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お砂糖豆知識[2009年11月]

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最終更新日:2010年3月6日

お砂糖豆知識

[2009年11月]



出島からシュガーロードを通って全国へ
〜お砂糖と共に発達したお菓子や食文化〜

料理研究家 脇山 壽子

1.長崎と砂糖の深いつながり

 長崎では、料理やお菓子に砂糖を十分に使っていませんと言う意味で、「長崎の遠か」とか「今日の料理は長崎の遠うございまして」などと言ったり、また「長崎で砂糖は砂のごとくなり」と言う俳句も残っております。このように長崎と砂糖は、深いつながりがあるのです。

 1571年、一隻のポルトガル船の入港により、長崎の町は一変します。多くのポルトガル人が長崎の町に住み、西洋風な暮しや、料理、お菓子作りを町の人々に教えました。

 このように伝えられた文化の中には、今に到る生活の基礎となったものも多く、ポルトガル文化の到来は日本の新しい夜明けともなりました。当時の日本では、砂糖はほとんど使われておらず、甘味料としては、こうじ、はちみつや干し柿などの果物類が用いられていました。今、潤沢にある砂糖は、南蛮貿易により、ポルトガルから、長崎の地にもたらされたものでした。

 長崎の地は、日本の砂糖の歴史そのものと言っても過言ではないと思います。そしてこの砂糖の文化は、長崎だけにとどまる事なく、全国へと広がってゆきました。

 このようにして、ポルトガルの人々から長崎の人々へ伝わった「食文化」をはじめとする多くのものが根付いていきました。

 日本語となったポルトガル語は、4000語位あると言われています。この数字だけでも生活の中に深くポルトガル文化が入っていた事が分ります。

 こうした外来語の例としてはカッパ、ジュバン、メリヤス、ベランダ、ビードロ、タバコ、ボタン、パン、カステラ、ボーロ、コンペイトウ、テンプラ、ヒロウス、など「食べ物」「衣類」「日常の生活」に関するものが多くなっており、現在でも使われています。

 その後日本は鎖国となり、長崎の出島のみ、オランダ船と唐船の入港を許し、1859年まで、長崎が西洋、東洋の文化の受け入れ口となりました。長崎の地を通じて、医学、食物、食習慣、動植物、などが伝来し、この異国の文化が、長崎街道を通って大阪、堺、京、江戸へと広がって行きました。

 長崎から北九州小倉を結ぶ、二五宿五七里の長崎街道を別名、シュガーロードと呼びます。

2.シュガーロードと海外文化

 このシュガーロード沿線では、独自の砂糖文化、食文化が発展し、その土地で、風土に合ったお菓子をはじめとする食文化が花開いて行きました。また、南蛮文化だけでなく、唐の文化の影響も強く受けました。砂糖、野菜、果物などが持ち込まれ、それらを使った食文化が大いに発達し、食事の形式にも変化が出てきました。このような海外文化の伝播の影響を受けたお菓子類も多く、求肥、月餅、まんじゅう類、ザボン漬をはじめ、多くの蜜漬け、砂糖漬けが、南蛮菓子と共に発展しました。

 1740年頃より長崎の商人は、砂糖の商いを許され、商人仲間を作り、唐、蘭船より舶載されて来る、砂糖、べっ甲、薬種類を扱う事が出来るようになっていきました。

 また、船より荷上げの際こぼれた砂糖は「盈物(こぼれもの)」として、荷役に従事する、砂糖係や、人足などが、自由に分けて良いと言う事でしたので、砂糖は貴重品ではありましたが比較的長崎の人々の手に入りやすく、多く使う事が出来ました。また、砂糖をはじめ貿易などで得た利益の一部を、「かまど金」として町民へ配り、長崎の町は大変潤い発展してゆきました。

 また、砂糖は、「薬」としての効果もあり、漢方薬と共に砂糖も薬種問屋へ卸されました。

(国土交通省 佐賀国道事務所ホームページより)
長崎街道

3.砂糖摂取の効能と文化の向上

 砂糖は、甘味をつけるだけでなく、多くの効果があります。食品を腐敗から守り、また水分を保ったり、食品をやわらかくする効果があります。カステラがしっとりとしたり、肉がやわらかくなったりするのは、砂糖の為なのです。

 甘いものを食べて「ホッ」とされる方は多いと思いますが、これはリラックス効果があるからなのです。また人は、生まれて初めて口にするものは、少し甘い砂糖湯です。生まれた時の不安やストレスを取り除く効果の為です。そして脳が働く為のエネルギーは、「ぶどう糖」なのです。ぶどう糖と果糖から出来ています砂糖は、脳の上質な、食べ物なのです。

 このように、長崎の地へ遠い昔、西洋から、東洋から入って来ました砂糖をはじめとする、多くの文化や食文化、お菓子文化を上手に取り入れ、日本人の生活や、「嗜好」に変化させながら生活の向上をはかってゆきました。

 異国の文化を上手に取り入れ、日本の風土、季節に合った様に、また風土、季節と共に発達してきました。

4.次世代へ向けたシュガーロード連絡協議会

 砂糖は現在では、手軽に手に入りますが、紀元前300年以上前、「インドの甘い葦」からはじまり、メソポタミアや、地中海を経て、日本へはポルトガル船より長崎の地へ入りましたが、長崎の商人達は、大いなる好奇心と誠実さを持って外国と取引し、知識を得ていった事と思います。

 昔シュガーロードを通じて、各地の人々と、手を取り合った先人達の様に、今私達は、伝統と革新と、そして継続していく事を強く願います。

 おいしい食事、おいしいお菓子の前では、皆、「いい顔」になります。「食」とは命を守る事であることを忘れる事なく、安心安全な料理や、お菓子が、日本の風土と共に発展していき、食べる人が皆すべて、幸せになる事が出来たら、と思います。400年以上前に出来ました「シュガーロード」が、大変大きな存在であった事を、そして今に続く大きな役割であった事を改めて強く思います。

 今新たに、3県10市で「シュガーロード連絡協議会」が立ち上がりました。
「シュガーロード」が時代と共に形を替えながらも、地域と共に、次の世代に向けて発展してゆきます事を願います。

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