Achard が飼料用ビートから選び出した製糖原料用ビート種子は、1805年よりシレジャでてん菜製糖工場を経営していた Koppy 男爵親子の協力により保存育成され、後世 “白いシレジャ種” と呼ばれる世界で最初のてん菜品種となった。この品種は多くのてん菜糖工場で採用され各地で栽培された。
この品種の糖分は5〜7%であったと推定されており、現在の水準からみれば非常に低いものである。しかし、Marggraf が飼料用ビートにショ糖が含まれることを証明したときの糖分含有量は1.5%程度であったと考えられていることからみれば、Achard が行った選抜は極めて効果の高いものであった。
図1 1880年代のビルモーラン品種 |
(原図:フランスてん菜協会資料) |
糖分の高い品種を育成するには、個体ごとに糖分を正確に測定する技術とその個体を選択して採種することが不可欠であった。個体の糖分の測定は、個体の比重を計ることから始まり、搾汁液の固形分を測定する方法を経て、1850年代に旋光計による旋光度測定法が完成した。正確に個体の糖分が測定でき、その後てん菜の糖分は飛躍的に向上した。現在も基本的にはこの方法にて糖分を測定している。
クラインワンツレーベン種とビルモーラン種は北海道のてん菜糖業創業期に導入された。当時の評価はクラインワンツレーベン種は収量型、ビルモーランは糖分型であった。また、クラインワンツレーベン種を材料に日本最初のてん菜品種「本育48号」が生まれた。さらに、クラインワンツレーベン種とビルモーラン種との組み合わせから褐斑病に強い「本育192号」が昭和10年に育成され、その後長く栽培されるなど関係の深い。
てん菜の糖分が約100年の間に飛躍的に改善されたことは多くの育種家の努力によるものであるが、てん菜の野生種にあたるハマフダンソウ (Beta maritima) の多様性よるところも大きい。
これまでの研究によれば、野生のハマフダンソウの種子を最適な条件で栽培したところ、糖分は0.3から11.2%と言う大幅な変異を示した。平均値は5〜6%であった。これらの根はほとんどのものが分岐し、その年に抽苔した。これらの中より、2年目に抽苔し、分岐が少なく、糖分の高いものを選抜して、栽培を繰り返したところ、3, 4年後には平均糖分が15〜16%に向上し、根重は野生のものの倍近くになった。この様にハマフダンソウの中に砂糖原料として好ましい特性が秘められていたと言える。
ハマフダンソウはその後もてん菜の品種改良の中で重要な役目を果たしている。
1850年代には従来品種とハマフダンソウとの交雑したものから分離されたと考えられている Imperial 品種が育成された。この品種の糖分は従来品種が7〜9%であったのに対して11〜13%に達した。
昭和30年代に、高度の褐斑病耐病性を持った品種として、全道にて栽培された「導入2号」の褐斑病抵抗性遺伝子はハマフダンソウに由来している。この品種の集団選抜の元となったアメリカ品種「GW359」は、ハマフダンソウとの交雑により生まれたものある。
そう根病の耐病性品種に関しても、アメリカでハマフダンソウとの交雑により耐病性品種が育成され、このハマフダンソウに由来するそう根病抵抗性遺伝子は、その後のそう根病耐病性品種の育成に利用されている。
1900年代になって新しい育種技法が開発され、てん菜においても品種間一代雑種、3倍体品種の育成、単胚品種の開発などを経て今日のてん菜品種が完成した。