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てん菜品種の変遷1

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最終更新日:2010年3月6日

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今月の視点
[2002年6月]
 北海道におけるてん菜栽培の歴史は開拓史時代に始まったものの、本格的には第一次世界大戦を契機に発展していきました。当時てん菜の品種は、ドイツやフランスから取り寄せ、北海道に適合するものを選抜していき、育成されてきました。糖分、収量を確保するための努力を重ね今ではヨーロッパをしのぐ生産性の高いてん菜が生産されています。

(社) 北海道てん菜協会 技術部長 黒沢 厚基



1 はじめに
2 北海道におけるてん菜栽培の黎明期より糖分取引まで
  (1) 品種導入の初期〜本育系統の育成
(2) 第2次世界大戦後の外国品種導入
(3) 多胚種から単胚種の転換
(4) 品種と栽培技術の開発による生産性の向上



 北海道におけるてん菜の栽培は、1871年(明治4年)に開拓使によって導入、試作されたことに始まった。その後1880年(明治13年)に伊達、1890年(明治23年)札幌にそれぞれ製糖工場が設立され、この時期に生産された原料てん菜の平均根重が15t/ha,歩留が3.6%程度と低かったため両工場とも採算が取れず、1897年(明治30年)にてん菜栽培は中断された。
 その後、第1次世界大戦勃発による糖価の暴騰と国内生産の不足等の情勢を反映しててん菜糖業が再興され、1919年(大正8年)帯広に製糖工場が設立されて、本格的な栽培が始まった。以後第2次世界大戦中や戦後に規模が縮小された時期はあったが、着実な発展を遂げ、近年は図1、2に示すように栽培面積は約70,000haで推移し、単位面積当りの収量は約55t/haで世界でもトップレベルの水準となった。
 このようなてん菜栽培の推移の中で、栽培技術の改良、新技術の開発とともにてん菜の品種改良はてん菜収量の増加や根中糖分の向上に大いに貢献してきており、これについてはこれまで数多く記述されているが、ここでは、現在までに栽培された品種の変遷について概要を紹介する。
作付面積グラフ 単収グラフ
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(1) 品種導入の初期〜本育系統の育成
 前述のように、北海道におけるてん菜栽培の歴史は、明治4年に開拓使時代の札幌官園での試作に始まるが、種子は内務省が海外より取り寄せた。品種はドイツのクラインワンツレーベン系とフランスのビルモーラン系であった。  品種の導入に当たっては、北海道に適応する品種の選定を行わねばならないが、てん菜の品種比較試験は1906年(明治39年)に北海道農事試験場(札幌市)において初めて行われ、その後、1910年代中頃(大正初期)に至るまで、主にドイツやフランス系の品種が比較され、試作された。1920年(大正9年)にてん菜糖業が再興されたのを契機に、わが国のてん菜育種は1922年(大正11年)北海道農事試験場糖業部で開始された。まず外国品種が多数導入され、適応性検定と育種素材の探索が行われた。この結果、ドイツのクラインワンツレーベン社の種子が多収性としての特性が優れていたため、以後約10年間はこの品種が栽培された。その後、この品種から選抜された系統の中から1929年(昭和4年) 「本育48号」 が育成された。この品種は褐斑病には弱かったが、根中糖分が比較的高く、図3に示すように第2次世界大戦後に至るまで栽培が続けられた。当時の原料畑では褐斑病の被害がひどく、これが作況を支配する主要因であり、褐斑病抵抗性品種の育成が待望された。褐斑病抵抗性系統の選抜は大正末期にはすでに始められていたが、1935年(昭和10年)にクラインワンツレーベン 「ディッペK」 とビルモーラン 「ホワイトフレンチ」 との交雑組合せの中から 「本育192号」 が育成された。この品種は当時としては褐斑病抵抗性に優れていたうえに、収量・糖分ともに良好だったので全道各地で基幹品種として1963年(昭和38年)まで栽培された(図3)。「本育192号」 の育成により褐斑病の被害をある程度回避できるようになり、次の段階として多収性を目的として雑種強勢を利用した品種間1代雑種の育成が実施された。この結果、収量並びに糖量において他に著しく優るものとして 「本育48号」 × 「本育192号」、「北交1号」 (「本育162号」 × 「本育401号」)、「北交2号」 (本育390号」 × 「本育401号」) および 「北交3号」 (「本育191号」 × 「本育404号」) 等が育成され、後に記すGW系統の導入まで2〜4年間栽培された。
 倍数性を利用した育種は1941年(昭和16年)以降約10年間、京都大学、北海道大学、北海道農事試験場および日本甜菜製糖株式会社の協力のもとに3倍体品種の育種が世界に先駆けて進められた。その結果、1951年(昭和26年) 「4398号」(4倍体)×「本育162号」(2倍体)が 「3N−1号」 として認定された。この品種は収量が著しく優れていたが、根中糖分が低く、また採種作業も複雑だったことから試作されたものの、実際に栽培は行われなかった。

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(2) 第2次世界大戦後の外国品種導入
 第2次世界大戦後もてん菜の栽培品種は 「本育系」 が多かったため概して褐斑病に弱く、耐病性品種の育成が急務となった。第2次世界大戦後、海外からの新技術導入が容易になったのを機に再び多数の品種が輸入され、特性検定が行われた。そのなかで 1951年(昭和26年)アメリカのグレートウェスタン製糖会社(Great Western Sugar Company)から導入した 「GW304」、「GW359」、「GW443」 および 「GW476」 は褐斑病抵抗性がきわめて高く、収量も優れていたので、1954年(昭和29年)にそれぞれ 「導入1号」、「導入2号」、「導入3号」、「導入4号」 と命名され優良品種として認定された。このなかで 「導入2号」 は特に多収であったので北海道一円に広く栽培され、1958年(昭和33年)にはてん菜栽培面積の90%を占めるに至り、1965年(昭和40年)頃まで北海道の主要品種であった(図3)。
このように戦後の品種改良の方向も褐斑病抵抗性に重点を置いたものであったが、1960年代中頃になって褐斑病に対し卓効を有する有機錫剤が開発されたため防除技術が著しく進歩し、褐斑病に罹病性のヨーロッパ系品種も再び多数検定された。ヨーロッパから輸入された品種は一般に「導入系統」に比べて収量性及び抽苔耐性に優れていたために急速に栽培面積が増大し、1960年代後半には全道栽培面積の大部分を占めるに至った。1964年にはこれらヨーロッパ品種の中で西ドイツ、クラインワンツレーベン育種株式会社(KWS社)の「KWS-E」並びに 「KWS-ポリベータ」、オランダ、ヴァンデルハーベ社の 「ポリラーベ」、およびポーランド、アレキサンダー・ヤーナス社(AJ社)の 「AJポリ1」 がそれぞれ優良品種に認定された。これらの品種のうち 「KWS-E」 を除く3品種はいずれも2倍体、3倍体、4倍体種子の混在する倍数体品種(anisoploid)であり、最も高い生産力の期待される3倍体の割合は50〜70%であった。

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(3) 多胚種から単胚種の転換
 てん菜の種子は種球であり、1個の種球に通常2〜4個の種子が含まれているものを多胚種と称するが、播種すると2〜4個体が発芽するので、間引きを行い1本立てにしなければならない。この間引きは春作業の中で多くの時間を要していた作業であり、図3にあるMカ−ベポリまでの品種はすべてこの様な多胚の品種である。一方、1個の種球に1個の種子しか入っていないものは単胚種と称し、間引き作業が著しく軽減出来るか、あるいは不要なため、作業労力の軽減に寄与するところが大である。この単胚種は1948年(昭和23年)にアメリカ人のサヴィツキーによりアメリカで発見され、以後育種に利用されることとなった。単胚種の発見に先立ち、1942年(昭和17年)にはアメリカ人のオーエンにより、受精能力を有する花粉を作ることのできない特性を持つ、てん菜の雄性不稔性が発見されていた。この雄性不稔性と単胚性を利用した単胚1代雑種の育種が各国で競って始められが、品種として認定されるまでには数年を要した。わが国で単胚一代雑種が優良品種として認定されたのは、1971年(昭和46年)にヴァンデルハーベ社の 「ソロラーベ」、1972年(昭和47年)にKWS社の 「カーベメガモノ」、1973年(昭和48年)にスウェーデン、ヒレスヘッグ社の 「モノヒル」 等であり、これ以降認定された品種はすべて単胚一代雑種である。
 わが国における単胚性品種の育種は1960年(昭和35年)にてん菜振興会てん菜研究所で開始され、1973年(昭和48年)日本で最初の単胚性品種 「モノホープ」 が認定された。以来次々と単胚性品種が育成および導入され実用化されるようになった。1981年(昭和56年)には単胚性品種の作付面積が90%以上を占め、1986年(昭和61年)にはすべて単胚性品種になった(図3)。

てん菜品種の栽培面積割合の推移グラフ
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(4) 品種と栽培技術の開発による生産性の向上
 このようにてん菜の品種は時代とともに変遷し、進展していったが、栽培面では新技術が開発され大きな変革をもたらした。北海道におけるてん菜の生育期間はヨーロッパの主要栽培地帯に比べ約1カ月短く、これがヨーロッパ並の収量を確保することのできない主要因であった。この短い生育期間を延長するための技術として紙筒移植栽培法が昭和30年代中頃に開発され、その増収性が実証されるにともなって急速に普及し、1986年にはこの方法がてん菜栽培面積の96%を占めるにいたった(図4)。
移植率グラフ
 ヨーロッパの多収品種の導入および紙筒移植栽培法の開発、普及により近年ではヨーロッパを凌ぐほどの収量を挙げているが、原料確保の必要性や、またてん菜の取引が重量によっていたことなどにより多収になる一方で根中糖分は低く停滞していた。
 生産されたてん菜を原料として買い取る際に糖分を考慮する糖分取引制度は、永年にわたりその導入が検討されてきたが、1986年(昭和61年)に実施に移された。この状況の変化にともない高糖性品種の実用化が望まれた。1982年(昭和57年)には従来の品種に比べ高糖分を示す北海道農業試験場育成の 「モノヒカリ」 が優良品種に認定されていたが、1985年(昭和60年)にはこれよりもさらに根中糖分の高い品種として、西ドイツ、KWS社育成の 「モノエース」 が認定された。「モノエ−ス」 はそれ以前の主力品種であった同社育成の 「カーベポリ」 等に比べ、根中糖分が高く、かつ根重の面でも優れていた。
 以上、糖分取引制度の導入まで品種の変遷について記したが、ここでこの変遷を俯瞰的にみる意味で、品種改良の進展を調査した結果を紹介したい。
 やや古くなってしまった結果であるが、昭和63年に実施した試験で、表1に示した1935年(昭和10年)に認定された 「本育192号」 から、糖分取引制度開始前年の1985年(昭和60年)に認定された 「モノエース」 まで、各時代の主要な4品種について、現代の標準的な移植栽培法で実施したものである。
 表1で明らかなように、「本育192号」 とその50年後に認定された 「モノエース」 との収量差はヘクタール当たり実に14トンもあり、根中糖分も収量の高い 「モノエース」 の方が高かった。50年もの永いスパンでみると品種の進展の程がはっきりするとともに、本来負の相関関係にある根重と根中糖分がともに向上していることについては、品種改良に携わってきた関係者の努力がしのばれる結果であった。

表1 各年代の主要品種特性比較試験
品種 認定年 根重 根中糖分 糖量
t/ha 指数 指数 t/ha 指数
本育192号 1935年 昭和10年 34.9 100 16.35 100 5.72 100
導入2号 1954年 昭和29年 37.0 106 15.97 98 5.91 103
カーベポリ 1964年 昭和39年 44.7 128 16.57 101 7.41 130
モノエース 1985年 昭和60年 48.9 140 17.11 105 8.36 146

参考文献
●松村清二著 (1953) 甜菜の3倍体による育種
●北海道総合経済研究所編 (1963) 北海道農業発達史
●北海道農業試験場 (1967) 北海道農業技術発達史
●農林統計協会 (1971) 戦後農業技術発達史
●農業技術協会 (1984) 農作物品種解説
●北海道てん菜協会 (1994、2001他) てん菜糖業年鑑

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てん菜品種の変遷 1
 (社) 北海道てん菜協会 技術部長 黒沢 厚基


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