[2002年8月]
札幌事務所
てん菜輸入品種生産力検定試験等現地調査が実施された
北海道立十勝農業試験場 |
7月2日(火)、3日(水)の両日、社団法人北海道てん菜協会の主催により、てん菜育成系統及びてん菜輸入品種の生産力検定試験並びに予備試験に対する現地調査が、北海道立十勝農業試験場、独立行政法人農業技術研究機構北海道農業研究センター(以上芽室町)、日本甜菜製糖 (株) (帯広市)、北海道糖業 (株) (本別町)、北海道立北見農業試験場(訓子府町)、ホクレン農業協同組合連合会(女満別町)の各試験ほ場において、行政、研究機関、てん菜糖業者等の参加で実施された。
今年の検定試験の供試品種は、予備試験で選抜されたてん菜育成系統3品種(北海8 3号、北海86号、北海87号)及び輸入品種9品種(H129、H132、H133R、HT21、HT22、HT23、KWS0213、KWS0116、KWS1R13)と比較対照品種となっている。
北海道で栽培されているてん菜の品種は、予備試験でてん菜育成系統品種及び輸入品種のなかから有望な品種として選抜された後、生産力を比較する生産力検定試験、気象・土壌の異なる地域の適応性についての現地検定試験、耐病性、抽苔(花をつけるための薹が立つこと)の有無などの一般特性検定試験、そう根病抵抗性検定試験などを経て、試験結果の優れた優良品種として認定されたものである。
これらの試験は優良品種として申請するための基本データとなるので、十分な精度が要求されている。今回の現地調査ではこれらの試験が適切な栽培管理がなされているか、湿害や干ばつの影響を受けていないか等を専門家によって調査された。調査結果は生育もほぼ順調で、特に問題点は指摘されず精度の高い試験が期待できる。
名古屋事務所
東海農政局による消費者の部屋
〜「甘味」 を正しく理解していますか?〜
展示の様子 |
平成14年6月5日から27日まで、名古屋市にある東海農政局では「天然から作られた甘味、砂糖と異性化糖の紹介」をテーマに、甘味を正しく理解してもらうための展示を行った。この展示は東海農政局と当事業団の共催で行ったもので、今年で6回目を迎えた。
砂糖・異性化糖製品、原料作物、製品の種類・製造方法を図解したパネル等の展示を行ったほか、砂糖と糖化製品の身近な用途を実感してもらうため、砂糖と糖化製品を利用したサンプル製品の配布を業界団体及び砂糖・異性化糖製造事業者の協力により行った。
特にサンプル製品は来場者への人気も高く、すぐになくなってしまうほどの盛況ぶりであった。
砂糖と異性化糖をはじめとする糖化製品の共同展示は、一般消費者にとっては一見すると特異な組み合わせであるようだ。しかし会場に展示されている実物の原料、パネル、模型、パンフレットから甘味の果たす多彩な役割を改めて感じているようで、来場者からは「展示がとても分かり易かった」、「ダイエットに関する誤った知識を払拭するためにも、多くの消費者に観ていただきたい」等の感想が聞かれ、今回の展示による来場者の認識の変化が十分に感じられた。
大阪事務所
料理学校の1年生に 「砂糖について」 の特別授業
講師を勤める新光製糖 (株) の社員 |
6月17日から19日までの3日間、大阪市の中之島にある辻学園調理技術専門学校において、1年生約450人を対象に「砂糖について」の特別授業が行われた。同授業は新光製糖株式会社が同校から講師の依頼を受けて年1回行われており、今年で3年目を迎える。
授業は、1.砂糖のできるまで、2.砂糖の種類、3.調理上の砂糖の役割、4.砂糖の歴史、5.砂糖のPR、という内容で行われた。
砂糖の種類では、糖種ごとに、色の濃淡、結晶の大小が異なり、それぞれ甘味に違いがあることが説明され、原料糖・三温糖・グラニュ−糖・上白糖・中ザラ糖などを、生徒達が実際に手に取って実物を確認できるような形式で進められた。また、「砂糖が白いのは漂白されているから」 といったことについては、それが全くの誤解であることが説明された。
授業中の模様 |
調理上の砂糖の役割では、精糖工業会制作ビデオ 「砂糖の調理化学」 が上映され、砂糖が料理に甘味をつける他にコクやテリを出すのに不可欠であること、腐敗防止の役割を果たすことなどの説明が行われた。
砂糖のPRでは、「カルシウムが溶ける」、「キレやすくなる」 といったことが、科学的に根拠のないことであり、逆に疲労回復に役立ち、脳の栄養源であることが説明された。
講義を聴く若き調理師やパテシェの卵たちの目は真剣で、彼らが将来、砂糖について正しい認識を持ち、砂糖の需要増進の一翼を担うことを期待してやまない。
岡山出張所
岡山名物吉備団子の変遷について
〜懐かしの味に砂糖が貢献〜
昔の手作りの味を追及し、岡山産の もち米で作った「むかし吉備団子」 |
岡山は『桃太郎伝説』の発祥の地であり、吉備団子もこの地で連綿 (れんめん) と作り継がれてきた。
その最たる由縁は吉備津彦命 (きびつひこのみこと) による 『温羅 (うら) 退治』 神話であり、この中に老漁夫が命 (みこと) に 「きびだんご」 を献上し、それを命 (みこと) は喜んで食べたといういわれが残っている。
また、岡山が古くから黍の産地であったことも 『桃太郎伝説』 の大きな要因となっている。
吉備団子が、茶菓子として登場したのは安政3年(1856年)で、その以前にも吉備団子が存在し、かき餅のように四角い形状をしており、通常の食べ方は、黍の粉で作られ砂糖入りの餡をつけたり、汁をかけて食していた。
しかし、茶菓子や土産物には使用できず、日持ちの悪さが唯一の欠点であったことから、防腐効果及び酸化防止効果を高めるために、砂糖の量を増やしたり材料を変えたりするなど試作の日々が続いたといわれている。
その丹念な試作の結果、もち米の粉に砂糖、水飴を混ぜて柔らかい求肥 (ぎゅうひ) にし、黍 (きび) 粉を加え、現在の吉備団子とほぼ同じ製法が完成された。
この製法を世に送り出したのが、廣榮堂の創業者である武田浅次郎氏であり、備前岡山藩池田家の筆頭家老で茶人の伊木三猿斎 (いきさんえんさい) の指導で茶席用の上品な求肥菓子を作りあげたといわれている。
その後岡山の吉備団子が一気に全国に知られたのは明治28年(1895年)の日清戦争終戦の年である。戦地から兵隊が宇品港に次々と引揚げてきた際、武田浅次郎氏は桃太郎の衣装をまとい、「鬼が島を征伐した桃太郎の皆さん、故郷へのお土産に吉備団子をぜひどうぞ」と大宣伝した。その頃兵隊は故郷を離れる時、親戚や知人から5銭、10銭の選別をもらっていたので、そのお返しの土産に1箱5銭の吉備団子が飛ぶように売れたという。これがきっかけで、岡山名物吉備団子が全国へその名を馳せることになったとのことである。
最近では、当時の吉備団子を復活させて消費者を懐かしい味に導いている。
桃太郎の像 |
この吉備団子は、地元で生産した農産物を地元で消費(地産地消)する考えの中から、岡山市高松地区の農家と契約栽培されたもち米を主原料としている。その製法は、もち米に水飴、米飴、砂糖(白双糖)を加えて練り上げ、最後に風味づけに黍 (きび) を加えて作られている。砂糖(白双糖)を使用することによって、あっさりとした後に残らない甘さに仕上がり、夏場には砂糖(白双糖)を増やすことによって防腐効果を高めている。懐かしの味の追求に様々な材料が使用され、砂糖がこの味に大きく貢献しているといっても過言ではない。
また、岡山県東粟倉村の後山から湧き出る清澄な自然水を使用しており、この水がおいしい吉備団子作りに一役買っている。
今回取材に応じていただいた、武田浅次郎の4代目に当たるという全国銘産菓子工業協同組合理事長 武田修一氏は、「浅次郎が始めて吉備団子をお菓子として世に送り出した時は、まだまだ砂糖は貴重なものであり、砂糖を使用してお菓子を作れる喜びは大きかったことでしょう。現代においても砂糖は欠かせない材料の1つには変わりありません。最近、砂糖は虫歯や肥満の原因と言われております。しかし、お菓子、佃煮及び煮物には大切な材料です。我々国民が砂糖の本当の良さを理解し食生活を見直す必要があるでしょう。」と語っていた。
そして、銘菓 『吉備団子』 の繁栄を祈念している熱心な姿勢がうかがえた。
福岡事務所
徳之島の平成14/15年期の生産見込(平成14年6月10日現在、南西糖業株式会社農務部調べ)によると、農家戸数は前期よりも26戸増加し3,858戸、収穫面積も前期を381ha上回り、4,059haに増加し、平成5年以来の4,000ha達成が見込まれている。(表1)
こうした収穫面積拡大に貢献している徳之島のさとうきび大規模農家で組織する徳之島さとうきびジャンプ会(大竹精一会長、会員31名)とこのジャンプ会の中心メンバーで、4年連続さとうきび生産1,000トンを達成した優良農家を紹介する。
定例会の開催
ジャンプ会定例会の模様 |
平成14年度第1回定例会が去る6月25日(火)、伊仙町中央公民館において、ジャンプ会の会員、徳之島3町の担当課職員、南西糖業株式会社等の関係者約70名が参集し開催された。定例会は、南西糖業株式会社當好二農務部長(徳之島さとうきびジャンプ会事務局長兼務)の進行のもと、大竹精一会長より 「今期は、前期を上回る236,700トン(原料処理量)を生産することができて大変うれしい。今後とも会員の皆さんの意見を聞きながらジャンプ会を良い方向に発展させていきたい」 と挨拶があり、南西糖業株式会社枇榔哲二徳之島事業本部長からは 「平成14/15年期は、春植え目標面積を大幅にクリアし、収穫面積が4,000haを超える見込みになっておりうれしいかぎり。ジャンプ会の皆さんは1人平均400トン程度生産されているが、トントン拍子で生産量を増やしていってほしい」 と会員を激励した。その後、天城町役場森田弘光農政課長より天城町瀬滝出身の林利廣新会員の紹介があった。
林氏の近年の収穫面積及び生産量は、11/12年期4.1ha・230トン、12/13年期5.3ha・229トン、13/14年期9.7ha・530トンと年々増加しており、自己資金でハーベスタを導入し、さとうきび作りに熱心に取り組んでいるところである。ジャンプ会への入会動機は、大規模化を進めていく上で、単収や栽培技術等の問題に直面することがあり、営農技術上の問題を情報交換しながら単収アップや品質の向上につなげたいためとしている。なお、息子さんも就農しており、後継者は既に確保されている。これまで畜産を中心にやっていたが、今後はさとうきび作りを主体とした複合経営でがんばっていきたいとしている。
定例会は、その後 「法人化で魅力ある農業経営を!」 と題して鹿児島県農業会議農政課坂口浩一主事より、これからの農業経営者としてのあり方や法人設立にあたっての留意点などが説明され、会員の方も熱心にメモを取るなど意気込みが感じられた。その後、質疑応答があり、閉会となった。
4年連続1000トン収穫達成会員誕生
ジャンプ会の会長大竹精一氏は、平成10/11年期から4年連続で1000トン収穫という鹿児島県奄美群島初の快挙を成し遂げている。平成6年に農業生産法人有限会社大竹興産(鹿児島県大島郡伊仙町阿三2261)を立ち上げて、息子の勝人氏(39歳)が代表取締役となり、さとうきび作専業経営でさらなる経営規模の拡大に向けて親子で日夜奮闘している。以下、勝人氏のさとうきび作のこだわりや苦労話を取材したので紹介する。
(有) 大竹興産の農業従事者は、本人、精一氏、母、奥さんの4名から成り、その他農繁期の12〜5月には、2名(夫婦、200トンきび生産農家)を収穫作業専門に雇用している。収穫機械に慣れているためここ数年同じ人を雇用しており、今後とも引き続き雇用していきたいとのことである。
全茎式プランターの生みの親
今でこそ徳之島におけるさとうきびの植付け作業は、機械植えが主流となっているが、10数年前までは手植えであった。勝人氏も当時手植えをしていたが、8月の植付け作業は暑くて大変であり、同じ畦に肥料投入、農薬投入、調苗、覆土等の作業を歩きながら何回も往復していた。これではあまりに非効率で体力的にも負担になるため、畦立てをしながらさとうきびを同時に植え付けできればと思い、トラクターの改良に自ら取り組んだ。当初は発芽がうまくいかないなど問題が多かったが、苦労を重ねて改良を行った。こうして蓄積したノウハウを機械メーカーに提案することにより、現在主流となっている全茎式プランターの開発・普及に貢献した。
なお、取材したこの日も、伊仙町役場担当課、南西糖業(株)関係者、伊仙町きび生産農家が集まり、勝人氏が考案中の除草剤散布試作機の実演会を開催するなど、省力化機械の開発・改良に力を注いでいる。
労働時間の割り振りの工夫
さとうきび作りにおいて作業が集中するのは、12月から4月中旬にかけての収穫作業、2月末から3月にかけての春植え作業及び植付け前のほ場の準備作業、夏植えの最終培土作業、株出し管理作業(根切り、施肥、中耕等)で、4つの作業が集中する2月から5月にかけてが繁忙期である。昨年からこの時期の夏植えの最終培土作業を前倒しして、収穫前に終わらせているが、夏植え生育途中に肥料切れを起こして成長のスピードが鈍化する恐れがあるため、それまでの緩効性肥料ロング140日タイプから、270日タイプの肥料に変更することにより、翌年の夏まで肥料切れを起こさず成長させるように工夫している。しかし、まだ作業が集中しているので、さらに作業を分散できないか思案しているとのことである。
今後の経営目標等
将来的には現体制(家族4名+期間雇用2名)で、現在の経営規模23ha、生産量1000トンから30ha、1200〜1300トンを常時生産できるような営農システムを構築していきたいとしている。そのための方策として、(1) 無駄な作業がないか常に考え行動する、(2) いかに楽に効率よく作業ができるか常に考え行動する、(3) 島の昔からのことわざや先輩たちの言葉を大事にし農業に取り組む、(4) ジャンプ会会員との技術交流はもちろんのこと、他島の大規模農家とも情報交換を積極的に進め、収穫面積の拡大、さとうきびの増産につなげ、農業経営の安定を図っていくとしている。大竹氏の14/15年期の収穫面積(見込み)は18.55haとなっており、伊仙町のここ数年の平均単収(平年作)で算出しても5年連続1000トン収穫が達成される見込みであり、徳之島ジャンプ会の若きリーダーとしてますますの活躍が期待される。(表2)