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地球の平和と人類の幸せを支えるお菓子(お砂糖)

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最終更新日:2010年3月6日

砂糖類ホームページ/国内情報


今月の視点
[2000年10月]
 砂糖をふんだんに使ったお菓子は、ただ単に甘いだけではなく、歴史の舞台では外交手段として活躍してきました。デザートのお菓子は、食事のフィナーレを飾る豪華な演出の役割を果たすのみならず、主催者のもてなしの度合いを表わすバロメーターであり、自国の芸術性や文化度をアピールする機会であると言えます。
 こうしたデザートの歴史とお菓子への思いを今田美奈子氏に執筆していただきました。こうしたデザートの位置付けは、一般の家庭にも言えることなのかもしれません。大切なお客様をもてなす気持ちを手作りのデザートで表現できたらどんなによいことでしょう。是非一度試してみて下さい。

今田美奈子食卓芸術サロン 主宰 今田 美奈子


世界平和は食卓外交のフィナーレを飾るデザートによって保たれてきた
祝祭日のお菓子は幸せを分かち合う人生の宝
砂糖離れのダイエット流行は問題
砂糖は天使の贈り物。学校から帰った子供には 「甘食」 を
ロマンティックな貴婦人のドラマが私と砂糖の出会いだった
著名人のウエディングケーキの話題が日本のシュガーケーキを活気付けた
暮らしを大切にする時代が訪れ、甘味の文化や夢がよみがえろうとしている


世界平和は食卓外交のフィナーレを飾る
デザートによって保たれてきた

 人々は日々の暮らしを楽しみ、大切にするようになりました。経済の低迷に伴い、公私ともに外での食事の機会が減ったこともあり、家庭に人々の心が向けられるようになったからです。食卓を中心にしたテーブルセッティング(テーブルウェアの並べ方)の展覧会が盛況で、そうした著書にも人気が集まっています。そして、そこに必要なお菓子や料理の作り方を学ぶことも盛んです。
 “もてなすこと”が日常に根付き、健全な暮らしが育ちはじめています。折しも沖縄サミット開催があり、国際外交の舞台をつとめるまでに日本も発展できました。新刊「正統のテーブルセッティング」(講談社刊) を出版したことで、私はこのサミットを支えた知事・市長などの夫人達に講演を行いにアメリカ総領事館の招きで沖縄に出かけました。この時、個人的もてなしは勿論、公式に賓客を迎えるに当たって、最も大切な食卓外交のポイントは、何と言っても最後のしめくくりであるデザートに工夫をこらすことだと伝えました。デザートのお菓子は、食事のフィナーレを飾る華麗な演出の役割を果たすのみならず、主催国や主催者のもてなしの度合いを表わすバロメーターであり、自国の芸術性や文化度をアピールする機会であるからです。実際、食卓外交の歴史をふり返ってみると、19世紀、ドイツのビスマルク首相の時代のバウムクーヘンシュピッツ(バウムクーヘンを三角型にカットしチョコレートでコーティングしたもの)や、オーストリアのメッテルニヒ宰相がおかかえコック、E. ザッハに命じて考案されたチョコレートケーキのザッハトルテなどが政治外交の宴席で話題になり、今もその国を代表する名菓として世界中に知られています。また、同世紀、帝政ロシアで生まれた数々の栗のデザートは、コックのムイが作製したもので、優柔不断で気まぐれなアレキサンドル王に仕えた外相、ネッセルロードの長きにわたる政治外交の舵かじ取りを支えた名作のデザートです。今日も、世界中で、ネッセルロードの名が冠されて味わわれています。
 塩味の料理のあと、自然に体が要求するのが甘味であったことと、お砂糖が貴重で価値のある存在であったことで、お菓子を口に入れる喜びは格別でした。これらの名菓を作ったシェフ達の名声は高まり、そのお菓子の力により、国際外交は成功し、戦争をはばみ、まさに、お菓子は世界平和を維持していく平和のモニュメントとなりました。今もこの習慣は続いています。

バウムクーヘンシュピッツ
バウムクーヘンシュピッツ
ザッハトルテ
ザッハトルテ
ガトー・ネッセルロード・ア・ラ・クレーム
ガトー・ネッセルロード・ア・ラ・クレーム

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祝祭日のお菓子は幸せを分かち合う人生の宝

 一方、一般の人々にとり、お菓子は、中世の昔からの言い伝えやしきたりで、季節の区切りの祝祭日をお互いに祝い合うものとして生まれています。1年の収穫を終えた越冬にはキリストの誕生を祝うクリスマスのお菓子の数々。また、春を謳歌するイースターは、キリストがよみがえった奇蹟の祝いを重ね、とびはねる兎や卵、ひよこを型どったチョコレートや卵をふんだんに使ったタルト菓子などを作り、喜びを周囲の人々と分かち合います。
 こうして各時代にもてはやされ、また、人々の暮らしに根付いて、愛され続けてきたお菓子は、幾世紀にもわたり同じ名前と姿形で伝承されてきました。これを伝統のお菓子と呼び、ドイツ、オーストリア、スイス、フランスなど、各国の国立や私立の製菓学校で指導されています。また老舗の菓子店で売られ、家庭で母から子に伝えられています。私はこれらの学校に短期間ずつ、たびたび出かけているうち、ヨーロッパ各国でこうして愛いつくしまれているお菓子について知り、作れるようになることは、国際時代を迎える未来、女性の教養として身に付けるべきであると考えるようになりました。お菓子の著書の出版他、お菓子の展覧会を全国有名百貨店で開くようになり、その都度、多数の入場者を迎えるようになりました。一般の人々に指導する教室を開くようにもなり、30年近くになります。

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砂糖離れのダイエット流行は問題

 国際時代にふさわしい発展ができた反面、昨今、若い青少年達の犯罪が増し、中高生の登校拒否が問題を投げかけています。
 こうした傾向は、若者が必要以上にダイエットの流行に興味を持ち、母親までが砂糖を遠ざけるようになっていた時期と重なっているように思えます。こうしたことに興味を持たない父親に至っては、「お菓子は女子供のもの」とさげすんでいた古い考えがいまだ改められていないようです。

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砂糖は天使の贈り物。
学校から帰った子供には 「甘食」 を

 砂糖の存在の大切さについて、横浜国際バイオ研究所社長の橋本仁氏は述べています。
 「脳は24時間働いていて、消費するエネルギーは約500キロカロリーにもなり、そのエネルギーの供給がとだえると危険です。このエネルギーを即効的に補ってくれるのはお砂糖です。」
 疲労のひどい時、ブドウ糖の点滴を行うことで分かるように、お砂糖は即効的に疲労を回復させてくれます。同時に、大脳に爽やかな気分を送りこむので素晴らしい発想が湧き起こり、夢溢れるアイディアを生み、おだやかな気分に満たされます。
 おそらく、あらゆる宴席で、昔から甘いデザートでフィナーレを盛り上げ、外交の目的である円滑なお付き合いを成功できたのも、こうした理由に基づいたものと私は思います。
 学校から帰ってくる子供達に「甘食」(甘いお菓子) を出し、その日の出来事に耳を傾けてあげたら、何にも勝る親子の絆を培うことができるでしょう。それがお母さんの手作りのおやつであったら…、子供にとり、生涯忘れ得ぬ思い出となるでしょう。決しておやつは「間食」ではなく「甘食」であることをおすすめしたいものです。
 こうして育った子供達に21世紀の未来を託せたら、日本はどんなに充実した明るい国になることかと、胸がときめきます。

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ロマンティックな貴婦人のドラマが
私と砂糖の出会いだった

 人々を幸福に導く、こんなに素晴らしいお砂糖やお菓子なのですが、声を大にして叫んでも一朝一夕に広く世の中の人々に理解してもらえるものではありません。私自身のお菓子との出会いを振り返ってみます。
クグロフ
クグロフ
 ある日のこと、フランスの美食事典「ラルース・ガストローミーク」巻末の索引を眺めながら、ヨーロッパ各地でよく見かけたクグロフの項目を何の気なしに見ていました。多数の頁が記載されていました。気まぐれにその1つの頁をひもといてみました。すると、そこに1行「18世紀、ルイ16世妃、マリー・アントワネットが非常に好んだためにヨーロッパ中で流行した」と書かれていたのです。私は、とたんに、胸が高鳴り、貴婦人のドラマを通じてお菓子の魅力のとりこになりました。華麗で美ぼうのマリー・アントワネットはぜいのかぎりの生涯を送り、悲劇の最期を迎えたことは知られています。この王妃が、このような帽子をねじってひっくり返したような素朴なイースト菓子を愛しんだことで、歴史のヒロインが急に私達の身近な存在に思えるとともに、お菓子には、それらを愛した人々のドラマが秘められていることに気付いたのです。お砂糖が当時、貴重で価値のある特別の物であったことからも、優雅な貴婦人達が楽しむお菓子として誕生し、高等技術を必要とするコンフィズリー(砂糖菓子のあめ、フォンダン、ジャムなど)を贈り合ったために、ボンボニエール(ボンボン入れ)などの磁器の美術品が生まれ、食卓芸術が盛んになり、フランスのヴェルサイユ宮殿を中心に生活芸術が繁栄していったのでした。私は「貴婦人が愛したお菓子」(角川書店刊) の著書をだし、このお菓子のドラマを展覧会としてこれまでに100回近く開催しました。多数の入場者を記録しています。最近では、多くのお菓子ファンが生まれ、お菓子が身近なものとして、一般にとらえられるようになりました。

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著名人のウエディングケーキの話題が
日本のシュガーケーキを活気付けた

 そうした中で、歌舞伎の中村橋之助さんと結婚した三田寛子さんや若乃花関(現藤島親方)や貴乃花関の夫人などが私のお菓子教室の生徒になり、そうした方々の晴の日のウエディングケーキの製作をてがけました。話題沸騰したため、製菓、シュガーデコレーションケーキなどのお菓子の世界が、全国的に知られ、親しまれるようになりました。お菓子にたずさわる専門家の方々にとってもお菓子の世界が活気付くというお手伝いができたことを心から嬉しく思っています。
 思わぬ偶然の積み重ねですが、1つのことに真っしぐらに夢を持ち続けていくと、必ず、現実にみのりをみることをお菓子を通じて発見しました。数えきれないほどたくさんのお砂糖やお菓子が私にもたらした面白くて珍しいエピソードを綴ったエッセイ「天使に出会った不思議なお話」(テア刊) を7月に出版しました。
 甘いお菓子が注目され、はばをきかせる時代は繁栄の時代であり、活気に満ちています。17〜18世紀にかけてのフランスを中心としたヴェルサイユ朝の栄華はもとより、19世紀、市民権を得たお菓子は広く市民階級に支持され、モネやマネなどの近代絵画の全盛時代を産みました。こうした絵画を部屋に飾る楽しみだけでなく、それを鑑賞しながら、食卓外交が盛んに行われ、公私ともに経済的繁栄をみたのです。デザートに力を入れざるをえない所には豊かな経済的繁栄があったのでした。
 第2次世界大戦後、みごとなスピードの復興を果たした日本にも、お菓子への憧れや純白の砂糖への思慕が人々の大きなエネルギーとして国家を支えたのでした。

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暮らしを大切にする時代が訪れ、
甘味の文化や夢がよみがえろうとしている

 今、ようやく、人々の気持が自然に家庭に落ち付こうとしています。
 お菓子をお気に入りの器に盛って、家族や親しい友人達と一服のティタイムのひとときをすごしたり、ここ一番の食卓を囲み、しめくくりのデザートで皆をうっとりさせ、お付き合いの輪を広げていくことができたら、どんなに素晴らしいでしょう。多くの方々に、こうした幸せな暮らしのお手伝いができたらと、製菓、シュガー、食卓芸術の授業を東京と神戸で行っているかたわら、講演、執筆、展覧会を今後も続けていくつもりです。
 日本も世界も、甘いお砂糖の力を借りて、平和な人類の交流が保たれ続けていきますように心から願っています。

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「今月の視点」 
2000年10月 
地球の平和と人類の幸せを支えるお菓子(お砂糖)
  今田美奈子食卓芸術サロン 主宰 今田美奈子
砂糖、健康、食習慣・事実と虚構
  ロンドン大学医学部 健康と行動研究室 特別研究員
  医学博士 Edward L. Gibson

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