最終更新日:2010年3月6日
一口にパンといっても、それを口にする場面はさまざまです。三ツ星レストランでフランスパンを豪華なディナーとともに食べることもあれば、朝、通勤客で混雑する駅の売店で、あんパンを牛乳と一緒に立ち食いすることもあります。
もちろん、こうした食べる際の「TPO」だけでなく、パンによって味や風味などにも違いがあります。こうした違いはどこから来るのでしょうか?要因はたくさんありますが、その1つが砂糖の添加量です。砂糖はパンのボリューム、焼き色、柔らかさ、老化、製法を大きく変えます。パンに砂糖が加えられたのは、古くはギリシア時代(はちみつ)のことです。その後、砂糖はパンの中でさまざまな使われ方をしてきました。ここでは、パンの歴史、種類、パン業界の概要を説明しながら、パン作りにおける砂糖の役割についてお話しします。
パン類の定義は、農林水産省のパン類品質表示基準では、「小麦粉又はこれに穀粉類を加えたものを主原料とし、これにイースト(注)を加えたもの又はこれらに、水、食塩、果実、野菜、卵、及びその加工品、砂糖類、食品油脂等を練り合わせ、発酵させたものを焼いたもので水分10%以上のもの」などと定められています。この中で、パンの基本原料は小麦粉、パン酵母、塩 水の4種類を言います。砂糖、油脂、卵、乳製品、ドライフルーツなどは、製パン原料としてたくさん使われていますが基本原料ではありません。しかし、パン製品の差別化・多様化に伴い、糖類、油脂、乳製品の使用量、使用比率は増加しています。
(注)パン酵母のこと
今から1万年前に人類は小麦を最初の栽培穀物の1つに選びました。その後、6000年前にはメソポタミア地方で小麦、大麦などの穀類を粉にしてかゆ食、無発酵の平焼きパンを食べたとされています。現在、私たちが食べている発酵パンはエジプトで4000年前に偶然焼かれたと言われています。それが、ギリシアに伝わり地中海地域の豊富な農産物(サルタナレーズン、オレンジ、オリーブ、ナッツ類、はちみつなど)とワイン作りの発酵技術がパン作りに応用され、パン職人が登場し、色々な種類のパンが出現しました。時代がギリシアからローマに移るとパン作りはますます盛んになり、紀元前321年にはローマに245件のパン屋があったと記されています。ローマではパン職人の「ギルド」が結成されるとともに職業訓練所、共同製パン所なども完備され製パン技術もますます向上しました。ローマ軍の遠征と共に周辺諸国、地域にパン食が普及しますが、ローマ帝国が衰退すると、パン食文化も衰退し、パン作りは庶民から地方の豪族、修道院などに取り込まれるようになります。その事によって、地方色豊かなパンが各地に誕生することになりました。
日本へ小麦栽培が伝来するのは紀元前100年頃です。当時、既に稲作が日本全国に普及しており、小麦栽培が大きく広がることはありませんでした。その後、7世紀頃に麺が伝来し、13世紀にはまんじゅうが伝えられています。パンは1543年ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が伝えられると同時に伝わり、1549年イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教と同時にパン作りを全国に伝えることになります。以後、1639年鎖国令が施かれるまでの90年間、キリスト教徒が全国に75万人居たとも言われ、想像以上に、江戸時代の日本人はパン食に親しんでいたのかもしれません。その事を伝えているのがドン・ロドリゴ・デ・ベビロイ・ベラスコの書簡です。1609年7月30日、ドン・ロドリゴはフイリピンの臨時総督を終え、メキシコに赴任する途中、9月30日、現在の千葉県御宿町田尻沖で遭難し、当時の大多喜藩主・本田忠朝に300名の乗組員と共に助けられます。その後、江戸城で2代将軍徳川秀忠、駿府城で徳川家康に謁見し、仲間の船が停泊する長崎まで90日間の旅行をします。1610年8月1日、日本を離れるまでの10カ月間の滞在記を本国イスパニアへ送っています。それによると「日本人のパンを食するは果実の如し、常食外としてのみなれば、江戸において製するパンは世界中最良なりと言うも、敢えて、過言に有らざるべし、而して、これを買うもの少なきが故に、その値ほとんど無きにひとし。…小麦はイスパニアよりも良く、産額多量なれど日常の食糧は米なり。」と記されています。残念ながら、その後のキリスト教禁教令と共に、パン食、パン作りも禁止され、江戸のパン文化は歴史から抹殺されてしまいます。
日本の歴史にパンが再登場するのは、1842年4月12日伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門が韮山の私邸にパン窯を築き、長崎のオランダ屋敷に料理方として勤め、パン作りの経験の有る作太郎という人物を呼び寄せ、兵糧としての「乾パン」を焼いた事に始まります(パン業界が毎月12日を「パンの日」としているのはこの日に由来します。)その後、戦闘時の非常食料として水戸の兵糧丸、薩摩の蒸し餅、長州の備急餅などの軍用パンが作られます。
幕末期には幕府に技術援助したフランス人が横浜近郊に多く住み、横浜で焼かれるパンはフランスパンでした。維新後も明治10年ごろまではフランスパンが日本のパンの主流でしたが、徐々に明治政府に技術援助するイギリス人が増え、イギリスの植民地であったカナダも近いことから、カナダから輸入された小麦・小麦粉を使ってイギリスパンが焼かれ、現在の食パンにつながっています。歴史に「もし」はありませんが、戊辰戦争で幕府が勝ち、日本に住む外国人がそのままフランス人であれば、日本の小麦がフランスのそれに近いこともあり、日本のパンは今のような食パンではなく、日本の小麦で作られたフランスパンであったかも知れません。維新後は明治7年に「あんパン」が銀座の木村家から売り出され、「クリームパン」は明治37年、本郷赤門前の中村屋から売り出されます。昭和5年にオリエンタル酵母工業から「パン酵母」が売り出されるまで、日本のパン作りは主に食パン用のホップ種と菓子パン用の酒種、という2種類の発酵種(自家製酵母)で作られていました。第二次大戦後には学校給食によってパン食が急激に日本の食卓に普及しました。
日本ではお米が主食になっていますが、国民1人・1年当たりの供給食料を見ると米が61.4キログラムに対して、麦は32.3キログラム(平成19年)とほぼ半分にまで近づいています。最近は日本の食料自給率41%が議論され、自給力を上げるために、多収米・飼料米の開発、米粉の用途開発などが話題になっています。先にも述べたように400年前の日本でも、国内産の小麦を使って美味しいパンが焼かれていたという歴史もあります。昨年12月には農林水産省から国内産小麦の生産を10年かけて90万トンから180万トンに倍増する計画も発表になっています。すでに国内産小麦の使用比率が70%に達する麺に加え、パン用国内産小麦の増産に力を入れ現在の国産比率1%を出来るだけ上げたいものです。
現在、日本のベーカリーで売られているパンの種類がどの位有るのか想像もつきませんが、よく町の中で目にするリテールベーカリー(店内に厨房を持つ店)で90〜120種類、大型店になると200種類以上の品揃えをしています。加えて、毎月、毎週、新製品を開発し消費者に選ぶ楽しみを提供しています。農林水産省が発表する「パンの種類別生産量」[表1]で、食パンに分類されるのは普通食パン、コッペパン、レーズン食パンなどであり、菓子パンは砂糖の配合が10%以上の、あんパン、バターロール、デニッシュペストリーなどを指します。その他パンに分類されるのはフランスパン、ドイツパン、調理パン、クロワッサンなどです。
表1 パンの種類別生産量 |
(単位:トン) |
資料:農林水産省調べ 注:生産量のパンの分類 食パン:普通食パン、コッペパン、レーズンパン等
菓子パン:あんパン、クリームパン、ジャムパン、デニッシュペストリー等、糖配合10%以上のもの その他パン:フランスパン、欧州硬焼きパン、クロワッサン、調理パン等 学級パン:学校給食用パン |
ここでパン屋さんに並ぶ主要なパンの基本的な原料配合を紹介します[表2]。主原料となる小麦粉は作るパンの容積、副材料の配合量、求めるパンの食感などでたんぱく量を変えています。パン酵母の種類と量もパン生地の温度、砂糖、食塩の配合量を考えて調整し、食塩はもちろん塩味のバランスを第一に考えますが、砂糖の添加量とほぼ反比例しています。砂糖の配合率は食事用のパンほど少なく、表2では12%のバターロールまでが食事パンとして食べられます。油脂、卵の配合量の多いものは嗜好品としての需要が多いようです。
表2 主要パンの基本配合(小麦粉を100とした場合) |
※配合は分かりやすいように単純化しています。 ※パン業界では小麦粉を100として原料の使用比率を表わすベーカーズパーセント(外割)を使用しています。 |
パン作りの中で砂糖は重要な役割を担っています。通常の食パンにおける砂糖の配合率は5〜6%ですが、町のリテールベーカリーでは10〜12%に増やしているところもあります。通常12%というとバターロールに加えられる配合率ですが、この配合率の食パンの方が、クラスト(皮)が薄く、老化も遅くなり、おおいに売れているお店もあります。一般的なパンの砂糖配合率はフランスパン、ドイツパンは0%、食パンが5〜6%、ドックロールが8〜10%、バンズ、中華饅頭が13%、菓子パンが18〜25%、スイートロールが20%、パンドーロが30%といったところです。砂糖の添加量によって使われるパン酵母の種類も量も変わります。砂糖の添加率が0〜7%の時は無糖用パン酵母を、7〜25%では菓子パン用パン酵母(耐糖性パン酵母)を、30%以上になると最近開発された高糖用パン酵母を使います。各配合・工程と砂糖の関係は以下のとおりです。
吸水:砂糖を5%加えると、吸水は1%減少します。
ミキシング:砂糖が多いとグルテンがつながりにくくなり、若干硬めの生地をしっかりミキシングするのが良いパンを作るポイントです。
発酵力:糖量が約10%まではパン酵母の発酵力を促進しますが、10%以上になると徐々に発酵力を阻害します。しかし、最近は耐糖性の強いパン酵母も開発され、砂糖の配合量にあったパン酵母の種類と添加量を決めることが大切です。
原材料:砂糖、食塩の配合量による浸透圧の値がパン酵母の発酵力に影響を与えます。味のバランスもありますが、砂糖の添加量が増えるに従って、食塩量を減少させます。
焼色:砂糖の配合量が多くなると、焼成によるカラメル化、メイラード反応を促進します。砂糖の多いものは焼き色が早くつきますので、生焼けにならないよう、焼成温度の調整と焼成時間、焼減率管理が大切になります。
世界には色々なパンがあります。西欧の発酵パンに対して、南アジア・中近東の無発酵パン。フランス、米国の白パン(小麦パン)に対してドイツ、東欧の黒パン(ライ麦パン)。これらのパンの形質はその地域に産出される小麦・ライ麦の製パン適性に依存しており、食事パンとして食卓に供せられます。パンの高級品には2種類あり、極力副材料を使わず小麦粉の美味しさと発酵の美味しさで食べさせる高級食事パン。もう1つは、ふんだんな副材料、砂糖、油脂、卵、ドライフルーツやナッツ類を駆使し、美味しく仕上げる高級パンです。両者は、素材の質、配合のバランス、そして、パンを作り上げる製パン法も違ってきますが、その中心にあるのが砂糖です。
日本のベーカリー業界団体には大手製パン20社が所属するパン工業会と全国61組合、2300社が所属する全日本パン協同組合連合会があります。その販売比率はおおよそ75:25で昭和45年当時の30:70から比べると隔世の感があります。全国各地にあるホームベーカリーといわれる小さなパン屋さんには、組合に所属していない店舗も多くあります。[表3]に大手製パン企業の販売額とシェアを紹介します。
表3 大手製パン企業の販売額とシェア |
(単位:億円、%) |
資料:日刊経済通信社 (注)年度は各社の決算年度。パンのみの販売額 |
ベーカリー市場においては、卸売りを主体とする山崎製パン、敷島製パンなどのホールセールベーカリー、単店舗で製造・販売するリテールベーカリー、多店舗を展開するドンク(ジョアン)、ポンパドォールといったマルチリテールベーカリー、冷凍生地メーカーから冷凍生地を供給してもらい、店頭では最終発酵と焼成のみを行うビ・ド・フランス、リトルマーメイドといったベークオフベーカリー、最近欧州で増加中の8割まで焼成し、ガス充填包装による常温流通で駅、学校、企業のイートインコーナーで残り2割の最終焼成をして提供するブラウンサーブなど多くの業態が存在し、時代と地域の特性によってすみ分けが行われています。
パン業界においても差別化、個性化した商品をいかに開発するかが売り上げを左右する重要な要素になっています。食塩は昔の精製塩だけでなく、さまざまな個性ある自然塩が売られています。残念ながら、塩でパンの味まで差別化できるわけではありませんが、微量成分を取り込むことでより健康に良いパン製品を提供している企業も有ります。最近は砂糖にもいろいろ個性的な商品が見られますが、加工原料としてより使いやすい形状と価格での提供を期待しております。
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