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お砂糖豆知識[1999年5月]

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最終更新日:2010年3月6日

ALIC砂糖類情報
お砂糖豆知識

[1999年5月]
●てん菜のあれこれ(その4)
●砂糖の保存について  ●ピンホールについて



てん菜のあれこれ (その4)

北海道拓殖計画とビート(1)

(社)北海道てん菜協会 前専務理事 秦 光廣

[日・米ともビートの定着に半世紀]
 ウイリアム・クラークがビートの導入に積極的で、彼の前任地マサチューセッツ農科大学はビート製糖技術に先鞭をつけていたこと、北海道のビートが試作から本格的な生産再開まで半世紀もかかったことを先月号までに紹介しました。
 米国・カリフォルニア州には野生ビートが生育し、欧州でビート糖が製造される前からインディアンが砂糖を抽出していたという説もあります。しかし、はっきりしているのは1838年(天保9年)マサチューセッツ州のノーサンプトンで580kgのビート糖が製造されたのが最初とされております。産糖量が道内最初の製糖記録450kgと似たようなものですから想像がつくと思いますが、マサチューセッツ州の製糖業は僅かな期間(1938年〜41年)で挫折し、このスタートからビート糖業が米国で軌道に乗るまでには、わが国同様、半世紀近い年月を費やしています。
 製糖工場が軌道に乗ったのは、偶然ですが紋鼈(もんべつ)製糖所が開催された年と同じ1879年(明治12年)のカリフォルニア州アルバラードの工場です。破錠したマサチューセッツからカリフォルニアでの成功までの間、例えば、モルモン教徒がユタ州で大掛かりな挑戦をして結果的に従労に終わるなど、8つの州で14の工場が失敗をしております。
 米国甜菜協会発行の「The Beet Sugar Story」(1959年)には、「用心深い当時のモルモン教徒が、意欲に燃えて製糖工場の計画を練ったのは、ビートは砂糖生産以上に農業発展に寄与すると考えたからだ。」とあり、「1853年、ナポレオン三世とその王妃がフランス北部を訪れた時、土地の農民達は“ビート糖業創設者・ナポレオン一世”“ビート糖業保護者・ナポレオン三世”と書いた二人の肖像を飾った大アーチを造って歓迎し、その下に、“ビートが入るまで村の小麦生産は20,000トン、牛の飼養は700頭。ビートが入ってから小麦は40,000トン、牛は11,500頭”と書き、不思議なことに砂糖の生産には触れていなかった。これは“砂糖はビート栽培の副産物である”という一部欧州人の考えを示すものである。」とフランスのエピソードを紹介したうえで、「ビートは、第一に地力を増し、耕作技術の向上、栽培の多様化に寄与する。第二に、副産物は家畜の飼料となり、複合農場経営を健全化する。第三は、砂糖生産による換金作物として重要な収入源になる。このため農業経営の中で高い地位を占めている。」と地域農業に対する貢献について述べ、最後に、「ビートが生育する地帯の開拓計画のバックボーンはビート産業である。」と結んでおります。
 地域農業への効用の評価は、フランス、米国に限らず北海道でも同様でした。明治43年(1910年)に第一期、昭和2年(1927年)から第二期が始まった北海道拓殖計画は、“土地改良”“有畜奨励”“糖業奨励”の三本柱で進められています。
 北海道農事試験場では明治の製糖工場が閉鎖された後もビートの試験研究を継続していましたが、大正9年(1920年)に栽培が再開されると、11年(1922年)には場内に糖務部を新設しました。また、翌12年には北海道庁の産業部にも助成等を司る糖務課が設置され、農事試験場長を兼務していた北海道大学農学部教授が、新設の糖務課長も兼任しました。
 北海道庁産業部による大正13年3月の「甜菜糖業の発達と其保護政策(原文のまま)には「…適当の助成保護を加ふるときは相当に発達の見込あるや否や、…国家大計の誤る所なきを期せざるべからずの秋に際会せり。而も由来甜菜糖業は単に砂糖の生産……のみならず、其影響は他の産業に及び、特に農業界に対しては、」と以下、新作物導入で輪作に有利、深耕実施で土壌改良、粗収入増大、葉茎と製造粕で家畜飼養、集約経営に慣れ土地完全利用、の五項目をあげ、「等々の利益を与ふるものなるを以て、本道の如き開拓の途上にありて、近時漸く畑作の衰退・農家の疲弊を嘆ぜらるるに当たりて、甜菜糖業の発生は誠に喜ぶべきことと謂はざる可らざる所…」とあり、ビート産業に対する保護政策遂行の決意が記されております。
 開拓以来の幼稚な掠奪粗放的農業を改善し、有畜畑作農業を進める上でビートは重要な作物であるとの認識が、当時の宮尾舜治長官(知事)をして、ビート奨励に積極的に対応しうる研究、指導、助成の一環体制を確立させたのでしょう。
 「The Beet Sugar Story」のフランスのエピソード風にいうと、米国のグラント大統領と直接交渉してケプロンなどお雇い外国人を招聘した黒田清隆長官が北海道ビートの“創設者”、宮尾長官が“保護者”といったところでしょうか。

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砂糖の保存について

精糖工業会

 精糖工業会への消費者の方々からのご質問で意外に多いのが、「砂糖の保存」に関する問題です。前回もお話しましたように、砂糖は品質が非常に安定した食品であり、長期保存したものであっても、食べてそれ自体が害になることはほとんどありません。しかし、保存状態によっては、使用する際に不都合が生じることがあります。
 中でも、典型的な事例として挙げられるのが、「コチコチに固まる」、「黄色く色がつく」、「臭いが移る」といった現象だろうと思われます。
 ここでポイントとなるのが砂糖の包装形態です。
 皆さんが普段、スーパーなどで目にする砂糖は、1kgないしは500gのポリ袋に入っているものだと思います。この袋は通気性があり、外気の湿気や臭いを良く通します。これが、保存時のトラブルの原因なのです。
 「砂糖がコチコチに固まる」のは水分の変化に原因があります。砂糖の結晶を覆っている糖液の膜から水分が蒸発し、糖液中のショ糖分が微結晶化して接着剤の役割を果たすためです。
 外気中の湿気が高い場合、袋の中の砂糖は袋に通気性があるために水分を吸収します。また、逆に外気が乾燥すると砂糖に含まれる水分は蒸発します。このように、一度吸収した湿気が再び蒸発するような、外気の湿度の変化が起きるような場所に保存した場合、砂糖が固まることが多いのです。また、この現象は、相対的に水分の含有量の多い上白糖に起きることが多いようです。もし、固まってしまったら、広げて霧を吹いて水分を与えるか、砕いて使うと良いでしょう。
 予防対策としては、「フタのついた缶や容器に入れて保存すること」です。冷蔵庫の中は、様々な食品が混在するため、周りの臭いや水分を吸収する恐れがありますので、避けた方が良いでしょう。また、もともと台所は火を使い、湯気が立つなど湿気の多い場所ですので、調味料としてすぐに使うもの以外は、レンジ周りを避けて保存した方が良いでしょう。
 「臭いが移る」のも袋の通気性が原因。これも砂糖の品質そのものに直接影響するわけではありませんが、対策としては、香水、石鹸、食べ物でも漬物や魚など、臭いの強いものの側に置かないことが重要です。
 もうひとつの「黄色く色がつく」現象ですが、これは、糖とアミノ酸やタンパク質が反応して起こるもので、難しい言葉でいうと「メイラード反応」といいます。
 砂糖には原料の甘蔗やてん菜に由来するアミノ酸がごく微量残っています。そのため、長期に保存すると、それらと糖がメイラード反応を起こし、黄味がかった色がつくことがあるのです。この反応は、ショ糖分がほぼ100%に近いグラニュー糖や白ざら糖より、転化糖*1の比較的多い上白糖の方が起こりやすくなります。また、温度が高いと反応が促進されますので、同じように「フタのついた缶や容器に入れて保存すること」が対策となるでしょう。ただし、これも食べて害になるものではありません。
*1 ショ糖の加水分解によりできるブドウ糖と果糖の混合物のことを転化糖という。上白糖はこの濃厚液(ビスコと呼ばれている)をふりかけたために、しっとりとした感じになっている。

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ピンホールについて

精糖工業会

 ご存知の通り、砂糖の1kgや500gのポリ袋には、袋に砂糖を充填して封をする際に、空気を抜くための微小な穴があいています(ピンホール)。
 「この穴からごみや虫が入ることはないのですか」とのご質問を受けることがあります。しかし、この穴はごくごく微小なものですし、精糖会社では厳重な衛生管理がなされていますので、製造・包装の段階でこの穴から異物や虫などが混入することはまずあり得ません。ただし、輸送中や保管中の保存状態によっては、虫がこの微小な穴を食い破ったり、異物が入ることが全くないとは言えません。もし、万が一、このような現象が見つかったら、製造メーカー(袋に相談窓口が記載されているはずです。)もしくは販売店に問い合わせてみてください。

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