[2001年7月]
現在世界中で飲用されているコーヒー。その昔一部の地域で 「食」 または 「酒」 として用いられていましたが、アラビアの名医 「ラーゼス」 によって薬として用いられたようです。その後 「焙煎」 という手法が導入され、青臭い液汁から香り高く苦味のある飲料へと変わっていきました。日本へは江戸時代、長崎出島の商館で飲用されていましたが、馴染みにくい飲料に抵抗があったようです。しかし、現在の日本の市場は世界第3位のコーヒー輸入国であり、家庭用の消費が急激に伸びています。また、コーヒーと砂糖は絶妙のコンビ。コーヒーの良い味を引き立てる砂糖は、コーヒーが普及するのに一役買ったようです。
コーヒー誕生
エチオピアのアビシニア高原 (現エチオピア高原) には太古の時代から野生のコーヒーの木が茂り、高原の土壌と気候に恵まれて人知れず自然の営みを続けていたと考えられる。
いつしか人類の目にとまり、西暦1000年ごろのエチオピアでは、コーヒーの実を直接、時には砕いて油を混ぜ団子状に練り上げて食べ、また煮出してスープを作ったりもした。
「食」 の対象として利用される一方、果実を発酵させて 「酒」 を醸す試みもあったが、やがて限られた地域の特殊な利用 (食用、酒用) から離脱し、コーヒーの薬効が発見されるのに至り、世界的飲料に向けて大きく動き始めた。
コーヒーの原産地エチオピアと紅海を隔てて向かい合うアラビア半島は、アラビカ種の名称発祥地であり、栽培史の原点ともいえる重要拠点であった。
アラビア医学の権威ラーゼス (本名ムハンマド・イブン・ザカリーヤー、865〜923) は首都バグダッドにあって、コーヒーの種子を煮出したビール色の液体 (Bunchum) を初めて医療に用い、世界最古のコーヒー文献にその名を残した。またラーゼス没後、アヴィケンナ (本名アブー・アリー・イブン・シーナー、985〜1037) も 「正しく煎じた液はよく澄んで、胃に効果がある」 と唱えた。
このように天恵の植物コーヒーにアラビアの二大碩学(せきがく)は臨床医学の現場からコーヒーを利用し、その真価を世に問う先駆者であった。
寺院から庶民へ
その後コーヒーはアラビアを中心とするイスラム寺院へ及んでいく。寺院には厳しい禁酒の掟(おきて)があったため、酒に変わる新しい飲みものコーヒーを、アラビアの葡萄酒名 (Qahwa) と同名で呼び、僧侶は好んでこれを常飲した。それがエジプト、シリア、トルコへと伝わっても、いずれも門外不出の秘薬として寺院に専有され、儀式・祭礼に欠かせない宗教的飲料とされた。
以降数百年間、コーヒーは閉鎖的なイスラム寺院に匿(かくま)われ、庶民の一般的な飲料とはならなかった。これがいわゆる 「回教徒秘薬時代」 である。
ところが秘薬時代の末期には 「焙煎(ばいせん)」 という手法が導入された形跡がある。すなわちアラビアのメッカ、メディナでは土製や鉄製の原始的な焙煎器が使われたと考えられる。
生豆(なままめ)食用から焙煎飲用へ、コーヒーは火の 「洗礼」 を受けて、過去のビール色の青臭い液汁から琥珀色の芳香と苦味をもつ新飲料へと華麗な変身を遂げたのだ。
15世紀半ば、アデンの寺院で初めて豆を煎(い)って煮出す本来のコーヒーが一般公開されるや、人々はその魅惑の香味を、寺院のみが独占することを許さなかった。コーヒーは堰(せき)を切ったように瞬く間に周辺イスラム諸国に浸透していった。
その後のコーヒーの行く手は必ずしも平穏ではなかった。カイロ、ダマスカス、コンスタンチノープル (現イスタンブール) へと普及するに伴い、コーヒーは回教徒の麻薬だとして排撃され、飲用禁止令やコーヒー店閉鎖など数々の苦難に遭遇した。
アラビア生まれの素朴なコーヒーは歴史の推移とともにトルコの風土に磨かれ、第一次分布圏 (アラブ・トルコ圏) から、いよいよ第二次分布圏 (ヨーロッパ圏) へ旅立つことになった。これがコーヒーの伝播以来、勃興しつつあったヨーロッパ資本主義・植民地経済とともに、国際商品として世界に広がる礎となったのである。
日本へはいつ、どこへ
慶長5年 (1600) のオランダのリーフデ号来航を機に、慶長14年、オランダ東インド会社からの商船が平戸港に入り、続いて慶長18年にはイギリス商船も平戸港に来て、平戸にイギリス商館を開設し、各国が日本市場における貿易戦争を展開する情勢を形づくった。
家康は先着の南蛮人よりも遅れて来航した紅毛人(こうもうじん)に対して保護政策を講じたが、慶長17年 (1612) に 「キリシタン禁止令」 を打ち出し、元和9年 (1623)、スペイン、イギリスに対して鎖国令によって日本への門戸を完全に閉ざしてしまった。また同年、イギリスは貿易競争に破れて帰航し、寛永元年 (1624) にはスペインからの来航も禁止された。
こうして鉄砲伝来以降、足繁く来航したヨーロッパ (スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ人) のうち、最後まで日本に残ったオランダ人については、寛永18年 (1641)、ポルトガル人の跡を継いで出島にオランダ商館を移転させた。そして世は完全な鎖国時代に突入し、周知のとおりオランダ人は約200年間を狭い長崎出島で過ごすことになる。
初めてみた異国飲料
長崎出島は家光が長崎港内の一部を埋め立てて造成させた人工島で、現在は陸続きであるが、当時は長崎湾に扇形に突出し、普段は入口の門は固く閉ざされ、周囲に高さ3mの塀をめぐらし、1本の石橋だけで長崎の町とつながっていた。
カピタン以下10名余りの館員は隔離された生活の中で、長崎奉行の許可なく外出することは禁じられ、一方、出島に出入りする日本人に対しては奉行所の許可が必要で、出入りが認められたのは特定の僧侶・役人・商人・蘭通詞 (日本人のオランダ通訳)、それに遊女だけであった。
そのような交流のなかで、通詞はオランダ人が飲むコーヒーに接する機会は少なからずあったと推測される。現に 『ツンベルグ日本紀行』 (山田珠樹訳、聡南社) にも、「2、3の通詞がようやく珈琲の味を知るのみ……」 と記されている。
文化元年 (1804)、日本人による最初のコーヒー飲用体験記 『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』 (大田蜀山人(おおたしょくさんじん)) はあまりにも有名である。
「紅毛船にて 『カウヒイ』 というものを勧む。豆を黒く炒(い)りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくして味ふるに堪(た)えず」。
蜀山人は江戸時代の戯作者、儒学者、文化人で料理にも造詣が深い幕臣であるが、彼にしても極めて飲みづらい 「異国飲料」 に違いなかった。
アラビアで育ち、ヨーロッパで成熟したコーヒーは、西洋における肉食文化の一端を担い、料理のよきパートナーとして無理なく各地に順応できた。それに対し、農耕文化の淡白な食生活に慣れた江戸時代の日本人には、まだ適応しにくい飲み物であった。
日本古来の伝統と文化に支えられ、生活に密着していた日本情緒豊かな 「緑茶文化」、その前に突如現われた刺激的な苦味と強いアロマを放つエキゾチックなコーヒーは、当時の日本人には生理的にも、心理的にも違和感を与えたようである。
江戸時代の中期から末期に至っても、まだ日本人のコーヒー飲用量ははかどらず、さしたる進展もないまま時代は経過していった。
すでに16世紀末のヨーロッパではコーヒーが広く民衆のものとなりつつあり、栽培事業が展開されようとしていた。大田蜀山人の 「焦げくさくして味ふるに堪えず」 とした時代に、フランスでは新しい抽出器具を開発し、近代コーヒー技術の第一頁が華々しく開かれ始めていた。
コーヒーの著述活動
ただここで、日本コーヒー史について見落してはならない 「活動」 があったという事実に触れておきたい。
渡来異邦人との交流の中で蘭学熱が高まり、それが西洋文化への旺盛な好奇心と探求心を刺激した。そして、閉鎖と拘束から開放と自由が芽生え、さらに (茶の文化で培われた) 日本人特有の器用さ、繊細さ、ひたむきさという内に秘められた熱いエネルギーが、コーヒーを直接飲みものとして利用することよりも、コーヒーを手掛かりとして異国文化を吸収しようとする方向に働いた。それは 「飲用史」 や 「栽培史」 ではなく、いわば 「著述史」 とでも称すべきものへの情熱であり、飽くなき執念であった。江戸時代の先人が蘭学を通して、辞書の編纂や地理、芸術、科学、世界史を学び、さらに国境なき世界の飲料コーヒーに対しても膨大な資料の翻訳活動に挑んだ。続いて医学、通詞による見聞記、海外漂流記、渡航者の日記が後を追い、知識面での研究レベルは飛躍的に進歩し、欧米各国を凌ぐほどであった。
そのようにしてわが国の 「コーヒー黎明期」 は鎖国から開国へ、旧態を捨てて新時代明治の 「コーヒー啓蒙期」 へと引き継がれていくことになった。
輸入大国・日本
コーヒーは世界的規模でみると石油に次ぐ巨大な国際的貿易商品で、いま日本はアメリカ、ドイツに次ぐ世界第3位のコーヒー輸入大国である (輸入量600万袋・1袋60kg換算)。
わが国の場合、過去長い期間、コーヒーは喫茶店で飲むもの、コーヒー=喫茶店と、直結して捉えられ、喫茶店主導型でコーヒーの普及と需要を支えてきた。
それに対し、アメリカの消費動向は家庭消費が70%、喫茶店やレストランなど業務用が30%で、消費の主導権は完全に家庭が占め、日常の市民生活の中にコーヒーがしっかりと根づき、暮らしと共にあった。
遅ればせながら日本のコーヒー消費動向も変化し、主流は業務用 (喫茶店、レストラン、ファーストフード店など) だが、2位は家庭用でこの20年間の家庭の消費量は倍増し、1千億円市場を形成し、コーヒーが家庭に定着したことを物語る。第3位は工業用 (缶コーヒー、インスタントコーヒー、ボトルコーヒーなど) の加工飲料としてコンビニやデパートなどでなじみのブランドが賑わいを見せている。
それを裏がきするように喫茶店の激減が目立つ。昭和60年には全国で、18万店の喫茶店が平成10年には10万店に落ち込んだ。
総務庁統計局の調査によると昭和56年 (1981) に154,630あった事業所数が、平成8年 (1996) には101,945にまで減少した (表1)。
しかし喫茶店が減少した分だけ消費量が減ったのではない。図1のとおり優位にあった1970年の茶に対し、1985、1997年には逆転しコーヒーの消費は大きく進展し、約60%を占めるに至った。従ってコーヒーは、現在わが国における最も普遍的、日常的なトップ飲料の座を占めている。
表1 「事業所統計調査報告」 による喫茶店の事業所数、従業者数
年次 |
事業所数 |
従業者数 |
昭和41年 (1966)
昭和44年 (1969)
昭和47年 (1972)
昭和50年 (1975)
昭和53年 (1978)
昭和56年 (1981)
昭和61年 (1986)
平成3年 (1991)
平成8年 (1996)
|
27,026
43,812
73,651
92,137
120,776
154,630
151,054
126,260
101,945
|
139,821
204,179
298,672
350,967
444,902
575,768
529,540
456,774
366,270
|
|
注) 平成8年は総務庁統計局 「平成8年事業所・ 企業統計調査報告」 による。 |
図1 嗜好飲料(緑茶、紅茶、コーヒー)の消費状況(嗜好飲料の国内消費量)
1970年 S45年 |
1985年 S60年 |
1997年 H9年 |
|
|
|
飲み方の多様化・分散化
コーヒーは嗜好飲料だから多分に習慣性があり、多くの人がほとんど毎日、きまった量を、きまった飲み方で利用している。換言すれば、各個人が最近の健康志向や嗜好の多様化と相まってコーヒーを使い分けている傾向が見られる。
日本ほどコーヒーが消費者の様々なニーズに応じて多様化している国はない。飲み方だけに限らず、飲む場所についても、かつて外食と共にあった20数%のコーヒーの消費が家庭に大きくその座を譲り、さらに職場や学校、駅、乗物、路上 (自販機)、その他へと分散している (図2)。
ライフスタイルの変化に伴って嗜好の多様化、食用パターンの分散化が見られるなかで、消費者がどのようにコーヒーを選ぶか、コーヒーの選択理由を調べてみよう。
表2のように、インスタントコーヒーの特徴は簡便性と価格、常備性が、缶コーヒーは携帯と価格が、そしてレギュラーコーヒーの場合は香味とリラクゼーション、満足感が大きな要因となる。
図2 コーヒーの飲用場所
|
全日本コーヒー協会 Coffee Break 44より |
「外食」には、喫茶店、コーヒーショップ、レストラン、ファーストフードが含まれる。
「その他」とは、乗り物の中、自動販売機の置いている場所を示す。 |
表2 種類別コーヒーの飲用理由
単位:% |
|
インスタント |
レギュラー |
缶コーヒー |
液体コーヒー |
味 |
味が好き 本格的な味がする |
28.8 3.2 |
16.0 |
47.8 50.1 |
49.0 (2) |
18.7 1.8 |
10.3 |
14.1 1.4 |
7.8 |
香り |
香りが好き 本格的な香りがする |
16.3 3.2 |
9.8 |
65.9 49.4 |
57.7 (1) |
3.8 1.2 |
2.5 |
2.6 0.7 |
1.7 |
簡便性 |
手軽に入れられる 後始末が簡単 |
73.5 19.5 |
46.5 (1) |
7.0 1.4 |
4.2 |
15.7 33.0 |
24.4 (5) |
22.5 26.9 |
24.7 (4) |
携帯性 |
どこででも飲める 持ち運びが便利 |
13.9 5.1 |
9.5 |
2.6 0.5 |
1.6 |
65.1 42.2 |
53.7 (1) |
28.3 22.4 |
25.4 (3) |
値段 |
値段が手軽 |
37.9 |
37.9 (2) |
6.1 |
6.1 |
33.9 |
33.9 (3) |
31.5 |
31.5 (2) |
楽しさ |
色々な味・香りが楽しめる 自分でブレンドできる 自分で入れるのが楽しい |
7.8 12.5 8.3 |
9.5 |
25.6 18.3 18.3 |
20.7 (5) |
10.2 0.6 0.7 |
3.8 |
5.5 1.8 0.7 |
2.7 |
効能 |
体がスッキリする 眠気ざましになる 疲労・回復等に効果がある 健康・美容によい |
10.9 31.1 13.5 3.5 |
14.8 |
15.6 28.8 18.1 7.0 |
17.4 |
6.7 18.4 8.3 1.1 |
8.6 |
4.0 8.5 4.5 1.6 |
4.7 |
情緒性 |
リラックスできる 豊かな気分が味わえる |
33.1 4.7 |
18.9 (5) |
44.9 34.0 |
39.5 (3) |
16.2 2.2 |
9.2 |
8.6 1.2 |
4.9 |
常備性 |
自宅にいつもある 場・学校にある どこででも買える |
57.7 21.5 13.7 |
31.0 (3) |
28.2 11.9 3.1 |
14.4 |
6.7 17.1 67.8 |
30.5 (4) |
11.3 8.3 33.3 |
17.6 (5) |
習慣 |
習慣になっている |
28.8 |
28.8 (4) |
20.5 |
20.5 |
12.7 |
12.7 |
5.5 |
5.5 |
その他 |
喫茶店などでよく飲む |
3.2 |
3.2 |
31.3 |
31.3 (4) |
1.4 |
1.4 |
2.0 |
2.0 |
冷たいコーヒーが飲める |
10.1 |
10.1 |
4.6 |
4.6 |
40.6 |
40.6 (2) |
37.3 |
37.3 (1) |
|
全日本コーヒー協会 Coffee Break 44 より |
注1 複数回答。
注2 ( ) 内の番号は、比率の高い順を示す。
注3 太字数字はグループごとのベネフィット項目の比率を足し合わせて、その項目数で割ったもの。 |
消費量の国際比較
因みに ICO (International Coffee Organization:国際コーヒー機構) の資料から加盟輸入国別の、1人当たりの年間消費量を掲げた (表3)。
アメリカは世界第一の輸入国であるが、生豆換算で年間約4kg。日本は3kg弱で、年間3kg (3,000g) とは300杯、1日単位では0.8杯になる。子供や老人、病人などでコーヒーを全く飲まない人も含めて、平均1日に1カップに満たない量で、世界の17、8位である。
それに対し北欧諸国、例えばフィンランドは実に11kg、日本の3〜4倍ものコーヒー飲用大国で、毎日5〜6杯から10杯ものヘビードリンカーはザラである。デンマーク、ノルウェー、そしてオランダがそれに追随する。日本はフランス (10位)、イタリア (11位)、アメリカ (14位) に及ばない。
表3 加盟輸入国の1人当たり消費量推移 (生豆換算)
(単位:kg) |
暦年
国名 |
JANUARY − DECEMBER |
1992 |
1993 |
1994 |
1995 |
1996 |
1997 |
加盟輸入国の合計
米 国
ヨーロッパ
オーストリア
ベルギー/ルクセンブルグ
デンマーク
フィンランド
フランス
ドイツ
ギリシャ
アイルランド
イタリア
オランダ
ポルトガル
スペイン
スエーデン
イギリス
その他の加盟輸入国
キプロス
フィジー
日本
ノールウェイ
シンガポール
スイス
|
4.81
4.33
5.78
9.19
5.86
11.13
12.26
5.87
8.02
1.86
1.54
4.36
10.08
3.35
4.68
11.31
2.60
3.11
3.13
0.16
2.54
10.29
4.27
8.68
|
4.90
4.50
5.81
10.03
6.52
10.30
13.35
5.73
7.93
0.86
1.82
5.18
9.35
3.81
4.19
11.14
2.61
3.26
6.25
0.16
2.83
9.61
2.23
7.51
|
4.63
4.01
5.55
8.11
4.84
10.48
12.38
5.30
7.53
2.05
2.14
5.00
8.28
3.71
4.28
11.41
2.71
3.35
4.19
0.15
2.92
11.11
8.10
|
4.54
3.98
5.39
7.21
8.31
8.70
8.62
5.48
7.37
2.20
1.78
4.86
8.90
3.38
4.21
8.17
2.25
3.33
3.53
0.30
2.98
9.04
7.97
|
4.63
4.10
5.56
7.91
6.46
9.91
10.56
5.69
7.16
3.56
1.50
4.95
9.84
4.02
4.49
8.78
2.43
3.20
4.14
0.15
2.83
9.77
7.82
|
4.54
4.00
5.46
9.54
2.61
9.18
11.00
5.68
7.15
2.88
1.65
5.08
9.19
3.83
4.63
8.46
2.47
3.15
3.16
0.30
2.91
9.18
5.76
|
|
ICO |
おいしいコーヒーは高品質の原料から生まれる。
広く料理界を眺めてみると厳しい素材選びとそれを生かす料理技術とによって優れた味が創造される。そこには美味、不味の主観を越えた客観性と科学的な根拠があり、個人的な好み (嗜好) だけで論じ切れない深遠な世界がある。
レギュラーコーヒーの場合、「これが私の好み」 と、自分の嗜好を主張するコーヒーが、もし低品質の、ときには化学的に変質したものだとしたら、その判断 (主観) は傾っているとしか言えない。
おいしいコーヒーのための最大の品質的ウエイトは良質な原料にある。これは古今東西不滅の原理である。
そこで、おいしいコーヒーとは何か、さらにおいしいコーヒーに結びつく上手な飲み方にも言及してみたい。
飲み比べて良質を探る。
「味覚の飼いならし」 ということばがある。粗悪なコーヒーを習慣的に飲んでいると、いつまでもそのレベルに停滞し、容易に味の呪縛から開放されない。
上述のとおり、私たちはいつでも、どこでもあらゆるタイプのコーヒーが飲める 「コーヒー天国」 にいるので、意識して TPO で飲み分け、比較してみると、コーヒーの種類によって微妙な品質的・技術的な格差がはっきりと捉えられる。例えば、缶コーヒーの場合、夫婦、恋人、親子、友人と、別々のメーカーのを選んで比較するとよい。缶コーヒーでもインスタントコーヒーでも、最近は極めて質の向上が目覚ましく、ヘタなレギュラーコーヒーよりおいしいものも少なくない。それでも、ピンからキリまで多種多様であって2種類を比較検査するとそれぞれの特徴や長所が非常に鮮明になる。
レギュラーコーヒーについて言えば、良質なコーヒーは新鮮で豊かな香りとコクがありしかも透明感抜群だ。逆に鮮度が落ち、時間の経過によって酸敗した重い味のコーヒーとは味も香りも対照的である。
知って味わう
「理屈は二の次、要するにおいしければよい」 とも言う。それはその通り、と思う。
しかし、あえて付言すれば、コーヒーを 「知って味わう」 そして 「味わって知る」、すなわち 「知る」 ことと 「味わう」 ことは連鎖的に繰り返されるものなので、この2つは鎖の環のように常にリンクされている。
例えば、いま味わう目の前のコーヒーは、一体何か (いつ、どこで、どのように……) を知りたいと思う。味が知を促し、知が味を求めるので、知を追求しつつ味の世界を広げ、かつ深めていくことが出来る。
コーヒーは古来から知を刺激する飲みもの、知ることによって一層味が深まるのである。
理に叶う飲み方
おいしいコーヒーにはそれを裏づける根拠があり、その事実は科学的にも充分証明されている。
(1) 朝のコーヒーと午後のコーヒー
朝のコーヒーはひときわおいしく感じられる。前日から少なくとも10時間以上もコーヒーを飲んでいない上に、人が朝起きたとき、何となく鈍重なのは、神経の緊張と弛緩のアンバランスがあるからだ。
コーヒー中のカフェインは覚醒中枢のある脳幹を刺激し、そのアンバランスを調整し、心身を引き締め、活動的にしてくれる。適量の砂糖がその 「援護射撃」 を果たし、脳にエネルギー源 (ブドウ糖) を送り込む。コーヒーは1日の出発にふさわしい飲み物である。
午後のコーヒーは、いわゆる 「コーヒータイム」 と呼ばれ、もはや世界各国、あらゆる場所で取り入れられている。コーヒーのための20分ほどの休憩が、かえって仕事の質や効率をアップし、心身の安全確保にも役立つことはもはや立証済み。
昼食後、約3時間が経ち、まだ夕食までに数時間を残す 「お三時」 という小休止は、先人の体験が生んだ誠に理に叶う生活の知恵である。体がコーヒーを求めているのだ。
(2) 頭脳労働に欠かせない
適量のカフェインは大脳皮質を刺激し、感覚・判断・記憶・感情の活動を促す。
古くから文豪・芸術家・思想家・学者がこよなくコーヒーを愛飲しつつ偉大な作品を完成し、優れた業績を残した記録は枚挙にいとまがない。読書・受験勉強・執筆・その他様々な研究活動などにコーヒーの満たす役割は非常に大きい。
(3) 全身機能を高める
カフェインの作用は極めて広範囲にわたり脳・心臓・血管・胃腸・筋肉・腎臓などにまで影響を及ぼす。心筋の働きを活発にし血管を広げて血行を盛んにし、代謝機能を高める。筋肉の疲労を和らげ、消化液の分泌を促進する。
腎臓を働かせ体内の余分なナトリウム・イオン (これが水分代謝を悪くする) を排出する効果がある。また利尿作用を高める結果、他の麻酔性、興奮性物質 (麻薬・シンナー・覚醒剤の類) のように体内に蓄積されず、かなり短時間に排出される。
(4) 適量をまもる
どんなに健康に適した食品でも利用の方法いかんでプラスになったりマイナスに働いたりする。まさに毒と薬は紙一重である。
コーヒーは健康的飲料に違いないけれど、適量であってこそ効果が出る。コーヒー1杯 (10g使用のレギュラーコーヒー) 中のカフェインはコーヒーの種類や加工処理法で異なるが、大体100〜150mg、使用原料の1.0〜1.5%に過ぎない。
従ってカフェインが量的に見て問題になるケースは一般的には極くまれであるが、個人差があって例えば胃酸過多症や潰瘍がある場合、カフェインやクロロゲン酸が胃壁を刺激し、かえって症状を悪化させる事もある。それに心臓・腎臓疾患の人、妊婦などは医師の指導を仰ぐ方がよい。どんなクスリも用法・用量のもとでこそ、体に効く。
カフェイン以外にも様々な有効成分が明らかになり、まさにコーヒーは健康のバロメーター、コーヒーがおいしく飲める時は概ね健康状態も良好と言ってよいだろう。
「適量を楽しく飲む」 のがコーヒーとの最も、上手な付き合い方である。
コーヒーのスペシャリストやメーカーの研究員などのカップテスト (味きき) では砂糖を使わない。20〜50種ものコーヒーをテストスプーンですくい上げ、口に含んで吐き出し、口をすすぎ、次々と味をチェックする。
しかし、それはプロによる検査法であって、最終的にコーヒーの良否を決めるのは消費者であり、消費者がおいしいと感じないコーヒーの商品価値は低い。
平均的には半数以上の人々が現に砂糖を入れてコーヒーを飲んでいる。従って砂糖を加えても甘さに流されず、むしろその甘味と調和したコクのある良質の苦味をいかに生み出すかがプロの技術。
一方、良質の苦味は茶の玉露のように微かな天然の甘味を含み、砂糖を必要としない。とは言え、コーヒーと砂糖の関係は所詮、飲む人の砂糖に対す量的受容度の差であろう。良いコーヒーは砂糖を入れても入れなくても不変不動、やはりおいしい。
通人は砂糖を使わない 「ブラック党」 という先入観は禁物で、時と場合で砂糖をうまく使うのも上手な飲み方の秘訣だ。例えば今、ブームのようにいわれる例のエスプレッソ・コーヒー、あの苦味は砂糖なしでは多くの人が飲みづらく、砂糖代わりに甘いビスコッティを食べる人も多い。
結論としてコーヒーと砂糖は絶妙のコンビであり、砂糖がなければコーヒーが、今日、こんなにまで普及しなかったであろう。砂糖はコーヒーの普及を支えたよきパートナーと言ってはほめ過ぎだろうか?
私自身、コーヒーのテスト現場ではブラックで通す代わりに家庭や友人と、街で、または旅行で、コーヒーを飲むときは、その場の雰囲気で砂糖を (時にはミルクも) 入れて楽しく味わうことにしている。
もちろん1日の糖分摂取量の範囲内での話である。
参考文献
・『コーヒー博物誌』
伊藤 博 (八坂書房)
・『珈琲を科学する』
伊藤 博 (時事通信社)
・『珈琲探求』
伊藤 博 (柴田書店)
「今月の視点」 2001年7月 |
●コーヒーの話〜コーヒーと砂糖の上手なつきあい方〜
コーヒーアドバイザー 伊藤 博
●ビート産業の現状と課題
(社) 北海道てん菜協会会長 山口 義弘
|