策を積極的に講ずるべきである。」と、糖分取引の確立は、喫緊の事項であるが、解決すべき問題も多いので早急に適切な対応をすべきとの結論をまとめている。
このように、調査会は意欲的な調査報告を行っているが、糖分取引の実現までには、調査のスタートから17年もの期間を要している。
しかし、昭和44年に1カ月半の行程で海外調査を実施したメンバーが、糖分取引の実現時に、道、生産者団体、糖業者のそれぞれ責任のある立場にあり、その推進に大きな役割を果たしたことからみても、調査会は、制度改革に向けて着実に種子を播いたといえる。