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インドネシアにおけるサトウキビ研究

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最終更新日:2010年3月6日

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海外レポート
[2001年3月]
 インドネシアは第2次世界大戦前、世界最大の産糖国の1つであり、戦中でも年間250万トン以上を生産していました。戦後は戦争の影響で生産量が減少したものの、1980年代には生産が増大してきました。しかし、生産量が増大するものの国内消費がそれを上回り、現在では輸入国になっています。また、同国におけるさとうきびの研究は古く、インドネシア糖業研究所ではさとうきびや製糖に関する試験研究が盛んに行われています。
 海外の糖業研究事情に詳しい農林水産省国際農林水産業研究センターの松岡室長からインドネシアのさとうきび研究について紹介していただきました。

農林水産省・国際農林水産業研究センター沖縄支所
作物育種世代促進研究室長 松岡 誠


はじめに  インドネシアの地勢  サトウキビ栽培の概況
インドネシア糖業研究所について
 研究所概要
 サトウキビの育種、遺伝資源の保存及び利用について
 その他、サトウキビに関する研究全般について
PTPN11ジャテイロト製糖工場
バリ島における調査  終わりに



はじめに

 2000年9月12日より10月1日までの18日間、国際農林水産業研究センターの海外調査研究活動としてインドネシアに滞在し、同国のサトウキビ研究事情を調査する機会に恵まれた。東南アジアの大国インドネシアは、かつてサトウキビの世界的な大生産国であると同時に、サトウキビの研究においても世界をリードし、数々の優れた研究成果、品種を発表してきた。しかし、近年、同国のサトウキビに関する情報、とくにサトウキビの試験研究についてわが国に入ってくる情報は少なく、限られたものとなっている。そこで、今回の調査をもとに同国のサトウキビ関連試験研究、主として育種分野 (バイオテクノロジーと遺伝資源) の現状について紹介したい。



インドネシアの地勢

 インドネシアは大小約13,700の島々からなる東西に細長い島国である。その西端から東端までは5,100km、南端から北端までは1,900kmで、総国土面積は日本の約5倍である。その国土の北部地域を赤道が横切っており、ジャワ島、バリ島など主要な地域は南半球に属する (図1)。総人口は約1億9,000万人でその約60%がジャワ島に集中している。多民族国家で多くの少数民族から構成されているが、国語はインドネシア語で統一されている。しかし、国土が広く、言語、宗教、文化の異なる多数の民族が居住しているため、人種間の摩擦や分離独立運動などの難しい問題も数多く抱えている。先年の東チモール分離独立に伴う混乱、また現在係争中のアチェやイリアンジャヤの独立紛争などはその代表的なものである。

図1 インドネシア概略図及び調査の移動経路
インドネシア概略図及び調査の移動経路
インドネシア概略図及び調査の移動経路

 ジャワ島は東西約1,000kmの細長い島で海抜2,000〜3,000メートルクラスの多数の火山が脊梁に連なっている。海洋性熱帯気候で1年を通じて暑く、おおよそ11〜3月が雨季、4〜10月が乾季である。気温は標高によって大きく異なり、海抜500〜1,000m以上の高原地帯は冷涼で過ごしやすい。ジャワ島西部、首都ジャカルタの年平均降雨量は約2,000mmであるが、ジャワ島東部ではこれよりかなり降水量の少ない地域もある。図2にはジャワ島東部の大都市スラバヤの気温と降水量を示した(1)。平均気温は1年を通じて26〜29℃の間で変動が少なく、平年の降水量は約1,500mm、乾季の7〜9月の降水量が極端に少ない。このジャワ島東部がインドネシアのサトウキビ栽培の中心地帯である。

図2 スラバヤの月別平均気温と降水量
スラバヤの月別平均気温と降水量
図は理科年表1) より抜粋したデータ (1961〜1990年) を元に作成した。年平均気温は27.8℃、年平均降水量は1,468mm。

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サトウキビ栽培の概況

 第2次世界大戦前インドネシアは世界最大の産糖国の1つであった。戦争があったにもかかわらず、1942年には年間250万トン以上が生産されている(2)。しかしその後、インドネシアは戦争と引き続く混乱の影響で製糖施設及びプランテーションシステムが崩壊し、生産が減少、停滞した。やがて独立戦争の終結で平和な時代が到来し、1980年代に入ると製糖業も次第に生産を増大させてきた。しかし、その後、砂糖の生産量は増加したにもかかわらず、増え続ける国内の砂糖消費量には追いつくことができず、1967年以降は砂糖の輸入国となっている。インドネシアのここ数年間の砂糖生産量は160万トン台で推移しているが、一方、年間の砂糖消費量は粗糖換算では290万トンから350万トンであり、毎年、不足分百数十万トンが輸入されている。インドネシア政府は砂糖の国内自給を目標にして様々な施策を講じてはいるが、数年来の政治的、経済的な混乱の影響もあり、あまり効果は上がっていないようである。現在、インドネシアの砂糖業界が抱える問題としては、(1) サトウキビの生産が人口密集地のジャワ島に集中している。このため経済発展に伴い、ジャワ島におけるサトウキビの作付けが次第に栽培に不適切な限界地へ移動しつつある (2) 灌漑設備その他の問題でサトウキビの単収が低い (3) 多くの古い製糖工場で機械、設備の老朽化が進み生産効率が低下していること等があげられている。



インドネシア糖業研究所について

  研究所概要

 インドネシア糖業研究所 (英語:Indo-nesian Sugar Research Institute、インドネシア語:Pusat Penelitian Perkebunan Gula Indonesia、通常 PPPGI または P3GI と呼ばれる) の本部は、東部ジャワの大都市スラバヤから車で1時間ほどのところにある地方都市、パスルアンにある。糖業研究所の歴史は古く、オランダ統治時代の1887年に創設された。サトウキビの人工交配育種法を最初に開発、導入し、またワンダーケーンと呼ばれ世界中で広く栽培された POJ2878をはじめとする多くの優れた品種を育成したことでも知られている。この研究所は甘味資源全般について圃場での生産から工場でのプロセス工程まですべてを研究の対象としているが、実際にはサトウキビとその製糖に関する試験研究がほとんどである。
 糖業研究所は政府統括機関 (農業省) である。しかし、その研究費はかなりの部分が私・国営の製糖企業の連合組織が作ったインドネシア糖業研究協会 (Indonesian Sugar Research Association;Asosiasi Penelitian Perkubunan Gula Indonesia) からの出資によって賄われていた。そして農業研究開発庁 (Agency for Agricultural Research and Development) の責任者が議長を務める理事会によって運営されていた。しかし、1996年の国営プランテーション企業体 (Government Estate Enterprises) の組織再編によって大きな変更があった。インドネシア農業生産者研究開発協会 (Indonesian Planters Association for Research and Development) とインドネシア糖業研究協会が統合し、新組織「インドネシア農業生産者研究協会」(Indonesian Planters Association for Research;Asosiasi Penelitian Perkebunan Indonesia) が設立され、この協会が糖業研究所を含むプランテーション作物の試験研究機関を運営することになった。
 1997年に発行された公式資料(3) では糖業研究所の総職員数は456名、うち70名が研究者 (14名が学位取得者) となっている。今回の訪問での聞き取り調査では、現在の総職員数は390名ということであった。研究部は8つのグループ (( )内の数字は研究者数)、育種 (7)、栽培生理 (8)、土壌肥料 (7)、作物保護 (8)、経営 (6)、農業機械 (5)、プロセス (7)、化学・副産物 (7) から構成されている。パスルアンの本部の他、インドネシア各地に12の支所;Medan 支所 (メダン:北スマトラ島州)、Cintamanis (チンタマニス:南スマトラ島州)、Bungamayang (ブンガマヤン:ランプン州)、Takalar (タカラー:南スラウェシ州)、Camming (カミン:南スラウェシ州)、Pelaihari (プライハリ:南カリマンタン州)、Cirebon (チレボン:西ジャワ州)、Comal (コマル:中部ジャワ州)、Solo (ソロ:中部ジャワ州)、Jatiroto (ジャティトロ:東ジャワ州)、Jengkol (ジェンコル:東ジャワ州)、Sub Terbanggi (サブトゥルバンギ:ランプン州)、Bekasi Quality Control Lab (ブカシ品質検査所:西ジャワ州) があり、いずれの支所にも通常2名の研究者が勤務している。この他、パスルアンから約50kmほど離れた高原の町マラン (Malang) 近郊の Sempalwadak (標高400〜500m) に交配のための施設があり、またマドゥラ島沖のプテラン島にはサトウキビ隔離栽培のための防疫圃場がある。



サトウキビの育種、遺伝資源の保存及び利用について

 糖業研究所滞在中には主に育種部門の責任者 Dr. Mirzawan とそのスタッフに案内された。主な育種目標は早期高糖性、耐干性、それにわい化病 (ratoon stunting disease)、白条病 (leaf scald disease)、黒穂病 (smut disease) などの病害に対する抵抗性の付与である。1998年の交配シーズンには8,600組合せの交配を行っているが、交配組合せ数は年々減少し、今シーズンの実績は1,362組合せ、次のシーズンには約600組合せの交配を予定しているという。交配組合せを減らしている理由として、播種後の選抜に多大な費用と労力がかかることをあげていた。ちなみに交配については、かかるコストが低いため、やろうと思えばいくらでもできるとのことである。日本から交配を委託することも可能かと考えられた。
表1 インドネシア糖業研究所の
育成品種数
育成年 品種数
1945−1982
1983−1989
1990
1991
1992
1998
56
5
15
14
16
4
 Sempalwadak の交配施設はマラン高原にあり (写真 1A、B)、その気象条件がサトウキビの出穂と開花に適しているため (標高が高いため、低地よりも気温が多少低いという理由が考えられる)、古くから交配が行われている。ここには交配施設と小さい実験室それに父本と母本を育成するための圃場があり、通常は2名の圃場管理職員と15名程度の圃場労働者で管理されている。そして交配シーズンにはパスルアンの研究所から応援のスタッフが通ってくるということである。交配では二親交配と多父交配の両方が行われており、二親交配では古くから用いられているジャワ法とマルコッティング法の2つの手法が用いられている。2000年シーズンの交配 (4月5日〜5月12日) では、二親交配は299組合せ (ジャワ法-202、マルコッティング法-97)、多父交配は1,063組合せが実施されている。日本では交配母体の除雄には温湯除雄 (花穂を46℃の温水に12〜14分間浸すことにより花粉の稔性を失わせる) が用いられるが、この交配施設ではエタノールを用いた除雄 (花穂を63%のエタノールに9分間浸漬処理する。56〜58%に7分間浸漬という情報もあり) が行われていた。ここで得られた実生はパスルアンのほか5ヵ所の試験地にも送られ選抜に供試される。各地で選抜・育成された系統にはそれぞれ以下の系統番号、Comal;Ps-CO、Jatitujuh;Ps-JT、Bungamayang;Ps-BM、Gunungmadu;Ps-GM、Takalar;Ps-TK が与えられる。そして系統適応性試験を経た後、新品種として Ps番号 (Pasuruan) を与えられ配布される。交配から新品種の配布まではほぼ10年を要する。この研究所がこれまでに出した品種の数を表1に示した。初期の頃の品種はインドネシア全土向けということで育成されたものであるが (Ps61まで)、その後に育成された品種はそれぞれインドネシア国内の各地域向けの品種である。
写真1 インドネシア糖業研究所の交配施設
交配用の施設と実験棟
A. 交配用の施設(左)と実験棟(右)
交配材料を育成中の圃場
B. 交配材料を育成中の圃場

 糖業研究所では現在7,000点を超すサトウキビ及び近縁種の遺伝資源を栄養体で保存している。コレクション収集の歴史は古く、19世紀末のオランダ統治時代からインドネシア各地 (カリマンタン、スラウェシ、モルッカ、スマトラ、イリアンジャヤ等) で野生種や在来種の探索収集が行われている。最近では1998年にイリアンジャヤで探索収集を行い、高貴種を中心に10数点収集してきたとのことである。研究所に隣接する圃場において、遺伝資源は栄養体で保存されている (写真 2A)。圃場の畝幅は約1mで、各系統1点につき1条、4mで保存している。植え付けから1年後には地上部を刈り取り、圃場外に持ち出し (圃場内に残った枯葉などの残滓は焼いている)、さらにもう1年の株出栽培を行う。ほぼ1日かけて圃場を見せてもらったが、地上部の刈り取りからまだ1ヵ月しか経過していないため、株は伸び始めたばかりであり、茎の形状などについてはほとんど分からなかった。管理状態は良好であると思われたが、高貴種のコレクションの中には黒穂病に感染した個体があちこちに見られた (写真 2B)。

写真2 インドネシア糖業研究所の遺伝資源圃場
株出栽培中の遺伝資源圃場
A. 株出栽培中の遺伝資源圃場
黒穂病に感染した個体
B. 黒穂病に感染した個体

 表2には1998年時点における保存遺伝資源のリストを示した。この表からも分かるように同研究所が保存する遺伝資源のなかでは特に Erianthus、Saccharum rubustum、Saccharum officinarum のコレクションが充実している。これらの遺伝資源は相互交換を前提にして海外にも門戸が開かれており、これまでにオーストラリア、バルバドス、アメリカ合衆国、インド、モーリシャス、フィリピン、日本などとの間に交換の実績がある。つい最近にもガイアナやバングラディシュとの間で交換したとのことである。わが国との間では1993年以降、サトウキビ遺伝資源交換の実績はない。今後は日本国内の育種素材の充実を図るためにも、積極的にこの相互交換制度を活用していくことが望ましいと考えられる。また、インドネシア国内にはこの他にも多くの未収集のサトウキビ遺伝資源が存在すると考えられ、特にイリアンジャヤなどでは、いまだに未探索の地域もある。インドネシア側もこれらの地域で探索収集を行いたいとの希望を持っているが、予算が十分ではなく実施は困難な状況である。そこで資金面で日本が協力して共同の探索収集を行えば、大きな成果を上げることが期待される。しかし、現在、これらの地域の多くが、独立運動や宗教紛争のためにきわめて政情不安定な状態であり、実際問題としてここ当分は共同探索・収集の実施は困難であろう。

表2 インドネシア糖業研究所における
サトウキビ遺伝資源保存リスト(1998年)
属・種/品種・系統 保存点数
Erianthus
Saccharum edule
Saccharum barberi
Saccharum robustum
Saccharum sinense
Saccharum officinarum
Saccharum spontaneum

その他、不明・未同定
Saccharum spp.hybrids
POJ系統
PS系統
海外導入系統
育種素材系統
158
3
26
86
28
309
129
103

516
110
373
5,760
合計 7,601点

写真3 サトウキビの防疫圃場
サトウキビの防疫圃場
圃場はフェンスに囲まれている、
右手前は灌漑用の井戸
 今回、マドゥラ島の沖にある小島、プテラン島のサトウキビ防疫圃場 (パスルアンから車で1日行程) も訪問した (写真3)。この隔離栽培のための防疫圃場は、パスルアンにある糖業研究所の作物保護グループが管理している。インドネシアでは過去に新品種の導入により病気が侵入し、多大な被害を受けた歴史がある。また、広い国土の中にはそれぞれの地域に特有な病害もあることから、国内各島間のサトウキビの移動にも厳しい制限が加えられている。防疫圃場はサトウキビ栽培地帯からは遠く離れたプテラン島にあり、面積は約1haである (ジャワ島本土との間に横たわる大きな島、マドゥラ島においてもサトウキビは全くといっていいほど栽培されていない)。海外から導入した品種はすべてこの圃場において隔離栽培され、2年間の検定 (2年目は株出し栽培) の後、パスルアンの糖業研究所に送られる。通常は現地雇用のスタッフ1名と圃場労働者2名で管理しており、検定のために時々、パスルアンから研究者が派遣される。筆者が訪問した時にはオーストラリアから受け入れた250系統 (オーストラリアとの間で黒穂病に対する抵抗性を検定するという共同研究を実施中)、ガイアナの5系統、バングラディシュの3系統の隔離栽培を行っていた。



その他、サトウキビに関する研究全般について

 パスルアンの糖業研究所では、この他に育種グループに属するバイテク研究室、作物保護グループの病害及び虫害研究室、プロセス研究室を回って話を聞いた。バイテク研究室ではカルスを経由した培養苗の大量増殖について研究していた (無病苗を作る、また種苗の増殖効率を高める目的で)。また、虫害抵抗性や耐干性の形質を付与することを目的に、外来遺伝子導入による形質転換系開発 (アグロバクテリウム法による) の研究にも取り組み始めていた (写真 4A、B)。
 虫害の研究室では主にメイチュウやアオドウガネの効果的な防除法開発に取り組んでおり、現在は特に生態的防除法や天敵利用の防除法に力点をおいて研究していた。
 プロセス研究室では、1日当たりのサトウキビ圧搾能力が1トンというミニ製糖プラントを見たが、これは非常に興味深いものであった。研究だけでなく様々な目的に利用可能なもので、わが国の研究施設にも是非欲しいものである。

写真4 インドネシア糖業研究所のバイテク実験棟
実験棟全景
A. 実験棟全景
大量増殖試験中のサトウキビ培養苗
B. 大量増殖試験中の
サトウキビ培養苗

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PTPN11ジャテイロト製糖工場

 インドネシアの製糖工場のほとんどは PTPN (State Owned Plantation Company:PT. Perkebunan Nusantra) と呼ばれる国営企業体により運営されている。東ジャワのスラバヤ一帯はこの国営企業体 PTPN 11の管轄となっている。PTPN 11の持つ製糖工場のうち、パスルアンから東へ車で2時間ほどのところにあるジャティロト製糖工場を訪問した (写真 5A、B)。
 ジャティロト製糖工場は1884年設立の古い工場であり、製糖工場とアルコール製造工場が併設されている。工場がある地点は海抜30m、年平均気温は25〜27℃、年平均降水量は1,800mmである。工場は独自にサトウキビ農場を保有しており、毎年5,200haの面積から収穫したサトウキビを原料として使っている。その他、地域の農家の圃場9,200haで栽培されたサトウキビも原料として搬入される。1日の原料圧搾能力は7,000トンで、1日平均粗糖500トンを生産している。ここでもバガスはボイラーの燃料として燃やしており、フィルターケーキは堆肥などの原料に、また糖蜜はアルコールや MSG (Monosodium Glutamate、グルタミン酸やその他調味料の原料として用いられる) の原料として活用していた。併設されているアルコール工場では操業期間中は日量14,000リットルのアルコールを生産している。インドネシアの製糖期間はおおむね5〜12月である。しかし、近年はサトウキビ作付面積の減少に伴う原料不足から工場の操業が9月、10月ころに終わってしまうところもあるという。今回の訪問時には工場はまだ稼働しており、原料の搬入から、粗糖の袋詰め出荷まで見ることができて幸運であった。インドネシアの製糖工場では設備・機械の近代化が大きな課題であるという話をあちこちで聞いたが、この工場の設備もかなり古いものであると感じられた。
 この工場には小規模ながら研究施設があり、土壌肥料、病虫害及び組織培養による種苗の大量増殖についての試験を行っていた。このうち組織培養の実験室では、研究員と技術者合わせて5人で、ガルス培養系を利用した種苗の大量増殖に取り組んでいた。

写真5 ジャティロト製糖工場
製糖工場の本館
A. 製糖工場の本館
ヤードへの原料の搬入
B. ヤードへの原料の搬入

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バリ島における調査

 糖業研究所育種グループの Dr. Lamadji の案内で2日間バリ島内におけるサトウキビ栽培状況について調査した。ジャワ島東端の町からフェリーでバリ島西端の町ギリマヌクヘ渡り、その後、島の北海岸をシンガラジャヘ向かい、シンガラジャから中央高地を横切ってデンパサールヘ至るという経路である。ギリマヌクから南海岸沿いを40kmほど東へ行ったところにヌガラという町があり、ここの農業普及関係機関でサトウキビ栽培に関する情報を得た。バリ島内に製糖工場はなく、サトウキビは生食用、ジュース用として栽培されているという情報を日本で得ていたのだが、ジュース用のサトウキビ栽培についての良い情報は得られなかった。その代わりにバリ島でも製糖用サトウキビの栽培が小規模ながら行われていることが分かった。栽培はバリ島西部周辺地域に限られているという。このヌガラ周辺のサトウキビ作付面積は全体で1,500haほどである。訪問した大きなサトウキビ農家の作付面積は約50ha、かつては100haほど栽培していた時期もあるという。バリ島には製糖工場が無いため、ここで栽培したサトウキビは船でジャワ島に送る必要があり、輸送コストの高さが問題となっていた。そこで現在は製糖工場へ搬入するだけでなく、一部は自分で圧搾し、含蜜糖を製造・販売していた。含蜜糖の製造はサトウキビ畑のなかに簡単な小屋を建てて行っていた。圧搾からジュースの濃縮、含蜜糖の製造までを3人の労働者で行っており、1日当たりのサトウキビ原料処理能力は1.5トンである。できた含蜜糖は1kg当たり2,500ルピー (2000年9月当時の交換レートは1円=70〜80ルピーであるから、1kg当たり30〜35円ということになる) でバリ島内において販売しているとのことであった (写真 6A、B)。
 今回、ジュース用のサトウキビを大規模に栽培している農家は見つけることはできなかった。しかし、車で走っていると道路沿いのあちこちの家で庭先に植えられている太径のサトウキビを目にした。地元で聞いた話では、バリ島において庭先に植えられているサトウキビは、ジュース、生食用というよりは、どちらかというと宗教的儀礼において飾り物、お供物として使われているのではないかということであった。

写真6 バリ島での含蜜糖の製造
サトウキビの圧搾
A. サトウキビの圧搾
ジュースの濃縮
B. ジュースの濃縮

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終わりに

 先にも述べたが、インドネシア糖業研究所はサトウキビ研究者の間では、歴史的な由緒ある研究所として知られている。オランダ統治時代の1887年に創設され、サトウキビの人工交配育種法を最初に開発、導入したほか、これまでに POJ 2878をはじめとする世界的な優れた品種を数多く育成してきている。現在、日本において栽培されているサトウキビ普及品種のほとんどのものが、そのルーツをたどっていけば、19世紀末から20世紀初めにかけてインドネシア糖業研究所で交配された系統の後代である。近年においては、様々な事情からあまりめざましい活躍というのは聞かれないが、今回、この歴史的な研究所を訪問して得たものは大きかった。もう1つ、インドネシア糖業研究所を語る上で忘れてはならないのが、研究所の歴代所長のなかに日本人がいるということである。インドネシアは第2次世界大戦中の1942年から1945年まで日本の軍政下におかれたが、この間1943年から1945年までの3年間は日本人の Dr. Yukio Okada が所長を務めている (それまでの所長はすべてオランダ人で、インドネシア人が所長となったのは1949年の独立以降である)。その他にも研究所の幹部として4名の日本人研究者が台湾糖業試験場からこの地へ来ている。戦時下の混乱した状況下でほとんど研究をする余裕などはなかったのであろう、研究所の110年史にもこの間の研究活動に関する記載はない。

引用文献
1) 理科年表、国立天文台編、第71冊、1997、丸善
2) 海外砂糖情報1995. 4. P80-84、精糖工業会
3) One hundred and ten years of service, 1997, Indonesian sugar research institute




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