[2000年6月]
ロシアにおいては、連邦経済の不振から農業生産は減少傾向をたどり、砂糖輸入量は増大傾向を示している。ロシアの経済動向並びに輸入関税政策如何は、砂糖輸入量及び世界砂糖相場に大きな影響を及ぼすことから注目に値する。
こうしたロシアの経済情勢と砂糖をめぐる動きについて、ロシア農業経済に詳しい釧路公立大学の柴崎教授に、プーチン政権誕生の背景及び政策を交え執筆していただきました。今後のロシア情勢を見る上での基礎知識となるものと思います。
はじめに
3月26日のロシア大統領選挙の第1回投票で過半数を獲得したプーチンが当選し、5月7日に正式に大統領に就任した。首相のひんぱんな交代、92年以降の急激な経済の縮小傾向、98年8月の金融危機の発生など政治的不安定さと経済不振のなかでエリツィン政権は退陣し、国民の大きな期待のなかでプーチン政権が誕生することとなった。ここでは91年12月の旧ソ連邦の崩壊以降のロシアの経済動向と関連させつつ、国内のてん菜糖生産の急減傾向と、特に、99年における砂糖輸入の急増等の問題点を抱えるロシアの砂糖をめぐる動きをみることとする。
プーチン政権登場の背景
ロシアは92年以降、計画経済から市場経済への移行を目指す経済改革を実施しているが、計画経済から受け継いだ経済の各分野での独占体制に手をつけないままで実施された価格の自由化、国家補助金の削減、民営化の実施などは、想像をこえる経済の縮小傾向をもたらした。すなわち、91年から98年の間に国内総生産は39.4%、工業生産は50%、農業生産は40%もそれぞれ大幅に減少することとなった。このような経済不振のなかで、各方面から国家の支援を求める要請が強まり、国家の歳出は増大したが、徴税体制の不備もあって税収等の国家歳入は、歳出を大きく下回ることにより巨額の財政赤字が生じた。92年から94年までは主としてルーブルの増刷により対処したためハイパー・インフレーションとなり、経済をさらに混乱させることとなった。95年からは財政赤字の補填をIMF等の国際機関からの借り入れや国債の発行で対処することとなったが、それは償還能力を考えずに節度を逸した規模で行われ、ついに98年8月17日に内外債務の一部の支払い猶予やルーブル・レートの維持の放棄等の決定を行ったことにより金融危機を招来することとなった。ドルに対するルーブルの交換レートは、98年8月14日の6.4ルーブルに対し、2000年4月13日には28.56ルーブルとこの間に78%もの大幅な切り下げとなった。ルーブルの大幅な切り下げにより、99年のロシア連邦の予算収入はわずか220億ドル程度となり、このため、99年の初めに1,414億ドルとなっているロシア政府の対外債務の返済(99年における要返済額は175億ドル)をほとんど不可能なものにするとともに、西側より資金を借り入れることにより高利回りのロシア国債の購入で利益をあげていた多くのロシアの銀行を破産させることとなった。
ロシアの財政基盤が脆弱な理由は、徴税能力が弱体であることに加えて、財源の多くを共和国等の地域に移譲したためでもある。ソ連邦崩壊の混乱に乗じ、タタールスタン共和国等の天然資源に恵まれる地域は、ロシア連邦からの独立の動きをみせたが、これに対処するため、ロシアは、有力な地域にはかなりの財源を移譲することとなった。これにともない地域(共和国、地方、州等)には農業分野を含めて経済政策の実施の権限の多くが移管されることとなった。例えば、地域農業の振興や基本的食料の安価で安定した供給のための補助金の多くは、地域が実施しているが、その結果としての安価な食料や不足しがちな食料については、各地域が域外への流出を防ぐ措置を講じている。このため、ロシアは、物、人、資金が自由に移動する経済空間ではなく、多くの細分化された閉鎖的な経済空間によって分断されるという状況を導き出している。
ロシアが経済的に弱体となったことにより、NATOの拡大や、コソボ問題への同じスラブ人であるセルビヤに対する武力制裁を回避できなかったこと等により、ロシア人の屈辱感が高まっていたが、チェチェンに対し、強い態度で対処したプーチンに対する国民的人気は一挙に高まり、99年12月の下院選挙はプーチン派の勝利となり、前述したように2000年3月の大統領選でも第1回で当選を決定した。プーチンは、すでに、下院で第2次戦略兵器削減条約(START-II)や包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准させることより、核軍縮分野で積極的な外交活動を行うとともに、チェチェン問題でこじれた西側との関係改善にも意欲を示している。
プーチンは、「強力なロシア」再建のためには「強力な国家権力」の確立が不可欠と主張する一方で、「人類の普遍的原則」である市場経済と民主主義を定着させるために、市場経済化を推進すると述べている。大統領選に当たっては、敵をつくることによって支持層を減らすことを回避するため、政策は抽象的な表現にとどめ、具体的な内容を明らかにしてこなかった。このため、本年4月の初めに、イギリス人の大手対露投資会社の社長が述べたように、「我々は依然としてプーチンがどんな人物で、何をするつもりなのか分からないままでいる」状況にある。今後の内閣人事や具体的な経済政策の発表を慎重に見守る必要がある。しかしながら、前述したように経済規模が縮小し、多くの深刻な問題を抱えるなかで、北海道庁並みの予算で弱体なロシアの財政基盤のもとでは、多くの困難が予想され、極めて高い国民の期待に答えるのは至難な状況にある。プーチンは、実務的に、ロシアの国益を守ると考えられ、99年の砂糖の輸入増大で困難な状況に陥った砂糖産業からの要請に応えて、関税措置等の保護政策を強化する可能性があるであろう。
ロシアの農業事情
表1は、ロシアの主要農産物の生産動向を示したものであるが、90年代の経済全体の縮小傾向のなかで、農業生産も、また、大きな減少傾向を示した。
表1 ロシアの主要農産物の生産動向
(単位:100万トン) |
品 目 |
1992 |
1993 |
1994 |
1995 |
1996 |
1997 |
1998 |
1999 (速報値) |
穀物(調製後)
てん菜
ヒマワリ
バレイショ
野 菜
食肉(と体重量)
牛 乳
鶏卵(10億個) |
106
25.5
3.1
38.3
10.0
8.3
47.2
42.9 |
99.1
25.5
2.8
37.7
9.8
7.5
46.5
40.3 |
81.3
13.9
2.6
33.8
9.6
6.8
42.2
37.5 |
63.4
19.1
4.2
39.9
11.3
5.8
39.2
33.8 |
69.3
16.2
2.8
38.7
10.7
5.3
35.8
31.9 |
88.6
13.9
2.8
37.0
11.1
4.9
34.1
32.2 |
47.9
10.8
3.0
31.4
10.5
4.6
33.2
32.6 |
54.7
15.2
4.2
31.2
12.3
32.1
33.3 |
|
出所:ロシア国家統計委員会 |
このような農業生産の大幅な落ち込みは、価格上昇率が農産物生産価格よりも農業用投入財の方が大幅であったという価格シェーレ問題、農産物の小売価格中の農業生産者の取り分の急低下、国家の農業支持の急減のもとで、農業投資や農業用投入財の購入量の急減、砂糖や畜産物等の輸入の増大による国内生産者への悪影響等のためである。
独占体制にある農業の上流と下流の部門は、価格の自由化のもとで、農業生産者に工業製品を高く売りつけるとともに、農業生産者から農畜産物を安く買い付ける行動に出た。このため、92年から97年の間の価格上昇率は、農業生産手段や農業へのサービスの価格が9,000倍だったのに対し、農産物の生産者価格は2,000倍の上昇にとどまり、また、食肉、牛乳、パンの小売価格中の農業生産者の受取額の比率は91年の77〜85%に対し、98年には25〜51%へと低下した。このような状況のなかで、農業企業のうち損失を計上したものの比率は、92年の14.7%に対し、94年には55.0%、98年には83.1%となった。主要農産物の収益率(収益の原価に対する比率)は低下し、例えば、てん菜では、予算からの補助金や補償金を考慮しても、92年の95%、93年の109%に対し、94年には42%、95年には39%、96年には7%と急低下し、97年には5%の損失率となった。農業生産手段の価格は、短期間でほぼ国際価格並みとなったが、これは生産性の高い西側先進国の状況下で形成されたものである。例えば、てん菜のha当たり収量が99年においてフランスの12.61トンに対し、1.69トンにしかすぎないロシアでは先進国並みの農業生産手段を購入しても採算に合わないものであった。このため、農業全体としての購入量は、91年から96年の間に、例えばトラクターでは13万台から1万台へと減少し、また、化学肥料(有効成分100%換算)では、1,010万トンから159万トンへと減少した。機械の保有台数は減少するとともに、その老朽化が進み、適期に農作業を行うことが困難になった。化学肥料の施用の減少は、特に、てん菜のha当たり収量を92年の1.78トンに対し、98年には1.33トンにまで低下させ、99年には天候条件が改善されたにもかかわらず1.69トンの低い水準のままにとどまらせるとともに、その作付面積を90年の146万haから98年には81万ha、99年には91万haへと減少させることとなった。
ロシアの財政基盤の脆弱化により、その予算に占める農業向けの支出の比率は、91年の19%に対し、99年には0.8%へと低下し、農業部門は、連邦予算からの支持をほとんど期待できない状況にある。
ロシアの砂糖をめぐる動き
1.てん菜及びてん菜糖の生産
90年代に入って、ウクライナとともにロシアにおけるてん菜の作付面積とその収量の減少が世界的な注目を集めている。すなわち、ロシアにおけるてん菜の作付面積は、91年の140万haに対し、その後、一貫して減少傾向を示し、98年には81万haとなったが、99年には90万haへと若干の増加を示したものの、それでもなお91年の水準よりも36%も少ないものであった。一方、てん菜の収量も、91年の2,430万トンから98年には1,080万トンへと減少し、99年には若干増加し1,520万トンとなったものの、それでもなお91年に比し、37%減となった。この結果、ヨーロッパ計に占めるロシアの比率は、91年から98年の間に、てん菜の作付面積では、20.8%から15.0%へ、砂糖生産量では7.4%から4.8%へとそれぞれ顕著に低下した。
表2は、てん菜の収量、単位面積当たり収量、作付地への肥料の施用状況をみたものである。前述したようにてん菜の収益率は90年に入って顕著に低下し、予算からの補助金や補償を考慮しても97年には損失を出すものとなり、その後も、安価な粗糖の輸入の急増によって大きな打撃を受けているとみられること、有機肥料や化学肥料の施用量が減少したこと、及び、作付面積の減少により生産は減少傾向を示した。特に、98年には、6月から8月初めの異常な高温と乾燥した天候と低水準の施肥水準により甚大な干ばつの被害を受け、98年のてん菜の収量は1,080万トンと、最近40年間で第2に低いものとなった。一方、99年のてん菜の収量は、主要地域で7月以降の天候条件に恵まれたことや、作付面積が増加したことにより、対前年比40%増の1,520万トンとなった。なお、98年と99年において、てん菜の含糖率は、17%と16.3%、歩留りは13.13%と11.93%、ha当たり産糖量は13.3トンと16.9トンであった。政府は、2000年において、作付面積を100万haにまで増大させ、てん菜の収量を1,600万〜1,700万トンに増大させることを目指している。
表2 ロシアにおけるてん菜の生産動向
項 目 |
単 位 |
1993 |
1994 |
1995 |
1996 |
1997 |
1998 |
1999 |
作付面積 |
1,000ha |
1,333 |
1,104 |
1,085 |
1,060 |
933 |
810 |
900 |
収 量 |
100万トン |
25.5 |
13.9 |
19.1 |
16.2 |
13.9 |
10.8 |
15.2 |
ha当たり収量 |
トン |
19.1 |
12.6 |
17.6 |
15.3 |
14.9 |
13.3 |
16.9 |
作付地への有機質 肥料の施用 |
トン/ha |
3.8 |
4.4 |
4.3 |
3.1 |
2.4 |
1.6 |
|
作付地への化学 肥料の施用 |
kg/ha (有効成分100%換算) |
247 |
150 |
120 |
127 |
125 |
112 |
|
|
出所:ロシア国家統計委員会 |
2.砂糖の供給
表3は、白糖の需給動向をみたものである。てん菜から生産される白糖生産は、93年の251万トンから98年には124万トンへと大きな減少傾向を示した後、99年には152万トンと若干の増加を示したものの、93年に比すれば4割減であった。一方、砂糖の消費量は、93年から98年の間に450万トン台から470万トン台と比較的安定していたが、99年には512万トンに増加したとみられる。国産のてん菜からの砂糖の生産の減少傾向を補ったのは、白糖輸入の増加であった。白糖の輸入は、旧ソ連の崩壊後の混乱により93年には72万トンと低水準であったが、94年には221万トンへと増加したものの、その後、安価な粗糖におされて一貫して減少し、99年には30万トンとなった。粗糖の輸入は、96年以降顕著に増大し、この結果、輸入した粗糖から生産された白糖の生産量も、95年の106万トンに対し、96年には156万トン、97年には242万トン、98年には350万トン、99年には531万トンへと急増した。白糖の需給は、97年まではほぼ均衝していたのが、98年や、特に、99年には、過剰供給となった。98年以降、世界的な砂糖価格の低迷により、ロシア向けの粗糖の輸出は急増した。98年8月にはロシアの金融危機により、ルーブルの交換レートが急落し、ロシアの銀行の多くが倒産し、輸入代金の決済に支障をきたすと考えられたので、ロシアの輸入は全体として減少したなかで、粗糖輸入は輸入価格の急落により、大方の予想に反して金融危機後も急増することとなった。
このような安い粗糖の輸入急増は、国内の砂糖価格を低下させた。すなわち、国内での白糖のトン当たり価格は、98年8月には500ドルだったものが、同年9月には300ドルへ、さらに、99年2月には150ドルへと低下した。また、輸入した粗糖のトン当たり平均価格も、2000年1月〜2月において249.2ドルから158.1ドルへと低下した。
表3 ロシアの白糖の需給動向
(単位:1,000トン) |
項 目 |
1999 |
1998 |
1997 |
1996 |
1995 |
1994 |
1993 |
てん菜からの白糖の生産 |
1,519 |
1,240 |
1,338.1 |
1,708.4 |
2,062.5 |
1,657.6 |
2,507.2 |
輸入した粗糖からの白糖の生産 |
5,308 |
3,500 |
2,418.8 |
1,560.8 |
1,063.8 |
1,033.1 |
1,374.7 |
白糖の輸入 |
300 |
475 |
944.5 |
1,434.7 |
1,779.4 |
2,213.0 |
721.0 |
白糖の利用可能量計 |
7,127 |
5,215 |
4,701 |
4,704 |
4,906 |
4,904 |
4,603 |
白糖の輸出 |
200 |
|
|
211.1 |
128.3 |
83.9 |
0.07 |
白糖の消費 |
5,120 |
4,650 |
4,740 |
4,790 |
4,560 |
4,588 |
4,600 |
人 口 (100万人) |
(146) |
146.3 |
146.7 |
147.1 |
147.5 |
148.0 |
148.4 |
1人当たり消費(kg/年) |
(35.0) |
31.8 |
32.3 |
32.6 |
30.9 |
31.0 |
31.0 |
|
出所:F. O. Licht,“International Sugar and Sweetner Report”, April 16, 1999及び1999年については、Agra Food : East Europe, March, 2000、なお、( )内は人口を1億4,600万人と仮定して試算したものである。 |
3.ロシア政府の関税政策
このような粗糖輸入の急増による国内での価格低下は、てん菜の栽培者や砂糖工場の経営を圧迫した。国内関係者の保護を求める要請の高まりを受けて、政府は、表4でみるごとく、99年には、白糖や粗糖の輸入に対し、基本関税率の引き上げや45%の季節関税を導入し、その後も、関税による保護の強化を図っている。このような努力にもかかわらず、極めて安価な粗糖の輸入により、季節関税による保護は結果として不充分であることが判明することとなった。政府は、ロシア連邦法の改正や通商上の国際的義務との調整が必要であるが、2001年からは、関税割当の制度を導入し、ロシアの必要とする輸入は確保するとともに、それ以上の過剰輸入については禁止的な高関税を課することを検討中と伝えられる。
表4 ロシアにおける砂糖に対する関税の推移
|
粗 糖 |
白 糖 |
基本関税+季節関税 |
計 |
基本関税+季節関税 |
計 |
1997年 |
7月 |
1% |
1% |
25% |
25% |
8月 |
1%+45% |
46 |
25%+45% |
70% |
9月 |
1%+45% |
46% |
25%+45% |
70% |
10月1〜17日 |
1%+45% |
46% |
25%+45% |
70% |
10月18〜31日 |
5%+45% |
50% |
30% (kg当たり0.12ユーロを下回らない)+45% |
75% |
11月 |
5%+45% |
50 |
同 上 |
75% |
12月 |
5% |
5% |
〃 |
75% |
2000年 |
1月 |
5% |
5% |
〃 |
75% |
2月 |
5% |
5% |
30%(kg当たり0.12ユーロを下回らない) |
30%(kg当たり0.12ユーロを下回らない) |
3月 |
5% |
5% |
30%(kg当たり0.12ユーロを下回らない) |
同 上 |
4月1〜28日 |
5% |
5% |
25% |
25% |
4月29日〜6月14日 |
5%+10% (特別関税) |
15% |
30%(kg当たり0.12ユーロを下回らない) |
30%(kg当たり0.12ユーロを下回らない) |
6月15日〜12月15日 |
5%+10%+40% |
55% |
45%(kg当たり0.15ユーロを下回らない) |
45% (kg当たり0.15ユーロを下回らない) |
|
出所:F. O. Licht,“International Sugar and Sweetner Report”, June 25, 1999及びInterfax. |
99年における大量の輸入により、2000年の初めには、ロシアは、白糖ベースで880万トンもの在庫を持っているが、これは国内の必要量の500万トン強を大きく上回るものとなっている。さらに、2000年1月〜2月の粗糖の輸入は91万トンと前年同期の58万トンを57%も上回る高水準の輸入が続いている。これは、輸入業者が4月29日から6月14日の間に実施される10%の特別関税とその後の6月15日から12月15日の間の40%の季節関税が課せられる前にできるだけ多くの在庫を持とうとしているためである。
莫大な過剰在庫の存在の故に、国内の砂糖価格は低迷し、国内の砂糖関係者の収益悪化だけでなく、輸入の魅力も低下しているのではないかとも考えられ、世界最大の砂糖輸入国のひとつとなったロシアの今後の輸入動向が注目されている。
4.砂糖工場の現状
ロシアの砂糖工場は、99年において93工場が存在し、1日当たりのてん菜の加工による砂糖生産能力は27万4,600トンであった。しかしながら、国内のてん菜の急激な減産傾向の故に、原料不足に悩まされ、99年においてもてん菜からの砂糖生産を行ったのは83工場にとどまり、しかも、その稼働率は46%という低いものであった。残りの10の工場は原料不足のため操業をしなかった。
政府の財政・金融の全体的な引き締め政策がとられるなかで、砂糖工場の多くもてん菜の買取資金が欠如していたこともあって、栽培者と委託加工契約を行っており、生産された砂糖の収益は工場と栽培農業企業との間で60:40あるいは70:30で分けられている。この工場の受け取り分は、工場の製造コストをカバーするように定められている。したがって、生産された白糖の約40%は、農業企業によって非常に安い価格で地方市場向けに販売されているが、これはてん菜栽培の農業企業が、燃油や種子の購入のための債務を返済するための方法のひとつとなっている。
原料不足に悩む砂糖工場の活路のひとつは、輸入した粗糖の精製を行うことであり、このような精製施設を持つ工場は増加して2000年の初めには80工場となり、そのうち72工場が操業を行っていた。これらの精製工場の粗糖の加工能力は、1日当たりで300トンから1,000トンであり、その製造コストは、99年5月時点で包装資材のコストを含めて、トン当たり34〜40ドルであった。砂糖工場の多くは、粗糖の精製を行わなければ経営を維持することができない状況にある。
輸入糖の急増により、白糖の卸売価格は、トン当たりで、99年12月には6,200〜7,200ルーブルであったが、これは前年同期の1万ルーブルを大幅に下回った。このような価格低下は、砂糖産業の財務状況を困難な状況にとどまらせた。生産の増大と輸入糖の価格の急落により、99年には6億8,160万ルーブルの利益を計上したにもかかわらず、2000年の初めにおいて債務は、対前年同期比で38%増の52億ルーブルに達したのに対し、債権は53%も増加したものの16億ルーブルにとどまり、全体として債務超過の状況にとどまった。
5.砂糖の需要動向
国民1人当たりの砂糖の消費は、90年代の初めの45kgから90年代の後半には約32kgにまで低下したが、この水準で安定化していた。食品工業の生産は急減し、例えば、93年における糖菓類の生産は90年に比し48%も減少した。90年代の初めにおいて、砂糖の工業的使用は、年間で150万〜170万トンと全体の消費の約30%を占めていたが、食品工業での砂糖使用は70万トンから80万トンも減少したとみられる。しかし、含糖食品の輸入の増加により、工業使用の減少はかなりの割合で代替された。しかしながら、98年8月の金融危機によるルーブルの交換レートの急落で、輸入される含糖食品の価格は禁止的な高水準になったため、国内製品への需要が増大し、食品工業での白糖の利用は50万トンから70万トンも増加したとみられる。
ロシアは、旧ソ連時代からも密造酒づくりが盛んで、砂糖消費の約10%はこのために使用されたとみられる。市場経済移行期においても、政府は、税収の確保のためアルコール類の製造を厳格な管理下におくとともに、その輸入関税も高められた。このため、安い低品質のアルコール類が不足し、密造とこのための砂糖利用も増加したとみられる。
99年1月〜7月において、国民の実質所得が25.7%も減少したが、砂糖価格も低下し、国民にとって砂糖は依然として安いものにとどまったため、その消費も安定している。
過剰在庫をかかえたロシアの砂糖の輸入や消費がどのように変化するかが注目されている。