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お砂糖豆知識[1999年4月]

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最終更新日:2010年3月6日

ALIC砂糖類情報
お砂糖豆知識

[1999年4月]
●てん菜のあれこれ(その3)
●砂糖のあれこれ



てん菜のあれこれ (その3)

再開されたビート栽培
[ビートの盛衰にまつわる戦争の陰]
 函館近郊の松前には北海道で唯一のお城がありますが、この辺りの海岸線は相当古くから開け、和人の移住は鎌倉か室町時代という説もあります。本州とは比べものになりませんが畑作物の導入も早く、和人とともに入った粟・稗のほか、江戸時代前期の永禄5年(1562年)には大豆、中期の元禄9年(1696年)には小豆、宝永3年(1706年)には馬鈴しょなどの作付けが書物にしるされています。
 比較的新しい作物では幕末の安政5年(1857年)に小麦が入っていますが、ビートはこれより更に15年近くも遅れ、函館近郊で初めて試作されたのは、明治4年(1871年)になってからです。加えて、工芸作物の宿命ともいえますが、ビートは工場閉鎖による栽培の中断があり、本格的な生産の再開は試作から半世紀も後の大正9年(1920年)でした。
 この様に、わが国のビートの歴史は非常に浅いのですが、そもそも先進地である欧州のビートそのものが、さとうきびの紀元前からの歴史とは比べ物にならない新しさですから、当然のことでしょう。
 ビート糖のスタートは1802年で、ドイツ(当時のプロシア)シレジア地方のキュネルン(現ポーランド領)に世界初の製糖工場が設置されています。英国やフランス、オランダと違い、植民地がなかったドイツは、砂糖輸入の財政負担を軽減するため、ビート糖を軌道に乗せようと国が奨励をしていました。
 欧州が現在のようなビート主産地を形成するに至ったきっかけは、1803年の英仏戦争がその発端になっています。ナポレオンが英国の勢力拡大に対抗して、欧州大陸の経済封鎖(1806〜13年)をしたことから、海外からの砂糖輸入が途絶えた大陸側の国々が競ってビート製糖に没頭した結果、1811年にはフランスでその商業化に成功し、1830年以降、欧州中央部でビート糖業は急速に発展を遂げています。
 一方その頃、熱帯植民地産の甘しゃ糖は、奴隷解放(1833〜80年)による労働力不足で生産は減退し、世界の砂糖生産量は、ビート糖が甘しゃ糖を上回る事態(1883〜1908年)が続きましたが、第一次世界大戦の勃発(1914年)は欧州のビート主産地を戦火に巻き込み、この比率は再び逆転しました。以後、現在まで世界の砂糖生産量の約70%は甘しゃ糖、残りの30%がビート糖で、この割合は例年ほぼ変わっていません。
 北海道のビートが明治時代に一時姿を消したことは、日清戦争による台湾領有と関連があることを前号で紹介しましたが、英仏戦争により大きく発展したビートが第一次世界大戦で陰りを見せるなど、欧州のビートの盛衰にも戦争の陰が去来しています。
 第一次世界大戦当時、ビート糖は世界の砂糖生産の半ばを占めていましたが、主産地が戦場となって農地は荒廃を極め、製糖業も衰退したため、世界の砂糖価格は異常に高騰しました。わが国の砂糖業界は、この高騰をみて増産意欲を大いに刺激されましたが、狭隘きょうあいな土地条件の中で生産される台湾・南西諸島などの国内甘しゃ糖生産は、既に限界に達していました。戦争の巻き添えで消えたわが国のビートが、再び日の目を見ることができたのは、第一次世界大戦の余波が日本国内にも押し寄せ、北海道のビートに目を向けさせたからといえます。
 紋鼈もんべつに製糖所が設置された明治初期の頃は、道南・道央を中心に僅か3万ha強に過ぎなかった道内の開拓耕地も、ビート栽培の再開が決まった大正9年(1920年)には、道東の奥深くまで開墾の鍬が入って、耕地面積は85万haに拡大していました。
 新しい製糖工場は、十勝の大正村(現帯広市)に建設され、翌10年(1921年)には同じく人舞村(現清水町)にも建てられました。明治時代と相違して道東の十勝に立地したのは、広大な土地資源のあることが背景にあったことは勿論ですが、地道に検討を続けてきた十勝農事試験場の栽培試験の成績が優れていたことも大きな理由でした。
 戦争に翻弄された北海道のビート産業は、この様に再開されましたが、その後も、第二次世界大戦などと深くかかわり合いながら消長を重ね、現在に至っています。この様な戦争とのかかわり合いは欧州のビートにも同様のことが言えるでしょう。

((社)北海道てん菜協会相談役 秦 光廣)


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砂糖のあれこれ

砂糖は自然の甘味料、砂糖の白さは自然の白さ
 砂糖は、主たる原料であるさとうきびとてん菜の成分として天然に存在する甘味成分、蔗糖(しょとう)を抽出したものです。従って、天然(自然)甘味料として、サッカリン、アスパルテームなどの合成(人工)甘味料と区別されています。この概念は国際的にも通用しており、砂糖はNatural Sweetenerとして、Artificial(人工)またはSynthetic(合成)Sweetenerと区別されています。
 植物は太陽エネルギーをもとに光合成を行ってブドウ糖をつくり、このブドウ糖をすぐさまデンプンや蔗糖につくりかえて蓄えていきます。さとうきびやてん菜は光合成の効率がよく、蔗糖として茎や根に蓄えているのです。
 高純度の砂糖は、先程説明したように、さとうきびやてん菜の中に存在する蔗糖を何ら化学的に変化させることなく、ほぼ純粋な形で取り出したものですから、まさに「自然が生み出した甘味料」といえるわけです。
 また、三温糖や中ざら糖などの茶色い色が砂糖の自然の色で、白砂糖は「白さ」ゆえに、「漂白している」あるいは「染料で白く色をつけている」と思われている方がまだまだ多いようです。しかし、良く見てみれば砂糖の結晶の一つ一つは無色透明。白く色をつけているわけでありません。雪の結晶と同じように、光の乱反射により白く「見える」のです。三温糖や中ざら糖は、グラニュ糖や上白糖などの白い砂糖をとったあとのやや着色した糖液からつくられますので、砂糖の結晶も茶色がかっています。これは、製造過程で加熱を繰り返すために、砂糖の一部が熱で分解(カラメル化)するためによるものです。
 ただし、中ざら糖や三温糖では、後から少量のカラメルをかけて色調を整えることもあります。この場合には食品添加物表示(着色料:カラメル、またはカラメル色素)の義務があります。

砂糖の賞味期間
 食品の日付表示については、平成6年12月の食品衛生法施行規則の改正により、平成7年4月よりそれまでの製造年月日表示から期限表示に変わりました。
 砂糖は品質が非常に安定した食品であり、従来の製造年月日表示の頃から、法律上表示義務はありませんでした。これは期限表示に変わった現在でも同じで、砂糖に法律上、期限表示の義務はありません。
 砂糖の保存に関して最も多い質問は、「棚を整理していたら、○○年前の砂糖が出てきました。今でも使えますか?」といったものです。一般的には、湿ったところに長く置いてべとついた状態のままにしておいたり、周りの臭いが移って異臭が感じられたりしなければ、食べても問題はないといえます。また、長期保存によって、色が黄色を帯びたり、固まってしまった場合でも、それ自体食べても害になることはありません。
 ただ、保存状態などはそれぞれの事例によって異なりますので、一般論だけで結論付けるのは危険な場合もないとはいえません。ご心配な時は、使う前に一度製造メーカー等にご相談された方が良いでしょう。

(精糖工業会)


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