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フィジーの糖業およびサトウキビ研究の現状

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最終更新日:2010年3月6日

砂糖類ホームページ/海外情報


海外レポート
[2001年12月]
 フィジーにおける砂糖産業は外資獲得のうえで観光と並んで同国経済の支柱となる最大産業です。同国の輸出総額の30%以上を稼ぎ出し、現在国内総生産の約12%を占めているといわれており、わが国においても同国からの粗糖は年間輸入量の1〜4%ほどとなっています。また同国のサトウキビは、サトウキビべと病、フィジー病、わい化病などの抵抗性、高収量、高糖性品種の育成を目標としているそうです。フィジー糖業の概要とサトウキビ研究の現状について紹介していただきました。

国際農林水産業研究センター 沖縄支所
育種素材開発研究室 松岡 誠


はじめに
フィジーの地勢
サトウキビ栽培の歴史と現在の栽培状況
製糖工場
フィジー砂糖公社サトウキビ研究センター (The Fiji Sugar Corporation LTD. Sugar Cane Research Center) について
おわりに


はじめに

 2001年9月22日から27日までの6日間、国際農林水産業研究センターの海外調査研究活動としてフィジーに滞在し、同国の糖業およびサトウキビ研究事情を調査する機会を得た。フィジーはわが国の四国とほぼ同程度の面積、人口約80万人の小さい国でありながら、南太平洋島嶼とうしょ諸国のなかではもっともサトウキビ栽培と製糖産業が発展した国で、粗糖は同国最大の輸出品目となっている。フィジーでは生産された砂糖のほとんどは輸出され、外貨獲得に大きく貢献している。外貨獲得のための輸出産品に乏しく、先進諸国の援助無しには自立することが困難な、その他多くの南太平洋島嶼諸国の中では異色の存在でもある。しかし、わが国にとって同国は、砂糖の輸入先国の1つであることは、一般にあまり知られていない。毎年、多くの観光客がフィジーを訪れることから、「南太平洋の珊瑚礁に囲まれた楽園・リゾートの島」 としてのフィジーのイメージがわが国では大きく先行しており、サトウキビ関係者の間でも同国のサトウキビ栽培、研究に関する情報はほとんどないのが現状である。



フィジーの地勢

地 理
緑が多いスバの町並み
写真1 緑が多いスバの町並み
 フィジーは東経176度53分から西経178度12分、南緯15度42分から20度12分の南太平洋上に散在する321の島からなる島嶼国である。陸地の総面積は1万8,300km2 であるが、首都スバ (写真1) のある最大の島ビチレブ (1万429km2) と第二の島バヌアレブ (5,556km2) で国土の陸地面積のほぼ90%を占める (図1)。フィジーの多くの島々は火山に起源し、地表は丘陵あり、渓谷ありと起伏に富んでいる。島の中央部は高地となっており、最高地点の標高は1,320mである。ビチレブ島の土地を標高別に分けると概ね以下のようになる1)
 標高76m以下 (海岸平野)30.2%
 標高76m〜305m (中間地) 47.0%
 高地305m以上 (高 地) 22.8%

図1 フィジーの概略図および調査の行程
フィジーの概略図および調査の行程

気 候
 フィジーは熱帯雨林気候帯に属し、概ね穏やかで安定している。一年の気候は雨季 (11〜4月) と乾季 (5〜10月) に分かれ、南東貿易風の影響下に入る5〜10月には気温が多少低くなる。しかし、周囲を海に囲まれているため、気温の日較差、年較差は小さい。もっとも気温の低い時期 (7〜8月) と高い時期 (1〜2月) の平均気温の違いは2〜4℃程度である。雨季にはまれに熱帯サイクロンに襲われることもある。ビチレブ島および島バヌアレブ島の年平均の降水量は中央高地の東側と西側とで大きく異なる。東側は湿潤地帯で平年の降水量は3,000mm以上となるが、西側の乾燥地帯では1,600〜2,000mm程度で、この乾燥地帯とサトウキビの栽培地帯がほぼ重なっている。表1にはビチレブ島東部の代表的都市スバと、西部の代表的都市でサトウキビ栽培地帯の中心地ラウトカに近いナンディの気温と降水量を示した。日最高気温の平均は全体的に西部のナンディのほうが東部のスバよりも1〜2℃高いが、日最低気温の平均はナンディのほうがスバよりも1〜2℃低くなっている。また、降水量は全体的にスバよりもナンディのほうが少なく、特に4月から10月にかけての月別降水量はナンディでは著しく少ない。このナンディの気象条件はサトウキビの登熟には比較的好適な条件であり、このためサトウキビの栽培はビチレブ島では西部地域に偏って分布している。もっともサトウキビ栽培の始まった19世紀後半には、湿潤な島の東部地域、スバの周辺地域でもサトウキビは栽培され、いくつかの製糖工場が建てられた。しかし、サトウキビの糖度が低く、生産される糖の品質も劣悪だったことから、栽培は次第に減少し製糖工場も閉鎖されていった。現在、製糖用サトウキビの栽培が行われているのは、ビチレブ島ではシンガトカからラキラキまでの間の西海岸地帯で、シンガトカ、ラキラキより以東の地域では栽培は見られない。日本とフィジーは島嶼地域でのサトウキビ作という点では共通するところがあるものの台風のような嵐が頻繁に来ないこと、気温の低下が日本ほどではないこと、雨季と乾季がはっきりしていることが日本とは異る点である。

表1 フィジーの気温と降水量
  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月別平均日最高気温 (℃)
ス  バ 30.6 31.0 30.6 29.7 28.3 27.6 26.5 26.6 27.0 27.8 28.8 29.8
ナンディ 31.6 31.5 31.1 30.6 29.8 29.2 28.5 28.7 29.4 30.2 30.9 31.4
月別平均日最低気温 (℃)
ス  バ 23.6 23.8 23.5 23.1 21.9 21.4 20.4 20.5 20.9 21.7 22.5 23.2
ナンディ 22.7 23.0 22.6 21.7 20.1 19.3 18.3 18.4 19.3 20.4 21.5 22.1
月別降水量 (mm)
ス  バ 315 288 371 390 267 164 142 159 184 234 264 263
ナンディ 299 302 324 163 78 62 46 58 77 103 138 159
注) 表に示した数値は1961年から1990年までの30年間の平均値。
  データはフィジー気象協会 (Fiji Meteorological Service) による。

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サトウキビ栽培の歴史と現在の栽培状況

 フィジーでは全人口の4割強はインド人が占め、原住民族であるフィジー人 (メラネシア系とポリネシア系との混血とされる) の割合は51%程度である3)。このような人種構成になった原因は、1874年から1970年までのイギリスによる植民地支配と、その体制下で発展したサトウキビ・プランテーションを中心とした産業経済システムにある。1870年代に本格的にサトウキビの栽培が始まると、イギリスはサトウキビ・プランテーションの労働力としてインドから多くの人々を移住させた。やがてこれらの人々の多くはフィジーに地盤を築き、今日では 「インド系フィジー人」 として30万人以上が定住している。フィジーでサトウキビを生産している小規模農家の多くは、これらインド系フィジー人である。フィジー独特の土地所有制度のためこれらのインド系フィジー人農家は自分の土地を所有することはできず、借地において栽培している。フィジーでは土地の所有に関してはこのフィジー人とインド系フィジー人との間の微妙な関係が今日でも残っており、社会のさまざまな面で影響しているように思われた。
 2000年から2001年の製糖期におけるフィジーのサトウキビ収穫面積は7万4,000ヘクタール、原料茎の生産量は435万トン、単収は58.9トン/ヘクタールで、粗糖の総生産量は45万トンであった。日本が2000年にフィジーから輸入した粗糖は1万3,850トンで、前年1999年には6万5,196トンを輸入している4)。他の主要な輸出先国としてはイギリス、マレーシア、カナダなどがある。表2には1995年から1999年まで5年間の原料茎生産量と粗糖生産量を示した5)。サトウキビ原料茎の生産量は例年ほぼ400万トン前後を維持しているが、1997年と1998年、特に1998年には約200万トンと半分近くに落ち込んでいる。この年は単収も36.8トン/ヘクタールと著しく低いが、これは1997年から1998年にかけて発生したエルニーニョ現象の影響で、1998年の降水量が例年の半分程度というひどい干ばつに見舞われたためと考えられる。

表2 フィジーのサトウキビおよび粗糖の生産量
原料茎生産量
(t)
単  収
(t/ha)
甘蔗糖度
(%)
粗糖生産量
(t)
1995
1996
1997
1998
1999
4,110,238
4,379,551
3,279,639
2,098,493
3,958,138
55.6
59.2
44.7
36.8
61.3
11.88
11.15
11.90
13.19
10.00
454,477
453,757
347,389
255,703
376,501
注) データはサトウキビ研究センター年報1999/2000による。

 フィジーのサトウキビ収穫時期は、地域によって多少の違いはあるが、例年6〜12月にかけての約30週間である。作付されている品種によって早熟、晩熟と違いはあるが、8月〜10月頃に甘蔗糖度がもっとも高くなる品種が多い。現在、フィジーでは15の奨励品種が普及しており、土壌のタイプによって地域ごとに適する品種を植えるようにと指導が行われている。しかし、現時点では一部品種への作付けの偏りが著しく、品種の多様化が急務であると思われた。1999年にビチレブ島にあるラウトカ、ララワイ、ペナンの3工場で搾汁されたサトウキビのうち、それぞれ89%、86%、85%は MANA(マナ) (多収で甘蔗糖度も高いことから人気がある) という品種である。フィジーでは通常3回から4回程度の株出栽培が行われており、工場に搬入される原料茎のうち新植の占める割合は20〜30%である (写真2)。農家1戸当たりの平均的耕地面積は4ヘクタール程度で、収穫はほとんど人力によって行われる。今回の訪問中には稼働しているハーベスターは1台も目にしなかった。しかし、今後、他の砂糖輸出国との価格競争によって合理化が進めば、収穫の機械化も進んでいくものと思われた。また、フィジーでは焼却収穫法 (立毛の状態で火入れして、枯葉などを焼却後に収穫する方法。脱葉の必要がなくなり、収穫作業の効率は上がるが、原料茎の品質が低下する等の問題がある) がかなり行われており、火入れの煙が立ち上っている畑があちこちで見られた。ラウトカ製糖工場地域では焼却収穫は次第に増加し、ピークの1998年には工場に搬入された原料茎の75%を占めた。この数値は翌1999年には42%へと減少しており、製糖工場が栽培普及員などを通じて歩留り向上を目指すため焼却収穫はやめようと指導していたのではないかと考えられる。フィジーでも近々、品質取引に移行するということで盛んに農民に対する啓蒙活動が行われていた。品質取引への移行にともなって焼却収穫も次第に減少していくはずである。収穫された原料茎は工場に搬入されるが、フィジーではサトウキビ運搬専用の鉄道網が栽培地域全体に張り巡らされ利用されている (写真3)。もちろんトラックによる道路輸送も行われているが、鉄道による輸送と道路による輸送の割合は現在のところ半々くらいである。
収穫後の株出栽培
写真2 収穫後の株出栽培
サトウキビ運搬鉄道
写真3 原料茎を積んだサトウキビ運搬鉄道

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製糖工場

 フィジーには公営企業フィジー砂糖公社直営の製糖工場が4つあり、そのうちの3工場はビチレブ島にある。ここでは、このうちラウトカ市内にあるフィジーでもっとも大きなラウトカ工場について述べる。同工場は1903年に操業を開始した古い製糖工場で、年間に約150万トンのサトウキビを圧搾し、15万トンの粗糖を生産している (写真4、5)。工場は海のすぐそばに建てられており、砂糖の倉庫と船積み用の設備が隣接している。
 フィジー国内の4製糖工場を合わせた従業員総数は約3,000人で、同国最大の雇用提供の場となっている。副産物の糖蜜からはアルコールも生産しており、この砂糖とアルコールを合わせた輸出高は、フィジーの全輸出高の40%を占めている。
 今回の訪問時には工場は操業の真っ最中であり、原料の搬入、圧搾などの製糖行程を見ることができた。フィジーの製糖工場では設備・機械の近代化が大きな課題であるという話をあちこちで聞いたが、この工場の設備もかなり古いものが使われているように感じられた。
ラウトカ製糖工場の遠景
写真4 ラウトカ製糖工場の遠景
手前はラグビー競技場、ラグビーが盛んな国だけあっていたるところにある。
ラウトカ製糖工場の正門
写真5 ラウトカ製糖工場の正門

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フィジー砂糖公社サトウキビ研究センター (The Fiji Sugar Corporation LTD. Sugar Cane Research Center) について

研究所概要
 サトウキビ研究センターの歴史は古く、イギリス統治時代の1890年代まで溯るこことができる。最初は製糖工場付属の虫害防除所といった性格のものであったが、その後1903年にはララワイに育種試験場が設立され、本格的な試験研究が始まった。1958年にラウトカ (製糖工場の近く) に移転し、現在に至っている。  サトウキビ研究センターはサトウキビの生産性向上を目的として、耐病性品種の育種、栽培法の改善に取り組むとともに、農家への普及活動も統括している。研究所は所長以下、主として土壌肥料や栽培法等に関する研究部門、土壌およびサトウキビの化学分析部門、病害および虫害に関する研究部門、品種育成部門と普及部門に大別される。研究職員は現在8名、技術職員が14名、支援職員が85名である (うち28名は製糖工場内で分析業務を担当している)。所長の Jai S. Gawander 氏から、研究所全般に関する説明をしてもらい、その後は、育種担当の Shobna Sami 女史に研究施設内部、圃場を案内してもらった。

サトウキビの育種、遺伝資源の保存および利用について
ポットで育成中の実生苗
写真6 ポットで育成中の実生苗
 フィジーの主な育種目標としてはサトウキビべと病 (糸状菌の一種 Peronosclerospora sacchan により引き起こされる病気。葉に発生し、次第に葉の先端から乾燥枯死する)、フィジー病 (Fiji disease Virus により引き起こされるウイルス病。罹病茎は著しくわい化し、心茎も枯死する)、わい化病 (細菌の一種 Clavibacter xyli により引き起こされる。病茎は節間が短く細くなるため草丈は健全茎より低く分げつも少なくなる) などの病害に対する抵抗性の付与と高収量、高糖性品種の育成である。1999年の交配シーズン (5〜6月) には429組合せの交配 (うち413は二親交配で残りは多父交配) を行い3万5,000本の実生苗 (236組合せより) を得た (写真6)。選抜は5次まで行われ、5次選抜に残った有望な系統は、さらに各製糖工場での試験栽培を経たうえで、優秀なものが新品種として配布される。この選抜の過程では、収量、品質、株出性等とともに、前述した病害に対する抵抗性の検定も実施している。ここで育成された系統には LF (Lautoka, Fiji の略) の系統番号が与えられ (例:LF98-214 は98年交配の214番系統)、品種になるとフィジー語の品種名が付けられる (例:Mana, Kaba, Aiwa)。交配はラウトカの研究センター本場で行われるが、交配用の母本・父本はラキラキ東方、車で約30分の距離にある Dobuilebu の圃場で栽培される (ここの気候が他地域より冷涼でサトウキビの出穂に好適であるため)。
遺伝資源コレクションの一部
写真7
保存されている遺伝資源コレクションの一部
 サトウキビ研究センターでは公称では6,000点を超すサトウキビおよび近縁種の遺伝資源を栄養体で保存しているとされている。これらの遺伝資源は研究センターから車で30分ほど北へ行ったところにある圃場で保存されており、その一部、数百点については研究センター本部内の圃場にも保存されていた (写真7)。地上部の刈り取りからまだ1ヵ月しか経過していないため、株は伸び始めたばかりであった。育種担当研究者の話では、保存しているとされている遺伝資源コレクションのほぼ3割近くがすでに消失しており、現在、管理の適正化を図っているとのことであった。また、今年度中にフィジー国内とパプアニューギニアにおいて遺伝資源の調査・収集 (主として高貴種・ロバスタムを対象に) を実施する計画を進めているとのことで、希望があれば日本からの参加についても検討する余地があると言っていた。
 諸外国との間の遺伝資源交換については現在、タイ、インドネシア、台湾との間では若干交換を実施しているとのことであった。日本との間ではこれまでに交換の実績はないが、今後の協議によっては交換を実施してもよい、とりあえず、コンタクトを続けていきましょうということで合意した。今回は短期間の訪問であったためフィジーの遺伝資源コレクションを詳細に検討する事はできなかったが、概観では高貴種のコレクションが豊富であると感じられた。また、今回、直接目にすることはできなかったが、フィジー人の村においては Saccharum edule (未熟な出穂前の花を食用とするサトウキビ) が多く栽培・利用されているという情報が得られた。今後、こういったものについて遺伝資源の相互交換の話を進めていきたいと考えている。

フィジー病の典型的症状
写真7 フィジー病の典型的症状
その他の研究について
 サトウキビ研究センターでは、この他に病害及び害虫に関する研究部門のリーダー、Rupeni Tamanikaiyaroi 氏と Saimone Johnson 氏に面会し、研究室の案内を受けた。また、ラウトカの市内から山間部へ30分ほど車で走ったところにある病害隔離圃場にも案内してもらった。ここでは、べと病とフィジー病の接種、抵抗性検定試験を行っていた (写真8)。
 全体を通しての印象であるが、同研究所では研究員の数も少なく規模も小さいことから、基礎的な研究よりも生産現場により近い研究に特化しているようであった。製糖工場付属の研究所で、工場の化学・プロセス部門と直結している、また栽培普及部門も抱えている以上、当然といえば当然の話である。



おわりに

 今回の調査は、9月16日から21日までオーストラリア、ブリスベーンにおいて開催された国際サトウキビ技術者会議第24回大会 (24th International Society of Sugar Cane Technologists Congress) に出席し、その帰途にフィジーに立ち寄るという形で行われ短期間の調査となった。同国のサトウキビ遺伝資源については、近い将来、今回得られた情報を元にさらに詳細な調査を実施したいと考えている。

引用文献
1. フィジーの農林業 ―現状と開発の課題―,国際農林業協力協会、1997.
2. The Climate of Fiji, Fiji Meteorological Service, 2001.
3. 地球の歩き方フィジー・サモア・トンガ, ダイヤモンド社、2001.
4. 砂糖類情報, 58, 農畜産振興事業団, 2001.
5. Sugarcane Research Center Annual Report 1999/2000, The Fiji Sugar Corporation LTD, 2000.




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