茶やコーヒーのような新奇な食べ物と違って、砂糖には、これを毒だとする反対意見はあまりなかったことは、前月号(砂糖類情報 2005.9月号)で、触れた。というより、砂糖は、中世以来「薬品」としての薬効が高く評価されてきたのである。その原因は、イスラムを通じて伝えられた古代の医師ガレノスの権威にあった。このため、ルネサンスの風潮にのって、古代の学術の人気が高かった16世紀のイギリスでは、医学書に砂糖が登場するのは、ごく普通のこととなった。
当時、最もよく読まれたと思われる一書(『自然および人為による健康指針』)によれば、「砂糖はあらゆるタイプの障害を和らげ、除去する。痰(たん)を切り、腎臓の働きを助け、腹部の苦痛を取り除く」とあり、米を「牛乳と砂糖に浸して服用すると、胸焼けに卓効あり、子種に恵まれ、下痢止めにもなる」という。もう少し、「理論的」にいうと、イチゴを「ワインで洗って、多めの砂糖とともに服用すると、胆汁を減らし、肝臓を冷やし、食欲を増す」のだというのである。ここで使われている、「胆汁」とか、「冷やす」とかいった言葉は、ガレノス医学の基本的な用語である。それぞれ多血質、胆汁質などの「体質」と、冷・熱および乾・湿の組み合わせで説明される「状態」、粘液、胆汁なとの「体液」によって、病気や人体の状態を説明するものである。例えば、体質が「多血質」で、「熱い」状態にある人は、「放血治療」が必要というような具合である。
この医学書では、結局、砂糖は、耳鳴り、水腫、しゃく、咳、下痢、鬱病そのほか多数の病状にも有効として、これを大いに推奨している。これらの病状には、現代医学でもなかなか完治が困難なものもあるから、これが事実ならば、すごいことではある。17世紀の別の医学書では、蜂蜜と砂糖の違いや砂糖の中でも、おおかたは、精製の度合いで分けられる砂糖の種類による薬効の違いなどが指摘されていて、砂糖をめぐる理論はいっそう精緻になった。この書物によると、砂糖は過度な『熱さ』と『湿気』があり…胸や肺の障害によい。しかし、痰には蜂蜜ほどの効果はない。…水と砂糖を混ぜただけのものは、『熱い』『胆汁質』の『乾燥性』の体質の人には特に良い」ことになる。
「砂糖というものは白ければ、白いほど良い」というこの著者は、粗糖とそれを煮詰めた赤砂糖を経て、最後に「氷砂糖」にいたる各種の砂糖の薬効をとりあげ、それらが適合する体質を示している。あらゆる砂糖の中で、最も精製の度合いの高い氷砂糖は、薬効も最良で、ほかの種類の砂糖のように「熱く」はないし、多少とも「湿気」もあるから、「舌・口・喉・気管の荒れや乾きを見事に和らげるので、『熱い』体質の人や『乾燥性』の体質の人にならすべて適合的である」という
もっとも、さすがの砂糖信奉者たちも、ここまで言っては言い過ぎと思ったのか、先の16世紀の医学書の著者も、次のような断りも入れている。いわく、「砂糖は『熱い』物質で、体内ではすぐに、胆汁に変わってしまう。だから、特に若者や『熱い』体質の人には勧められない。砂糖を常用しすぎている人は、たえず喉が渇いて、血液も熱くなっているし、歯は黒ずんでむし歯になっているからである」と。「断り」のほうも、見事にガレノス風であることはいうまでもない。
今日の疫学的見地からしても、砂糖と虫歯の関係は、最もわかりやすい例である。1932年、南大西洋にある絶海の小さな孤島、トリスタン・ダ・クーナ島の全住民162人を調査したイギリスの軍医は、住民の83パーセントには虫歯がなく、5歳以下の子供にいったては一本の虫歯もないことを発見した。この島の日常生活には、シリアルと砂糖がないことが特徴でもあった。精白粉と砂糖は、滅多に訪れない、外部世界から船によってしかもたらされなかった。母乳による育児が普通であったが、他方では、歯ブラシというようなものは知られていなかった。つまり、歯磨きの習慣など、なかったのである。
ところが、3年半後に同じ軍医がこの島を再訪したとき、様子はまったく変わっていた。虫歯は人口の50パーセントに及んでおり、特に子供の間でひどくなっていた。この間に、島の生活で変わったことといえば、この三年半のあいだに10隻以上の船舶が外部から訪れ、そのたびにかなりの量の精白粉と砂糖をもたらしたことしかない。
虫歯には、ビタミンD不足が問題だとする意見もあるが、日当たり良好なニュージーランドの白人は、世界的にみても虫歯の多い国民である。かれらの生活水準が高く、砂糖、スウィート、ケーキ、ビスケットなどの消費量が多い。その結果、彼らの歯の具合いは、イギリスの工業都市バーミンガムのスラムの子供たちより劣悪だったのである。ニュージーランドの先住民マオリは、ほとんど虫歯をもたないが、都市に出て白人の生活に馴染んだとたんに、かれらの歯の状態は悪化したことが知られている。
イギリスの長期統計も、虫歯と砂糖の間に明白な関連を示している。イギリスで虫歯がいっきょに激増したのは17世紀であることが確認されているが、この世紀こそは、かのコーヒーハウスの世紀であり、ジャマイカなど、カリブ海植民地における砂糖革命の世紀であった。イギリス人が砂糖入り紅茶を飲み始めたことが、その最大の原因であったものと思われる。
虫歯は、砂糖を用いなかった時代の人骨からも見つかっているし、砂糖を含めた糖質の食品を食べることだけに問題があるのではなく、食後に細菌が増殖して歯垢を作る環境をつくらないこと、すなわち食後に歯を磨くことを習慣づけることが大切であることはいうまでもないが、しかし西洋の歴史にてらしてみれば、それが砂糖や白パンの普及と相関していたことも事実である。
当然のことではあるが、その結果、歯科治療の技術は、17世紀以後に劇的に改善されたという。「中世のヨーロッパでは、抜歯や義歯の作成は大道芸の域を出なかった」が、このころから、今日とほとんど変わらない治療が行われるようになった(竹原直道編『むし歯の歴史』砂書房)。
もっとも、17世紀には、外科医はすでに理髪師と区別されはじめていたが、歯科医と理髪師の区別はなお明瞭ではなかったと思われる。というのは、次の世紀の後半に起こった産業革命の立役者のひとり、アークライトは、その両方を兼ねていた気配が濃厚で、特に虫歯の抜歯の名人として知られていたからある。
虫歯が砂糖によってつくられたとすれば、アークライトの研究資金は、砂糖のおかげでつくられたとも言えるのかもしれない。
放血治療をうける患者