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お砂糖豆知識[2002年4月]

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最終更新日:2010年3月6日

ALIC砂糖類情報
お砂糖豆知識

[2002年4月]
●砂糖のあれこれ


砂糖のあれこれ

砂糖の歴史 2

精糖工業会

世界への砂糖の広がり

 前回は、砂糖の発祥についてお話しました。今回は、その後の全世界への広まりについてお話したいと思います。

中国、メソポタミアで砂糖の精製技術
 時は13世紀の中国です。当時、中国は元の時代でした。この元に、ヨーロッパからマルコ・ポーロがシルクロードを渡って訪れます。このときの体験をまとめた 「東方見聞録」 は、その後ヨーロッパの人々の東洋への憧れと好奇心をかきたてましたが、この中に砂糖についての記載があります。それによると、当時の元では (皇帝:フビライ・ハン)、既に草木の灰を利用した砂糖の精製技術が確立し、杭州地区や福州地区で、多量の砂糖が製造されていたようです。
 また、西へはペルシャからメソポタミア地域へと広がりを見せ、7世紀〜9世紀にかけてさとうきびの栽培及び製糖が行われていたようです。当時のアラビア人の技術レベルは極めて高く、8世紀には砂糖精製の技術があったとされています。その後、彼らの手によって地中海沿岸の地域にさとうきび及び製糖の技術が伝えられました。

ヨーロッパに広めたのは十字軍
 これと合わせ、砂糖をヨーロッパに広める役割を果たしたのは十字軍です。十字軍とは、11〜13世紀、当時のキリスト教の教皇が、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するために派遣した遠征軍のことです。軍事的には決して成功とは言えませんでしたが、国際的な商取引が刺激され、東方の様々な新しい知識を吸収するという効果は絶大でした。
 砂糖についても、彼らはこのとき初めてさとうきびや製糖工場を目の当たりにし、故国にさとうきびを持ち帰る者がいたといいます。これにより、前述したアラビア人による伝播と合わせて、気候の暖かい地中海沿岸でさとうきび栽培と製糖が盛んになりました。ただ、この時代でもやはり砂糖は贅沢で高価なものとされ、薬を扱う店で売られていたといいます。

アメリカ大陸へはコロンブスが
 その後、アメリカ大陸への砂糖の伝播に重要な役割を果たしたのは、かの有名なコロンブスです。1492年、西インド諸島に到達したコロンブスは、翌年の2回目の航海の際、西アフリカのカナリア島産のさとうきびを西インド諸島の1つであるヒスパニオラ島に移植しました。その後、ヨーロッパの各国が競ってアメリカ大陸に渡りましたが、その際同じようにさとうきびを携えて渡ったということです。
 アメリカ大陸で最初に糖業が発達したのはブラジルで、16世紀の終わり頃にはヨーロッパへ輸出されていたようです。その後17世紀以降、ジャマイカ、プエルトリコ、アメリカ本国へと広まりました。産糖国として有名なキューバへの伝播は18世紀後半以降と言われています。

てん菜からの製糖の始まり
 ヨーロッパでは、気候の暖かい地中海の周り以外ではさとうきびは育たないため、砂糖のほとんどを輸入に頼っている状態でした。しかし、1747年、ドイツの科学者マルク・グラーフが、てん菜 (ビート) からの砂糖成分の抽出に成功しました。その後、彼の弟子のアハルドによりてん菜からの製糖法が実用化され、1801年、ドイツに初めてのてん菜糖工場が設立されました。

ナポレオンによるてん菜糖の広まり
 19世紀初頭、フランスの皇帝ナポレオンはヨーロッパ各地に遠征し、その大部分を支配しましたが、最後にイギリスが残りました。そこで彼は、イギリスを苦しめるために他のヨーロッパ諸国にイギリスとの貿易を禁じる令を発しました (大陸封鎖)。このため、ヨーロッパでは西インド諸島などからの砂糖の輸入が激減したため、ナポレオンは実用化されたばかりのてん菜糖生産の産業化に力を入れたのです。当時、ヨーロッパでは砂糖は必需品という認識でしたから、この政策は大いに広まり、現在では世界の砂糖生産の30%以上を占めるに至っています。

 次回は、日本での砂糖の広まりについてお話します。


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