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お砂糖豆知識[2009年1月]

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最終更新日:2010年3月6日

お砂糖豆知識

[2009年1月]



農家に学ぶ明日のさとうきび栽培技術
―第四話 立地条件と栽培技術―


鹿児島県農業開発総合センター 農業大学校 非常勤教授 安庭 誠


 これまで、南西諸島において農家に定着してきたさとうきび栽培技術を解析し、その技術が定着した理由を立証してきた。さとうきび栽培技術はそこの立地条件に適応した型となって発展してきた。このことは種子島と奄美地域における栽培技術の違いからも分かる。また、奄美地域内においても立地条件が大きく異なるため、その地域に適した技術が定着している。このような農家に定着してきたさとうきび栽培技術が極めて合理的で、特徴的なことは、農家は栽培技術を良否でなく、適否で捉えている点である。それは各家庭で用いる冷房器と暖房器に例えることができる。この全く反対の機能を有する温度調節器は良否で説明できないが、気温の高い夏は冷房、気温の低い冬は暖房とする適否を用いると簡単に説明がつく。南西諸島のさとうきび栽培技術はこのように立地条件への適否の上に成り立っている。

 本稿は農家に学ぶ明日のさとうきび栽培技術の最終回として、これまで述べてきたことを振り返りながら、立地条件とさとうきび栽培について述べる。

1.南西諸島の気温と土壌

 南西諸島の立地条件は気温と土壌によるところが大きい。南西諸島は熱帯原産のさとうきびにとっては高緯度地帯に位置するため、基本的に生長に要する温度が不足する。また、南西諸島さとうきび栽培地域の特徴として、北の種子島から南の沖縄県南端の島々まで南北に広い範囲で栽培されることがあげられる。この緯度の範囲は鹿児島市から東北南部にあたる広大なものである。南西諸島における気温の差異は、この南北に長く分布する地理的な要因によるもので、年間平均気温は北の種子島と南の石垣島とでは4.4℃の差がある(表1)。この気温の差は気温の低い冬季で大きく、気温の高い夏季では小さい(図1)。このような気温の差異によって、さとうきびの生育は地域によって異なる。例えば、本誌9月号に記載したさとうきび生育の蓄積期と伸長期は各島で異なり、気温の差はさとうきびの生育に影響を与えていることがうかがわれる。

 次に土壌であるが、南西諸島の土壌は非常に多様である。甘蔗農業1)によると、沖縄県土壌の母岩は5つからなり、土壌は15に分類されている。鹿児島県における主要な土壌と特徴は表2に示したとおりで、土壌の性質が大きく異なっていることが分かる。

 これらの他、立地条件によって風害が異なる。奄美地域の沿岸部では夏季に台風による潮風害が発生する。また、島の北西部に位置する沿岸部では冬季の季節風で葉身が裂傷する被害を受ける。

 以上のように、南西諸島におけるさとうきびの立地条件は大きく異なる。ここからは立地条件と品種を含めたさとうきび栽培技術の関係について述べるが、その前に、さらに気温の低い本州や四国のさとうきび栽培の歴史を紹介する。

表1 各地点の年平均気温(℃)と年平均降水量(mm)
アメダスデータ(1971〜2000年平均)
図1 各地点の年平均気温
アメダスデータ(1971〜2000年平均)
表2 鹿児島県のさとうきび栽培地に分布する土壌の特徴
さとうきびと土壌(鹿児島県農場試験場徳之島支場、平成3年)より抜粋引用

2.江戸におけるさとうきび栽培

 甘蔗栽培学2)によると、日本内地の糖業は徳川三代将軍の時、蔗苗を琉球より江戸に移し、各藩に栽培と製糖を行わせるが失敗することに始まる。その後、八代将軍の享保年間(1716年〜1745年)に琉球と薩摩から蔗苗を取り寄せ、吹上御殿砂村、大師河原に試作し、蔗苗を関東、四国、九州の諸藩に分与し、さとうきび栽培と製糖製造を奨励した。しかし、関東における糖業は失敗し、家産を倒すものが多かった。当時の俚謡に「甘蔗作るなら菰(こも)から作れ甘蔗済んだら菰かぶれ-原文のまま」と歌われたらしい。さとうきびを栽培すると菰をかぶって生活する乞食になるとの意味である。このことから、江戸では気温が低く過ぎて、さとうきび栽培はできなかったことが分かる。確かに、温暖化で暖かくなったとは言え、東京の気温は現在のさとうきび栽培の北限地である種子島に比べても低い(図1)。これに対して、四国の一部では成功し、水田にまでさとうきびを栽培したため、甘蔗作を制限したほどである。大正の初め頃、四国4県で千町歩のさとうきび栽培があった。この地で栽培したさとうきびから有名な和三盆が製造され、これは現在でも製造が継続している。江戸時代に気温の低い四国でも糖業が成立したことは、当時の砂糖がいかに貴重で高価であったかを物語る。立地条件とさとうきび栽培を述べるにあたり、興味深い歴史と思い紹介した。

3.鹿児島県におけるさとうきび栽培の立地条件

 筆者は沖縄県のさとうきびに関する知識を持ち合わせていない。従って、ここからは鹿児島県におけるさとうきび栽培の立地条件について述べる。鹿児島県では昭和62年にさとうきび立地条件について、シンポジウムを開催したことがある。シンポジウムのテーマは「サトウキビ品種の適応条件と今後の品種への期待」とするもので、筆者もこのシンポジウムに参加していたのでいくらか記憶に残っている。内容は鹿児島県におけるさとうきび品種の適応性を気象、土壌、病害虫の発生から検討したものである。ねらいはいかに有望な品種・系統と言えども、その特性には長所・短所が混在する。この短所が発現しない地域に普及を図ろうとするもので、そのために、地域の特徴を把握することにあった。背景には品質取引を控え、NCo310に新たなさび病(本誌(以下略)12月号に記載)が発生したことがあったと記憶している。確かに、危険分散の観点から、長年90パーセント以上の作付されたNCo310偏重に対しては、反省すべき点もあった。このシンポジウムの結論として、次の意見が強く印象に残っている。「鹿児島県のさとうきび栽培地域は3つに分かれる。種子島は奄美地域に比べて、気温、土壌、病害虫の発生が明らかに異なる。奄美地域は気温と干ばつ被害から判断し、奄美大島と喜界島を同一地域とし、沖永良部島と与論島を同一地域とする。問題は徳之島であるが、ここは干ばつ被害の大きな南部と被害の小さな北部の2つに分ける」。この分類によると、鹿児島県のさとうきび栽培地域は①種子島、②奄美大島、喜界島、徳之島北部、③徳之島南部、沖永良部島、与論島に分けられる。この分類については、徳之島では現在でも使われていることから、当時のさとうきび関係者は納得したものと思われる。

4.立地条件と栽培技術

 上述したシンポジウムにおける立地分類を念頭において、ここから農家に定着した栽培技術と立地条件について述べる。

 種子島は奄美地域とは気温、土壌ともに大きく異なる。特に、冬季の低温はさとうきびの生育や糖分の蓄積に悪影響を与える。このため、種子島に定着した栽培技術については、夏植えが適さなかったこと(6月号に記載)。株出しでは慣行技術「引き出し」が定着したことを述べた(10月号に記載)。このほかにも、春植えと株出し栽培ではポリマルチで発芽・萌芽を促している。このように種子島のさとうきび栽培技術は気温が低いことに対応した技術と言える。また、土壌は腐植含量が高い黒ボク土で、「引き出し」はこの作業性の優れる黒ボク土によるところが大きい。いずれにしても、種子島におけるさとうきび栽培技術は立地条件を活かした特有の栽培技術であることが分かる。

 次に、奄美地域について述べる。奄美地域内における気温の差は比較的小さく、年間平均気温は名瀬と伊仙はほとんど変わらない(表1)ことから、奄美地域内における平坦地域の年間平均気温の差は小さいと思われる。また、冬季の低温は種子島のように糖分の蓄積に悪影響を与えるほどの低温ではない。これに対して、奄美地域における雨量は明らかな差異が認められ、名瀬の年間雨量は伊仙より約千ミリも多い。次に、奄美地域における主な土壌群は表2に示したように、黄色土、暗赤色土、赤色土からなる。特に、黄色土と暗赤色土は面積が広く奄美地域を代表する土壌群である。しかし、この二つの土壌は干ばつに関与する特徴やpHが大きく異なる。

 以上の結果から、奄美地域の立地条件は気温より降雨量と土壌によって分類される。すなわち、雨量が多く排水不良でpHが低い地域と雨量が少なく乾燥しpHが高い地域に区分される。これは前述したシンポジウムによる分類とほぼ一致する。立地条件と栽培法の関係については、多湿地域では春植えの植付け方法として「梢頭部苗の斜め挿し」(11月号に記載)が定着した。また、暗赤色土地域の一部には、耕土が浅いため干ばつ被害に加え台風による疾風と潮風害を受ける台風常襲地域がある。この地域のさとうきびは干ばつや台風被害を受けるまでに、いかに伸長を促すかが重要で、夏植えが欠かせない地域である。NCo310時代、夏植えは激減したが、この地域に夏植えが残ったことを紹介した(9月号に記載)。

 これまで述べてきた立地分類は大きくくくったもので、実際にはもう少し複雑である。例えば、喜界島においては沿岸部と台地では土壌が異なり、暗赤色土が分布する台地では干ばつ被害がしばしば発生する。また、徳之島の山地は気温の低いことが影響を与える。したがって、それぞれの島でさらに詳細な立地分類を行うべきである。

 いずれにしても、奄美地域においても立地条件に適したさとうきび栽培技術が定着してきた。

5.おわりに

 さとうきび栽培技術は立地条件に適応した形となって成立することを述べてきた。これは今後の技術開発にも重要である。このことは品種開発についても同様なことが言える。昭和62年のシンポジウムで立地条件を議論した頃は、さとうきびの品種数が少なく、栽培される品種は限られていた。しかし、10月号の調査報告「さとうきび新品種「農林25号」、「農林26号」の特性」を読むと、現在国内で育成されている品種は農林26号に至り、栽培されている品種も数が多いことを知り驚いた。長く続いたPOJ2725時代やNCo310時代には考えられなかったことである。品種の選択肢が増えた今こそ、立地分類による適品種の考えは活かされるべきではなかろうか。

6.執筆後記

 この1年間、さとうきび栽培技術について、比較的古い技術を中心に述べてきた。筆者が本稿を書くことになった根底には、徳之島赴任の時代に、奄美地域と種子島のさとうきび栽培が大きく異なることを知ったことがある。奄美地域のさとうきびについてはそれまで話には聞いてはいたが、干ばつ被害や潮風害は想像をはるかに越えるものであった。また、奄美地域には酸性土壌の多湿地帯が広く分布し、植え付け作業に苦労していることを知った。さらに、奄美地域にはこれらのさとうきび栽培を阻害する要因に対応する合理的な技術があり、その大部分は記録として残されていないことが分かった。そこで、情報を頂いた人達に学んだことを記録として残すと約束したことに執筆の意志が始まる。また、農家に定着した技術を解析すると、さとうきびを農家目線で捉えることになる。このため、農家のさとうきびに対する思いが伝わり、南西諸島におけるさとうきびの重要性が分かる。さらに、これらの技術のなかには、今後の技術開発のために必要な後世に残すべき情報が含まれている。以上が本稿を書くことにした理由である。

 このようなさとうきび栽培技術を解析・立証することは、容易と考え約束したものの、この判断は下記の理由で少々甘く苦労した。①古い文献の入手が困難で、同一異名の用語も多くあった。例えば、夏植えは早植え(6月号に記載)、株出しは宿根の呼び名もある。②農家に定着した技術の起源にも苦労した。伊仙町で聞いてメモした深溝植えがインドネシアのジャワ島で誕生したのには驚いた(6月号に記載)。③書くことを断念した技術もあった。3月号に記載した「稲の種籾は山手から」は最初の言葉で、「さとうきびの苗は山手を避ける」との意味の言葉が続く。言葉の意味は山手のさとうきびは多湿のため、生育期間に側芽や気根が発生し3)、早い時期に側芽が発生した茎は苗に使えないことによると思われる。この対策として剥葉(はくよう)(成育途中のさとうきびの枯れ葉をはぎ取ること)がある3)。この剥葉について書くことを試みたが、奄美地域における剥葉は弊害も多いため、沖縄県ほど定着しなかった。データがなく農家に定着しなかった技術については、執筆を断念せざるを得なかった。④本文は10年ほど前に、見聞したことをメモしたものも多い。メモの修正が不十分な部分があった。9月号31ページに記載したモクマオウが枯死するミナミネグサレセンチュウは南根腐病の誤りである。また、その後奄美地域のモクマオウには新病も発表されるに至っている。お詫びして修正をお願いしたい。

 本稿の執筆にあたり多くの関係者にお世話になった。種子島ではキビ作研究会(種子島におけるさとうきびの勉強会)のメンバーから多くの情報提供を頂いた。徳之島でも多くの人にさとうきびに関する教示を頂いた。なかでも、天城町久田喜一郎氏と伊仙町中井徳次郎氏には大変お世話になった。両氏とも現在さとうきび農家であるが、久田氏は徳之島支場に46年間勤務しており、奄美のさとうきび栽培の歴史を詳細に教えて頂いた。また、南西糖業伊仙工場の原料事務所長であった中井氏からは、伊仙町の多様なさとうきび栽培を教えて頂いた。両氏には休日に現地で教わったことが記憶に残る。

 本稿はさとうきび栽培の経験がない人にも理解を得てもらうため、多くの写真を用いたが、これらの多くは鹿児島県農業開発総合センター熊毛支場、大島支場、徳之島支場から提供を頂いた。また、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構九州沖縄農業研究センター種子島試験地からは貴重な資料の提供を頂いた。さらに本誌への寄稿にあたって、多くの関係者にご協力を頂いた。本稿シリーズを終わるにあたり、厚く御礼を申し上げる。

参考文献

1)北原健次郎編:甘蔗農業.琉球分蜜糖工業会.1968年1月.P41-47
2)鳥原重夫編:甘蔗栽培法.鹿児島縣立糖業試験場1917年11月.P10-13
3)鳥原重夫編:甘蔗栽培法.鹿児島縣立糖業試験場1917年11月.P192-196