糖分取引移行への推進経過(1)
〔生産農家に対する啓発を重点に〕
てん菜の取引制度改革の取り組みは、昭和54(1979)年の「てん菜糖分取引対策委員会」の発足により、調査検討段階から推進段階に前進することとなったが、最大の課題は、全道で2万戸を超える生産農家に対し、糖分取引制度の内容や栽培技術の改善等についての普及啓発を図ることであった。
このため、試験場と糖業者の技術部門が連携し、高収性を維持しながら糖分向上を図る技術の確立に力を注ぐとともに、この結果をモデル的に実践する実証展示圃を全道各地に設置して、窒素施肥量を減少し栽植密度を高めることの大きな効果を実証した。
一方、品種については、当時、根重型が大部分を占め、低糖分の大きな要因となっていたことから、中間型もしくは糖分型品種の開発導入を進めた結果、50年代後半から次々と新品種が普及し、栽培技術の改善と相まって、制度の円滑な移行に大きく貢献している。
また、昭和56(1981)年から昭和59(1984)年までの4年間、てん制協式簡易糖分測定機を利用し、全生産者の原料について、50トンに1点の割合で糖分を測定した。
その結果は下表のとおりであるが、生産者に自ら生産したてん菜の糖分を周知するとともに、全農家の糖分の分布実態が明らかになったことにより、基準糖分、糖分格差などの価格体系を検討するうえでも大きな役割を果たした。
さらに、講習会・研修会の開催を数多く行うとともに、昭和58(1983)年には、展示圃集団の400戸を対象として模擬取引を実施して生産者の理解を求めるなど制度移行に向けて気運の醸成をはかった。
〔国も参画して準備段階へ〕
昭和57(1982)年4月に開催された「対策委員会」の通常総会において、これまでの事業推進により、糖分取引についての一般的な理解と認識を深めたとして、移行の目途を昭和60(1985)年にすることが表明され、移行への取り組みが本格化した。昭和59(1984)年4月には、具体的な問題の検討実施機関として、生産者代表の北農中央会と糖業者代表の日本ビート糖業協会の両者に加え、北海道及び農林水産省もオブザーバーとして参画した「糖分取引問題連絡協議会」(略称「問連協」)が設置され、糖分測定システム、価格体系、移行へのスケジュール等の検討が行われた。
また、国の甘味資源審議会においても論議され、糖分取引の早期実現について積極的な指導を行うよう建議されたこともあって、国は、昭和59年産てん菜の最低生産者価格の決定に際し、これまでの奨励金を廃止し、新たに同額の「糖分取引推進費」を創設した。
これらにより、糖分取引は、検討段階から実施準備段階へと国も関与して大きく踏み出すこととなった。