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サトウキビ新時代

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最終更新日:2010年3月6日

砂糖類ホームページ/国内情報

今月の視点
[2002年11月]

【―奄美大島南部のきび産業再生の可能性―】
 鹿児島県奄美大島南部では1971年に拓南製糖が閉鎖されて以来、南部地域のサトウキビ産業は減少の一途をたどっていました。しかし近年サトウキビ産業に復活の兆しがあり、地域経済にプラスの影響をもたらしています。
 拓殖大学叶教授に同地域に赴いて調査していただき、サトウキビ及び製糖産業が発展するための要因や、同産業が地域経済に与える影響などを調査していただきました。

拓殖大学国際開発学部 教授  叶 芳和


はじめに
1.奄美群島のサトウキビ生産概要
  (1) 近年の変化  (2) 地域別の特徴
2.唯一の製糖工場
3.大島南部のサトウキビ産業
  (1) 遊休地の増加  (2) 住用村に大型借地農家徴  (3) 宇検村のサトウキビ産業
  (4) 瀬戸内町の新しい動き  (5) 加計呂麻島の新しい発展
若干の政策提言


はじめに

 今年8月下旬、奄美大島南部でサトウキビ産業と地域経済の関係を調査した。筆者は先に(本年1月)、鹿児島県下の南西諸島(種子島、喜界島)及び沖縄県(沖縄本島、宮古、伊良部島)の調査を行い、この数年、サトウキビが高所得農業に変貌している実態を明らかにした。ハーベスタ(収穫機)の導入や新品種の導入でサトウキビ農業は大きく変化し、1,000万円農家はザラだ。3,000万円、4,000万円農家もいる。担い手も老人から若者に転換しつつある。こうした実態分析の上に、サトウキビ農業の見直しを提案した(本誌3、4月号参照)。
 さて、奄美大島南部では、1971年4月に瀬戸内町の大型製糖工場が操業を停止以来、サトウキビ栽培も激減した。今回の調査では (1) 製糖工場の消滅後、地域農業はどう変化したか(農業構造、土地利用体系など)、(2) サトウキビ産業の再生の可能性はあるか。(3) きび酢など、新しい形の発展の可能性の検討などを調査した。
 奄美大島南部でも、サトウキビ産業再生の可能性を感じた。ハーベスタ導入による技術革新が各地のサトウキビ産業活性化の一番の要因であるが、大島南部は経営規模の零細性の故、そうした条件に欠けるが、それでも先進的な若者の就農が始まっており、一筋の燭光が見られる。また、消費者の安全性・健康志向を背景に、近年、黒糖やきび酢の出荷が好調であり、需要面でも変化がみられる。市町村行政当局も、そうした動きを背景にサトウキビ産業の見直しに動いており、基盤整備によるサトウキビ生産振興に政策の舵を切った。
 今昔を分けるのは、ハーベスタ普及という技術革新が決定的要素である。サトウキビは省力的な作物である。若者の新規参入があれば、高付加価値の園芸作物や畜産(和牛繁殖)との複合経営も進むであろう。そうなれば、地域の農業所得は倍増しよう。

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1.奄美群島のサトウキビ生産概要
 ― 衰退一途から下げ止まりの兆し ―

(1) 近年の変化
 奄美群島のサトウキビ栽培と黒糖製造は、江戸時代島津藩の奨励により奄美を代表する一大産業に発展し、第二次世界大戦後も国内甘味資源強化政策のもと、昭和40年代前半(1960年代後半)まではかってない速度と規模をもって発展したが、その後は微増ないし減少傾向となった。製糖工場は原料(サトウキビ)の不足により、操業を休止する状態となった(1967年(昭42)6社11工場、5,700t/日→1974年(昭49)5社7工場5,090t/日)。その後も衰退が続きサトウキビの供給不足に伴う製糖工場の消滅の歴史であった。
 この間の典型的な動きを示すのが大島本島南部(瀬戸内町)に立地した拓南製糖の動向である。

拓南製糖
1963年 (昭38) 瀬戸内工場(150トン/日含みつ糖)建設
1964年 (昭39) 同工場(200トン/日)を分みつ糖化
1971年 (昭46) 同工場の操業休止

 衰退の背景は、農家の離農と高齢化である。サトウキビ農業は、従来は収穫作業の重労働を典型に過酷な労働であった。また、経営面積も小さく、50a未満という零細経営が多く、サトウキビ栽培からの収入は小さかった。そのため、後継者はなく、農家の高齢化とともに離農が増え、供給が減っていった。零細経営と収穫作業の過酷さがサトウキビ産業の衰退の要因である。
 しかし近年、その条件に大きな変化が生じている。ハーベスタ(収穫機)の出現である。これで過酷な収穫労働から解放された。沖縄の南大東島ではかなり以前から大型ハーベスタが導入されていたが(1972年)、鹿児島県下でも90年代になって種子島(1993年)に導入され、90年代後半には奄美群島でも導入が始まり(喜界島1998年)、島によって違いはあるがハーベスタの導入率は30〜45%に達している(2001年度現在、ハーベスタ刈の比率)。高齢者はハーベスタに乗らない。ハーベスタの導入に伴い、若者の就農が始まった。また、分業関係も現れた。高齢者は植付けと栽培管理、若者が収穫作業を請負うという構造である。植付けと栽培管理は80才の高齢者でも可能(ちなみに植付け機械もある)。その結果、サトウキビ生産の減少傾向に歯止めが掛かった。従来は、植付け、栽培管理、収穫と一貫であったため、高齢化で収穫作業が困難になると、サトウキビ作からの離農があった。しかし、分業関係の発展によって、高齢者の離農テンポが緩和され、サトウキビ栽培の減少が止まった。こうした動きを背景に、収穫面積が下げ止まり、種子島をはじめ地域によっては上昇に転じている(本誌3、4月号拙稿参照)
 奄美群島でも、この傾向はみられる。表1に示したように、収穫面積は1990年の9,426haから、97年の6,572haに減ったが、99年以降6,900〜7,000haで推移している。急激な減少傾向は止まっている(注・2001年度の前年比減少は徳之島だけの影響)
 行政当局でも、サトウキビ栽培の見直しの動きがある。サトウキビ産業の衰退が一番激しいのは大島本島の南部であるが、瀬戸内町では遊休地を再整備し、サトウキビ生産の振興を図る方向に政策の舵を切った。名瀬市でも2年前からサトウキビ振興策をとっており、小湊地区に残る優良農地をサトウキビ畑への転換を検討している。
表1 奄美群島サトウキビ産業の統計概要(平成13/14年度)
表1 奄美群島サトウキビ産業の統計概要(平成13/14年度)
(出所) 鹿児島県農政部農産課「平成13年度さとうきび及び甘しゃ糖生産実績」(平成14年8月)。
    及び 沖縄県農林水産部同資料。
    農業粗生産額は鹿児島県大島支庁「奄美農林業の動向」 平成12年度版。2000年度(平成12年度)実績。

(2) 地域別の特徴
 奄美群島でサトウキビ生産が今でも盛んなのは喜界島と徳之島である。沖永良部島も比較的盛んであるが、ここは花き栽培が発展しているため、サトウキビは土壌のクリーニング作物という位置づけであって重視されていない。大島本島は笠利町だけが盛んである。
 表3に示すように、サトウキビ収穫面積は1965年から2001年にかけて減少しているが、特に大島本島と沖永良部島は50〜60%の減少である。喜界島と徳之島は小幅減少にとどまっている。
 表4に示したように、サトウキビ依存度は喜界島は65%、徳之島47%と高いが、大島本島は18%と低い。これは耕地条件に左右されている(沖永良部島は花きの発展の影響)。サトウキビは粗放的栽培であり、土地利用型であるため、経営サイズの比較的大きい喜界島や徳之島で盛んになったのである。ちなみに、全農家1戸当たり耕地面積は喜界島268a、徳之島206a、沖永良部231a、与論島112a、大島本島81a(除笠利町61a)と格差がある。
 耕地条件に恵まれない大島本島は一番早くから衰退過程に入り、特に南部の瀬戸内町はサトウキビ生産が激減した。
表2 奄美群島のサトウキビ生産の推移(大島群計)
年度 さとうきび
栽培戸数
(戸)
収穫面積
( ha )
生 産 量
(千 t )
生 産 額
(百万円)
1960 (昭35)
65 (昭40)
70 (昭45)
75 (昭50)
80 (昭55)
85 (昭60)
90 (平 2)
91 (平 3)
92 (平 4)
93 (平 5)
94 (平 6)
95 (平 7)
96 (平 8)
97 (平 9)
98 (平10)
99 (平11)
2000 (平12)
01 (平13)

23,143
18,434
12,443
11,386
11,284
10,871
10,344
9,603
9,290
9,034
8,835
8,610
8,239
8,141
8,154
8,007
7,829
4,550
9,756
9,252
8,435
9,650
9,589
9,426
8,535
8,128
7,632
7,378
7,197
7,015
6,572
6,710
6,967
6,994
6,874
273
603
489
549
628
702
562
579
514
440
449
456
382
384
485
449
394
446
1,502
3,649
3,229
8,767
13,085
15,079
11,544
11,887
10,500
8,973
9,399
9,560
7,883
7,894
9,990
9,617
8,297
9,198
2001/1965 (%) 33.8 70.5 74.0 284.9
(出所) 鹿児島県農政部農産課「平成13年度さとうきび及び甘しゃ糖生産実績」(平成14年8月)。
表3 地域別サトウキビ生産の減少傾向
  きび栽培戸数 (戸) 収穫面積 ( ha )
1965年 2001年 減少率
(%)
1965年 2001年 減少率
(%)
大 島 本 島
(北部)
(南部)
喜 界 島
徳 之 島
沖永良部島
与 論 島
奄美群島計
7,047
(3,753)
(3,294)
2,428
8,081
4,348
1,239
23,143
942
(849)
(93)
777
3,811
1,332
967
7,829
-86.6
(-77.4)
(-97.2)
-68.0
-52.8
-69.4
-22.0
-66.2
1,270
(827)
(443)
1,338
4,291
2,336
521
9,756
591
(556)
(35)
1,134
3,677
870
603
6,874
-53.5
(-32.8)
(-92.1)
-15.2
-14.3
-62.8
15.7
-29.5
(参考) 種子島
鹿 児 島 県
沖 縄 県
7,047
32,166
64,595
3,026
10,855
18,906
-61.2
-66.2
-70.7
2,611
12,860
31,975
2,501
9,376
13,393
-4.2
-27.1
-58.1
(出所) 鹿児島県大島支庁「奄美農林業の動向」 平成12年度版。
表4 サトウキビ依存度(2000年度)
  サトウキビ
生産額
(百万円)
農業生産額
(百万円)
サトウキビ
の比重 (%)
農家一戸当たり (千円)
サトウキビ
生産
農業粗生産
大 島 本 島
笠利町
龍郷町
名瀬市
大和村
住用村
宇検村
瀬戸内町
喜  界  島
徳  之  島
沖永良部島
与  論  島
奄美群島計
638
531
71
1
0
7
9
19
1,652
4,389
920
698
8,297
3,551
1,370
314
902
177
193
181
414
2,558
9,270
9,853
2,147
27,378
18.0
38.7
22.5
0.1
0.0
3.6
5.2
4.6
64.6
47.3
9.3
32.5
30.3
670
689
459
142

531
444
260
2,065
1,114
664
726
1,036
1,295
2,175
918
1,875
725
607
823
816
3,238
2,763
4,979
2,286
2,792
種  子  島
鹿 児 島 県
沖  縄  県
3,920
12,217
16,600
16,381
410,350
90,200
23.9
3.0
18.4
1,308
1,110
878
3,311
3,700
3,430
(出所) 鹿児島県大島支庁「奄美農林業の動向」 平成12年度版。
付論:奄美糖業の沿革
 わが国のサトウキビ栽培と黒糖製造は約400年前、奄美大島大和町で始まったといわれる(中国福建省から伝来)。その後、島津藩の奨励により奄美を代表する一大産業に発展した。
 近代的な製糖業になったのは1950年代後半である。製糖業は、伝統的には畜力、水力、小型動力により日産3〜6トン程度の処理を行う家内工業的なものであったが、昭和30年(1955)に徳之島で新式黒糖工場(処理能力50t/日)が操業開始したのを嚆矢として、各島で新式製糖工場が操業を開始し、サトウキビ生産の振興が図られた。当時は含みつ糖(黒糖)の時代であった。
 その後、昭和34年(1959)には、「国内甘味資源自給力強化総合対策」が打ち出され、"分みつ糖"生産へ移行した。各島で黒糖工場からの転換や新式大型分みつ糖工場(200〜300t/日)の建設が行われた。サトウキビの生産及び流通は、従来の小型黒糖工場中心から大型製糖工場への原料出荷に移行し、農工分離が確立した。
 ところが、一方で、サトウキビ生産が伸び悩み、工場の適正操業率の維持が困難になったため、昭和37年(1962)から製糖企業の経営合理化を図るため、一島一社体制への合併が推進された。さらに、昭和38年(1961)の粗糖輸入自由化に対応して、昭和39年(1964)に「甘味資源特別措置法」、昭和40年に「砂糖の価格安定等に関する法律(糖安法)」が施行され、生産力の増強が図られた。
 このような中で、奄美群島のサトウキビ生産は昭和40年代前半(1960年代後半)まではかってない速度と規模をもって発展したが、その後は停滞ないし減少傾向となった。原料(サトウキビ)の不足により、製糖企業の経営困難は深刻化し、製糖工場が操業を休止する状況となった。この傾向は近年まで続いた。
(沿革に関する以上の記述は鹿児島県大島支庁『奄美群島の概況』に依存している)。

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2.唯一の製糖工場

 大島本島の唯一の製糖工場「富国製糖(株)」は本島北部の笠利町にある。かっては本島南部の瀬戸内町に拓南製糖があったが、1971年に操業停止以来、大型製糖工場は富国製糖だけである(小さな黒糖工場は大島本島に11工場ある)。
 富国製糖の平成13/14砂糖年度の原料処理量は約3万5,000トンである。1994年(平成6年)には2万8,000トンに落ち、製糖工場の存否に関わる危機感が発生したようだ。しかし、1994年をボトムに生産は若干回復傾向にある。1日当たり圧搾能力は460トンであるから、操業日数を100日とすると、生産能力は4万6,000トンである。3万トン割れは赤字、4万トン近くになれば利益がでるといわれる中で、現況の3万トン程度では経営が苦しいようだ。原料供給を増やすことが最大の経営課題である。
 ただし、将来の4万トン目標は悲観的ではないようだ。地元、笠利町の収穫面積は480haである。(作付面積700ha)。現状の夏植え中心から転換し、春植えを増やせば(笠利町の東海岸地区はスプリンクラー設備が完成し春植もできるようになった)、収穫面積は600ha確保できる。生産量は3万6,000トン(600ha×単収6t/10a)となる。隣り龍郷町のサトウキビ収穫面積は現在で70ha(4,200トン)。春植えの増加で収穫面積を増やせば、笠利町と龍郷町だけでも4万トンは出せるという見通しだ(富国製糖(株)佐藤常志所長の話)。笠利町の増産のポイントはスプリンクラー施設の導入である。
 これに、名瀬市、住用村、瀬戸内町からの持込みがあれば、4万トン目標の達成は軽いという。実際、南部の瀬戸内町との話し合いが進んでいる。搬送費の負担問題が焦点である(注、1980年代には住用村、瀬戸内町から約2,000トン搬入していた)。楽観的な見方では、大島本島であと1万トンは増加できるので、富国製糖の処理量は4万5,000トン位まで上昇するであろうという見方もある。
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3.大島南部のサトウキビ産業
 ― 新しい形の発展の可能性 ―

(1) 遊休地の増加
 大島本島南部は、拓南製糖工場の閉鎖(1971年、昭46年)に伴い、サトウキビから果樹及び野菜などの他作物への転換を図ったため、1972〜75年度(昭47〜50)に「さとうきび転換特別対策事業」を実施したのを皮切りに、長年にわたり奄美大島南部地域農業振興対策がとられた。その結果、表5に示すように、1970年から75年にかけてサトウキビ生産は激減した。
 一方、南部地域農業振興対策事業の成果もあって、南部3町村の転換作物は2000年度(平12)現在、果樹の販売額はたんかん(129百万円)、ぽんかん(104百万円)、すもも(86百万円)、パッションフルーツ(24百万円)に成長した。野菜・花卉ではかぼちゃ(36百万円)、キク(23百万円)、畜産部門では和牛繁殖(92百万円)となり、転換作物は一応定着してきた。
 しかし、これらの転換作物に使用する耕地面積は200〜300haにすぎず、土地利用は遊休地が増加した。構造改革は十分に成功したとはいえない。果樹や野菜は土地利用型農業ではないから、サトウキビの跡を穴埋めすることはできなかったのである。表6に示すように、サトウキビ栽培が盛んな喜界島、徳之島は遊休地率は1〜2%であるが、サトウキビが衰退した大島本島の遊休地率は35%と高い。中でも大島南部は40%を超える。
 しかし、近年、大島南部にもサトウキビ再復活の兆候が見られる。
表5 奄美大島南部のサトウキビ生産
表5 奄美大島南部のサトウキビ生産
(出所) 鹿児島県農政部農産課「平成13年度さとうきび及び甘しゃ糖生産実績」(平成14年8月)。

表6-1 遊休農地調査(平成13年8月1日現在)
(単位:ha、%)
市町村名 経営耕地面積 遊休耕地面積 合  計 遊休地率
名瀬市
大和村
宇検村
瀬戸内町
住用村
龍郷町
笠利町
(大島本島計)
喜界島
徳之島
沖永良部島
与論島
419
114
82
273
168
457
982
2,495
2,101
7,114
4,563
1,220
257
134
25
202
148
286
361
1,313
29
286
56
8
676
248
108
475
316
743
1,243
3,808
2,130
7,400
4,619
1,228
38.0
54.2
23.6
42.5
46.8
38.5
21.0
34.5
1.4
3.9
1.2
0.7
合  計 17,493 1,693 19,185 8.8

表6-2 遊休耕地等面積内訳
(単位:ha)
市町村名 遊休耕地等
面積 A+B
A 休耕地面積 B 遊休耕地
面積
 a   b  整備済
(内数)
名瀬市
大和村
宇検村
瀬戸内町
住用村
龍郷町
笠利町
(大島本島計)
喜界島
徳之島
沖永良部島
与論島
257
134
25
202
148
286
261
1,313
29
286
56
8
38
15
16
10
97
70
77
324
20
58
27
1
78
34
0
35
35
62
57
300
0
59
15
3
(105)
(10)
(7)
(10)
(50)
(45)
(42)
(269)
(17)
(5)
(2)
(1)
141
85
10
157
16
154
127
689
9
169
14
4
合  計 1,693 430 378 (294) 885
注1.( ) は内書きで基盤整備済地区面積
注2.休耕地等の区分は下表による
A 休耕地 a すぐにでも耕作できる
※草刈りや耕運機、小型トラクター(25馬力未満)程度の小型作業機械の導入により耕作できる
b 少々手を入れれば耕作できる
※大型トラクターや小型ユンボ等による整地で耕作できる
B 遊休耕地 かなり手を入れなければ耕作できない
※客土や耕水溝、道路整備など再整備により耕作可能
(出所) 鹿児島県大島支庁「奄美農林業の動向」 平成12年度版。
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(2) 住用村に大型借地農家
 南部地域農業の新局面を象徴する動きが住用村に現れた。基盤整備に伴い、大型サトウキビ農家が出現した。
 住用村摺勝地区は、かっては水田地帯であったが、1970年(昭45)頃から耕作放棄が続き、この30年間ヨシに覆われたまま放置されてきた。住用村役場は1998年(平10)にこの水田跡の休耕地を基盤整備した(12ha)。換地も1999年に完成。そのうち7haを龍郷町の農家、坂下龍一氏(40歳)が借地してサトウキビ栽培を始めた(借地料は7,000円/10a)。大規模なので、もちろんハーベスタを導入している。妻は笠利町の役場職員であり、当地への出作は本人だけである。通勤農業であり、毎日朝6時に龍郷町の自宅を出ると(混雑前に出勤)、40分ぐらいで畑に着く。
 坂下氏は借地の翌年、2000年(平12)夏から夏植えを始めたが、まだ土地に慣れていないため、最初の収穫の年(13年度)の単収は10a当たり5.5トンであった。しかし、ここは水も豊富、畑も団地化されており管理しやすいので、畑に慣れればあと1〜2年で単収8トンは採れると自信をみせる。今期14年度は株出しで、収穫面積6ha、単収は6トンと見込んでいる(合計350トン)。粗収入700万円である。このほか、龍郷町でも4ha経営しており、収穫面積2ha(夏植え)、生産量155トン、粗収入300万円。合計1,000万円に達する。さらに、瀬戸内町の農家から収穫作業を請負ってくれないかと話がきている。仮に10ha分(600トン)の収穫作業を請負うと300万円の収入になる(収穫請負賃5,000円/t)。
 坂下氏の次の目標はさらなる規模拡大である。「種子島には鎌倉さん(25ha、4,800万円)、河脇さん(32ha、4,500万円)がいる。自分はあと25年ある(26歳年下)。彼らを抜ける」と語る。
 坂下氏(1962年生)は新規参入者である(1993年、平成5年就農)。自動車整備学校を卒業後、東京で就職(機械、溶接の専門)、その後帰省し、1984〜92年(昭59〜平4)には龍郷町にある発電所に勤務(整備係)、それを経て龍郷町で農業を始めた。妻の実家(笠利町)がサトウキビを250トン生産(手作業)しているのを見て、やり方を変えれば農業で食えると思ったという。規模拡大とハーベスタ導入の着想である。若いころ、父親からは「農業では食えない。公務員になりなさい。勤め人になりなさい」と言われたらしい。当時は大島紬と山仕事に従事するものばかりで、農業に就くものはいなかった。「農業で食えるか」という見方が強い以上、就農者がいないのは当然であろう。農業についての見方そのものが未来を決するといえよう。
 住用村役場は別の地区でも遊休地を再整備し、サトウキビ畑に利用することを計画している。また、住用村のきび作農家は現在4戸である。坂下さん以外は高齢者である。やがて引退すれば、土地は流動化する。ハーベスタ時代になった今、規模拡大志向の若い農家の参入が期待される。
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(3) 宇検村のサトウキビ産業
図1 宇検村のサトウキビ・黒糖産業の構造
 南部地域農業の新局面を象徴する動きが住用村に現れた。基盤整備に伴い、大型サトウキビ農家が出現した。
 宇検村は人口2,243人の小さな村であるがおもしろい。1996年(平8)に、「渇F検村元気の出る公社」が設立され、これをテコにサトウキビ・黒糖産業が復活した。褐ウ気の出る公社は黒糖と集成材を生産している。村に黒糖焼酎メーカーを誘致し、それ向けの黒糖を生産し、そして黒糖の原料であるサトウキビの生産を起こしたのである。産業連関の前方・後方効果を考えた戦略である。
黒糖工場は1998年2月から稼働した。宇検村では、拓南製糖の工場閉鎖(1971年)以来、サトウキビは全くなかった。その後、キビ畑は荒廃したままだったが、村が土壌改良事業を行い、再びキビ畑化し、1997年からサトウキビが復活した。現在、サトウキビ栽培は、13.1haであるが、2002年夏に3ha増えた。栽培農家数は24戸である。13haのうち、生産法人(山下さん66歳)が7ha、あとは10a〜20a規模の経営で、60〜70歳の高齢者が多い。栽培管理は農家であるが、収穫はハーベスタ刈に作業委託している。公社所有のハーベスタを個人に委託して収穫している(ブロック工場の従業員、製糖期だけハーベスタ請負い、4,000円/t)。
山下さんはUターン者であるうえ、元々は漁家のため、自作地はわずか6aであり、他はすべて借地である。本土移住者を廻ってお願いして7haを集積した(団地に近い)。17戸で生産法人を結成したのであるが、1年間で皆やめて、現在山下さん一人である。植付けはバイトを4〜5人雇用。山下さんの集落にも40歳代の若者が4〜5人親のスネをかじって遊んでいるらしいが、土をいじる農業は嫌うらしい。「農業は儲からん、きつい」という固定観念がある。だから若い人はやらない。山本さんはお手本を目指している。機械装備を十分にすれば10ha以上も可能という。
かなり脆弱な構造ではあるが、宇検村のサトウキビ生産は黒糖工場の成立、行政による遊休地の土地改良事業、ハーベスタ導入で復活した。まだまだ増えそうである。

関連工場
工場用地が造成され、同じ団地内に黒糖工場、黒糖焼酎工場、クエン酸酢工場が並んでいる。
生産された黒糖は(株)奄美大島開運酒造の黒糖焼酎「れんと」(製品名)用に出荷される。ただし、黒糖焼酎「れんと」向けは最大60トンしか受け取ってもらえない(平成13年度45トン)。地元産の黒糖の価格は高いからである。黒糖1kg当たり価格は、地元産の520円に対し、輸入品175円、沖繩産250円の格差がある。地元産を使って高コストになり、焼酎メーカーが倒産すれば共倒れとなり、元も子もないので、「れんと」側が受け取る分だけを出荷している。工場の製糖能力は30ha分(現状13ha、原料処理量17t/日)あるので、今後、黒糖生産が増えれば、その分を富国製糖(分みつ糖)に出荷するつもりのようだ。
興味深いのは、近代的な黒糖製造工程の片隅に伝統的な「平釜」が設置されていることだ。近代工場の中に昔の土の釜を作った。味が違うという。全自動化された黒糖製造では浮遊物(ブク)の除去が十分できないためである。つまり、おいしい黒糖は昔ながらの製造法(平釜)でしか出来ないのである。平釜は、来期からスタートする。
(株)奄美大島開運酒造は音響熟成の黒糖焼酎「れんと」のメーカーである。白い貯蔵タンクの横腹に直径10cm位の黒いスピーカーが20個位くっついている。音を振動に変換する機器である。ベートーベンなどの音楽を聴かせている。音響で貯蔵タンクに振動を与え、焼酎をまろやかにしているのである。同社の社長は住用村の出身で名瀬市でホテル業を経営していたが、それをやめ、名瀬市の小さな造り酒屋の権利を買い取って、醸造業界に新規参入したのである。音響熟成とビンの色(奄美の海の色をイメージさせるブルー)が当たって、「れんと」はヒット商品として売上げが伸びている。工場従業員30人。
隣にはクエン酸酢工場がある。焼酎工場の蒸留残液は従来、畑に捨てていたが、その中にはミネラル類やポリフェノール、クエン酸などの健康に必要な成分が豊富に含まれている。そこに目をつけて、健康飲料「発酵クエン酸酢」を製造している。副産物(廃棄物)利用でありながら、焼酎より付加価値が大きいようだ(720ml:1,900円)。

(補論)宇検村の農業
宇検村の耕地面積は130ha(遊休地込み)である。うち約25%は不在地主の土地で、荒廃しきっており、原野に戻っている。農家数は217戸(農家率22%)。サトウキビとタンカンあるいはカボチャの複合経営が多い。サトウキビ(24戸)は13.1ha、660トン(1,400万円)である。タンカン(90戸)は14ha、42トン(1,000万円)である。サトウキビは果樹タンカンやポンカンより土地生産性が高い。畜産として、和牛繁殖(1戸)成牛60頭、子牛30頭、養鶏(1戸)1万8,000羽(卵)がある。
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(4) 瀬戸内町の新しい動き ―サトウキビで「ノー・ススキ運動」―
 南部地域農業の新局面を象徴する動きが住用村に現れた。基盤整備に伴い、大型サトウキビ農家が出現した。
 高度経済成長の時代は、内地出稼ぎしながらサトウキビ作の人もいた。春植付け→出稼ぎ→冬収穫のパターンである。あとの栽培管理はジーちゃん、バーちゃん、母ちゃんである。瀬戸内町もピーク時は370ha、2万トンも生産していた。しかし、拓南製糖の閉鎖後、サトウキビは壊滅した。370haのキビ畑は、その後、50haは小型黒糖工場向けきび生産、50haは養蚕・果樹に利用されたが、残り7〜8割は遊休地化した。現在は加計呂麻島(黒糖・きび酢用)と本島側勝浦地区(黒糖用)で細々と栽培されている(合計62戸、16.5ha、940トン)。
 しかし、ここでも新しい動きが出ている。瀬戸内でサトウキビを栽培し、それを笠利町の富国製糖まで運ぼうという動きだ。
 拓南製糖工場の閉鎖の頃は、まだ道路事情も悪かった。当時はトンネルもなく、瀬戸内町から笠利町まで5時間かかった。現在は2時間で行ける。近い将来、網野子トンネルと名瀬市の和光トンネルが完成すれば1時間10分で行ける。富国製糖側は「5,000トンお願い」と言っているようだ(現在、瀬戸内町の生産量は940トン)。
 問題は輸送コスト(5,000円/t)である。工場側は4,000円まで負担するといっている。残り1,000円を瀬戸内町の役場、農協、農家で折半で負担できれば解決する。そんなに難しい話ではない。道路事情が良くなっているので、運搬のコストダウンは間違いなく、輸送業者も4,000円で話がつくかも知れない(瀬戸内町側負担ゼロ)。最後のトンネルといわれる網野子トンネル(平成19年貫通予定)を「産業道路」と認知して早く建設して欲しいというのが瀬戸内町長の陳情である。
 仮に5,000トン(80ha)出荷できれば1億円産業が誕生する(サトウキビは1トン=21,000円)。瀬戸内町で最大の農産品となる。瀬戸内町には農業で1億円産業はない。以前は養豚が1億円産業だったが、2000年(平成12)に養豚団地が廃止され、今は出荷額2,000万円である。和牛繁殖は現在8,000万円であり、あと4〜5年で1億円産業に成長する。義永秀親町長は、サトウキビは当面2倍、2,000トン(33ha)を目指したいようだ。
 義永町長は町政の柱として「ノー(NO)ススキ運動」を進めている。瀬戸内町の畑からススキやヨシを追放し、農業を復活させようという政策である。しかし、野菜や菊など集約的作目の栽培が増えても、かってのサトウキビ畑の跡は埋めきれない。やはり遊休地をなくすにはサトウキビの再生しか方法はない。「ノー・ススキ運動」とは、ススキをサトウキビに替えることだと考えればよい。町長は、土建業からの転換組(若者、機械力もある)にススキ畑の開墾と農業への参入を期待している。もちろん新規参入者は、サトウキビに安住せず、複合経営を通して「農業経営者としての力量」を高めることが望まれる。
 サトウキビを原料とした黒糖やきび酢の需要が好調。一方でハーベスタの普及で若者の就農者が出ているのを見て、サトウキビを見直す方針である。サトウキビ振興は若者定住、荒廃地・遊休地対策にもなるから、「ノー・ススキ運動」は農業振興というより、ひとつの「まちづくり」である。
 民間サイドでも、新しい動きが出ている。本島側で小型製糖工場を経営している中核農家、里山智昭さん(48歳)は(勝浦地区)、サトウキビの規模拡大を計画している。従来は収穫作業の制約があったが、今は住用村の坂下さん(先述)がハーベスタ刈を請負ってくれるので(5,000円/t)、今後は面積を増やせるという。増産した分は北部の富国製糖(株)に引き取ってもらう計画である。
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(5) 加計呂麻島の新しい発展 ―きび酢と黒糖の出荷好調―
 瀬戸内町加計呂麻島は1958年(昭33)町村合併以来、急激な人口流出に見舞われ、過疎化が激しく進行している。当時の人口10,683人(1955年)が今2,123人に激減した(請島、与路島込み)。この加計呂麻島がサトウキビの新しい発展の拠点になっている。現在、瀬戸内町のサトウキビ面積16haのうち13haが加計呂麻島である。(2001年度現在、56戸、13ha、770トン)。サトウキビを原料とした黒糖やきび酢の需要が伸びているため、サトウキビ生産も増えているようである。
 サトウキビ770トンの用途は、酒造向け325トン、食用黒糖向け400トン、きび酢向け45トンである。酒造用の伸びは小さい。黒糖焼酎の出荷は伸びているが、沖縄産黒糖が多数使用されているため、高コストの奄美産黒糖への波及効果はない。一方、きび酢は成長産業である。
 きび酢はサトウキビ2トンできび酢(原液)1トンも出来るのできび酢の伸びはサトウキビ農業に直結する。加計呂麻島にはきび酢の原液工場が3つある。きび酢は空気中に浮遊している酵母菌や酢酵菌による天然酵母発酵で、気候や自然環境のためか同島のみで製造可能である。つまり、全国で唯一、完全な自然発酵で作られている酢である。農家工場で原液のまま1年間寝かしてから、JAの瀬相工場に出荷する。同工場で殺菌、薄めてさらに1年間寝かしてから、ビン詰めして出荷する。農業技術研究機構九州沖縄農業研究センターの研究によると、加計呂麻島のきび酢はサトウキビに多く含まれるポリフェノール類が、発酵することで人体に有用なものになっている。活性酸素を抑制し、ガンや成人病抑制に効果があるといわれ、評判がいいようだ。1984年にスタートし、最近は4,000万〜5,000万円の出荷になっている。テレビで取り上げられる度に需要が伸びている。
 加計呂麻島には小型黒糖工場が4工場もある。昔ながらの製法のまま黒糖を生産している。佐知克(サチユキ)地区の西田工場を訪問した(西田寛次氏経営)。西田工場の原料処理量(サトウキビ)は250トン、内訳は酒造用黒糖用100トン、食用黒糖用135トン、きび酢用15トンである。工場にはファイバータンク(1トン)が34基並んでいる。
 利益率はきび酢が断トツに高く、次いで食用黒糖、酒造用の順である。お土産用黒糖(東京向け等)の価格は酒造用の2倍である。なぜ儲からない酒造用の黒糖も生産するのか。ブリックス17度以上でないと黒糖はできない。台風被害もあるので毎年同じ品質の黒糖は出来ない。まずい黒糖は食用には売れないので、酒造用出荷ルートも確保しておかなければならない。利益は低くても、保険の意味がある。原料のサトウキビを増やせばお土産用を増やせるが、現状では出来ない。
 需要の見通しは明るいようだ。きび酢は今年から生協との取引が始まった。黒糖も食用は増加している。消費者の安全性・健康志向、ホンモノ指向を背景に潜在需要は大きいので、マーケティングを工夫すれば、需要はかなり伸びそうだ。問題はサトウキビの供給不足である。西田工場の原料処理量250トンはきび農家7戸(本人を含む)から供給されている。西田さんの生産量は100トン(1.3ha)であるから、他の6戸で計150トン(各20〜30トン)、零細である。その多くは土木工事がなくなったので、サトウキビ作りに転換した人たちである。全員70〜80歳の高齢者である(工事量減少で土木は70歳定年)。小面積なのでハーベスタは導入できない。このままでは農家の高齢化とともにサトウキビの供給が減少するので、加計呂麻島の黒糖工場は自分たちできび作りを考えないとならないという。需要は増えているのに、原料不足で操業休止の危機もある。矛盾である。
 明るい需給見通し、一方でサトウキビの供給不足、こういう状況を前に、町行政もサトウキビ振興に政策の舵を切り替えつつある。加計呂麻島で遊休地を活用して、サトウキビ畑を増やす計画である。加計呂麻島の秋徳地区、野見山地区合計で基盤整備済み耕地が、24.4haあるが、うち8.7haが遊んでいる。ここにサトウキビを植える計画である。

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若干の政策提言 ― 将来展望に代えて ―

地域農業の所得倍増計画
 ハーベスタ導入以前、サトウキビは貧乏農業の典型だった。高齢者による30〜50aの零細経営というのが一般的な姿で、農家の収入も30〜50万円と低かった。しかし、ハーベスタの導入によって、若者が新規参入してきた。彼らは遊休地や高齢者のリタイアに伴う農地を借地することによって、7ha、10haあるいは20ha規模でサトウキビを経営している。伝統的経営の20倍、30倍の規模である。収穫面積が7haの場合、1戸当たりの粗収入は800万円である(単収6トンの場合)。収穫の作業請負で経営を拡大している場合もある。10ha請負えば収穫賃300万円である。
このように、サトウキビも粗収入1,000万円達成は難しいことではなくなった。
 さらに注目すべきは、複合経営への発展である。サトウキビは省力的作物である。10ha、20ha規模といっても、機械化されたサトウキビ経営は労働力に余裕がある。最近の品種改良で、10月に収穫できるサトウキビ品種が出現した(実用化は2〜3年後)。これまでは、冬の1〜3月が製糖期である。労働力がバッティングするため(畑も空かない)、園芸との複合経営が出来なかった。しかし、10月品種を採用すれば、12〜3月は畑と労働力が空く。インゲン、ジャガイモなどを作付し、内地の端境期である冬春期出荷が狙える。年寄りでは無理だが、若者なら出来る。ハーベスタと10月品種という技術革新の成果で、高付加価値園芸の複合経営の可能性が高まった。なお、サトウキビ梢頭部を利用して和牛繁殖経営との複合経営も有望である。
 サトウキビ振興は園芸と矛盾しなくなったのである。むしろ若者の農業定着を通して園芸の増大要因になる。
 園芸転換、園芸導入というが、担い手をどう作りだすか。サトウキビ農家の若者化が園芸の導入要因になりうる。あるいは他の農家が期間借地でサトウキビ畑を園芸に利用してもよい。サトウキビは土壌のクリーニング作物であるから、きびの後作は何でもよく出来る。
 サトウキビの規模拡大だけなら、基本的にはゼロサム・ゲームである。若者の個別経営が高所得農家になったとはいえ、引退した高齢者に取って代わっただけであるから、地域全体としての農業所得は大きくは増えない。しかし、ハーベスタ導入によって若者がサトウキビに参入することで、上述のような複合経営が実現していく。そうなれば、地域の農業所得を高めていくことになる。奄美大島の農業はここにひとつの発展戦略を見つけるべきである。

(1) ハーベスタ導入の条件整備
 時代を画したのは、ハーベスタの導入である。サトウキビ振興対策のポイントはハーベスタ導入の条件整備であろう。その第1は基盤整備である。機械化できる圃場にしなければならない。分散錯圃のままでは機械化のメリットは出ない。また、ハーベスタは高額であるから、個人での導入は困難、補助金を活用できるよう法人組織化を指導したほうがよい。

(2) 遊休耕地の活用(特区構想)
 奄美大島本島は遊休耕地が多い。笠利町を除くと全耕地に占める遊休耕地は40%を占める。(うち小型トラクター程度の導入ですぐにでも耕作できる耕地は10%)。長年の耕作放棄でススキやヨシが繁茂しており、ユンボ等を入れて再整備が必要である。基盤整備には地権者の合意形成が必要であるが、東京や関西に移住した不在地主が多く、合意形成が困難になっている。戸籍調整がヤブヘビとなってトラブルを引起こしている場合もある。
 しかし、ハーベスタ導入という技術革新によって耕地の有効利用の可能性が高まっている現在、遊休地の活用は重要である。土地改良事業の規制を緩和できないか。異常に高い遊休耕地率(40%)と不在地主の多い離島という特殊事情にかんがみ、「特区」制度で規制緩和してはどうか。

(3) 自立農家のインキュベーション(孵化)
 基盤整備であれ遊休耕地であれ、新しく耕作する農家は、土地の売買、所有権移転ではなく、“借地” による農業経営である。しかし、その場合、多くの不在地主を含む地権者と賃貸借契約を結ばなくてはならない。これは大変困難なことであり、新規参入の勇気をくじく最たる要素である。そこで、市町村役場が出資した公社が基盤整備事業や地権者との借地契約を行う。公社の信用のもとで、土地の集約化を図る。農作業は、まずは公社のオペレータが担う。そして、3年程度の期間を経て、そのオペレータを独立させ、農地を転貸する(公社は役割を終えてもよい)。一種の「民営化」である。こうすれば、やる気のある農家を育成することが出来る。自立経営農家のインキュベーションである(名瀬市の営農センターはこれに近いことをやっている)。
 ここまで行政が手助けすることには異存のある人もいるかも知れないが、農政の最大の課題が自立経営農家の育成であることを考えれば、安い方法かも知れない。

(4) 沖縄とのイコールフッティング
 奄美の特産品である黒糖焼酎の原料である黒糖は、地元産1kg当たり346円、沖縄産は238円と格差がある。そのため、黒糖焼酎メーカーは地元産の黒糖は使わず、沖縄産と輸入品を使う(地元産も使うがわずか1%)。
 その結果、黒糖焼酎の出荷は伸びているものの、奄美のサトウキビ・黒糖産業への誘発効果はない。奄美の特産品が地元産の原料を使えるようになれば、奄美のサトウキビ・黒糖産業の本格的な復活につながる。沖縄とのイコールフッティングが必要である。

(5) 輸入品との競合、市場開放問題
 サトウキビは高所得農業になるという筆者の展望は、現行の価格調整制度による輸入抑制を前提にしている。日本の甘しゃ糖の価格は国際価格の7〜11倍も高い。価格調整制度がなくなった場合、国内生産の継続は困難だ。この非関税障壁の存廃の見通しはどうか。
 日本の保護制度を止めさせる現実のメカニズムは外圧である。一般的にはその一番の圧力は米国の要求であろう。今後は中国の要求も無視できなくなろう。しかし、砂糖については、米国は自らが保護措置をとっている。また中国は砂糖の大量輸入国であって他国に市場開放要求は出さないであろう。こうした状況を考えると、砂糖の早急な保護撤廃は想定しにくい。なお、外国のサトウキビ産業の実情については本誌、4月号拙稿参照。
 しかし、内外価格差の大きさは問題が残る。保護制度の継続には消費者国民の納得を得なければならない。技術革新によるコストダウンの利益を産業側の利益増大だけに振り向けるのではなく(所得1,000万円農家の輩出の事実)、やがては消費者国民にも配当することを考えるべきであろう。ただし、農家の規模拡大や新規参入の誘因を崩さない程度にである。

 日本のサトウキビ産業は大革新が起きている。通念の打破が必要だ。技術革新と若者の就農によって、サトウキビ産業は新しい発展期を迎えようとしている。この認識に立った行政施策、普及が大切であろう。

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「今月の視点」 
2002年11月 
サトウキビ新時代 ―奄美大島南部のきび産業再生の可能性―
 拓殖大学国際開発学部 教授 叶 芳和

ビート糖業を巡る事情 (1)
 日本ビート糖業協会 常務理事 森川 洋典


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