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お砂糖豆知識[2006年4月]

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最終更新日:2010年3月6日

ALIC砂糖類情報
お砂糖豆知識
[2006年4月]

世界の砂糖史 (13)

大阪大学名誉教授  川北稔
〜砂糖でも塩でもない 砂糖の格言〜


 人間を含む動物の生命維持に不可欠な塩については、昔からさまざまな格言がつくられてきた。砂糖はそれほどでもないが、やはりわれわれの生活に身近なものだけに、多くの格言やことわざに使われている。砂糖と塩の両方が入っている英語の格言、「砂糖でも塩でもない」というのは、ちょっと意外なことに、耐水性を示す表現である。砂糖と塩には、張り子のように水に弱いという共通の性格があるというわけである。
 砂糖は、当然のことながら甘いものの代名詞となっているので、フランスでは、車を運転する時には「免許証と角砂糖を忘れずに」という格言もあり、運転に疲れてきたら、お砂糖入りのキャンディやお砂糖入りのコーヒー・紅茶で脳にエネルギーを送りこむのが、安全運転の一番の妙薬だとされている。
 「甘い」といっても、格言や文学表現の世界では、もっと抽象的な意味合いのことが多い。一昔まえ、イギリスの文壇の中核を担っていた「怒かれる若者たち(アングリ・ヤング・メン)」の中心人物、アラン・シリトーの芝居のなかには、次のような一節もある。「『運』ってやつは、たえず変わる。いま後頭部にがんと一撃くわせたかと思うと、次の瞬間には砂糖をほおばらせてくれたりする。問題はただ一つ、へこたれてしまわないことだ。いいときもあれば、いやなときもあるさ」、と。ここでも砂糖は、「ちょっとよいこと」くらいの意味になっている。「過去への帰還には、つねに砂糖がまじりこむ」というのは、バルカンのことわざだとされている。「かわいい子には灸を据え憎い子には砂糖をやれ」という日本の格言も、同様であろう。「ちょっといいこと」の意味の「砂糖」の用法には、「砂糖の木へ餅を背負ってのぼる」とか、「砂糖船に甘草の帆柱」などという、最上級の表現もある。前者は、地域によって、「牡丹餅を食って砂糖の木にのぼる」ともいうようである。
 砂糖はまた、女の子の好きなものの代表でもあるようで、「砂糖、香料、いいものみんな」という英語表現もあって、「巨人、大鵬、卵焼き」というところらしい。砂糖には、たしかに女性と子供のものというイメージもあったようで、「子供が物心つくやいなや砂糖を欲しがるのに、どうして大人がワインに満足を求めてはならない理由があろうか」という古い用例もある。「砂糖の声」は、むろん「甘い声」だし、「砂糖のようなメロディ」は「甘い音楽」である。アメリカの英語では、「砂糖」は「ダーリン」の意味でもあり、「砂糖の言葉」とは「甘言」である。
 砂糖は女性の好きなものというだけでなく、それ自体、女性的なものとみなされるようになった。18世紀イギリスの一書によれば、「たばこという名のインディアンの茄子の葉っぱ・・・の有毒煙に魅惑されないだけに、女性は砂糖を好むのだ」という。砂糖などの甘味に、セクシャルな意味で、女性の身体との連想が強いのは、母乳の記憶が潜在意識となっているからなのかどうかについては、結構長い論争があって、決着していない。
 砂糖と女性との関係には、政治的なニュアンスもあった。第一次世界大戦終結まで選挙権もなく、普通のやり方では、おおやけの政治活動ができなかったイギリスの女性たちが、政治に参加する格好の機会を、砂糖から得たことがあるのだ。すなわち、18世紀末、イギリス国内でカリブ海域における奴隷制の廃止が話題になったとき、イギリスの上流・中流の女性たちが砂糖ボイコットを始めた。直接的に奴隷制廃止運動を展開することは、当時の上流女性としては、ありえないことであった。しかし、砂糖にまつわる女性的なイメージからして、砂糖のボイコットというかたちであれば、このような本質的に政治的な運動を展開することも、社会的に容認されたのである。また、砂糖は、いつでも、どこでも、あまりにも広く受け入れられていたので、あえてこれを拒否することが、有力な政治活動の道具となったのである。
 しかし、砂糖にまつわる格言には、むしろ、砂糖をあまりいい意味ではないかたちで引き合いに出しているものもある。「砂糖食いの若死に」というのは、砂糖が糖尿病などの成人病のもとだという、いささか濡れ衣風の言説につながっている。英語で普通に使われる「砂糖おやじ(sugar daddy)」というのも、「若い女に甘い、いかれたおやじ」の意味である。「鼻の下の長い男」とでも訳すべきだろうか。「砂糖買いに茶を頼むな」という広く流布したことわざは、湿気をよびやすい砂糖を、湿気に弱い茶といっしょにしてはならないということのようで、「朱に交われば・・・」と同様の意味であろうから、ここでも砂糖はいささか悪者扱いである。
 アジアにも、砂糖の格言は少なくない。「砂糖を蟻に預けるな」というのは、タイやカンボジアなど、東南アジアで広く知られていることわざらしい。日本風にいえば、「猫にカツオブシ」とでも訳すのだろうか。人のそばに、その人の目のないものを置くのは危険きわまりない、という警告である。
 ところで、「砂糖」の用例を探していて、びっくりしたものがひとつあった。口にできない「砂糖」に出くわしたのである。18世紀イギリス文壇の中心にいたジョンソン博士の手になる英語辞典といえば、権威もあるが、ウィットの効いた辞典としても知られている。「オート麦」の項目を「スコットランドでは人が食べているが、イングランドでは馬が食べている麦」などとして、スコットランド人をからかったりしているからである。
 この辞典の「砂糖」の項目をみると、博士より半世紀以上まえに活躍したロバート・ボイルの文章から「鉛の砂糖」というのが引かれていた。「なめると甘いが、毒性あり」とボイルが注釈しているらしいのだ。ボイルというのは、植民地アイルランドに膨大な土地を所有したイギリス人貴族で、気体の体積と温度や圧力の関係にかかわる「ボイル・シャールの法則」で、中学生でも知っているあの科学者である。
 いまの事典では、「酢酸鉛」ないし「鉛糖(えんとう)」として記載されているが、鉛を酢酸で溶かしたもので、わずかな甘みがあると説明されているので、どうやら砂糖とは関係なさそうである。
 このような「砂糖ならざる砂糖」ではない、「食べられる砂糖」にも、なかなか厳しい用例もある。「瓜に砂糖肥え」は、思い切り甘い瓜をつくろうとして、砂糖を肥料にする愚行のことである。これに対して、「金平糖にも角あり」は、「一寸の虫にも・・・」ということか。




奴隷解放運動のために、産業革命時代の著名な陶器業者ウェッジ
ウッドが作成したメダル。砂糖入り紅茶のボイコットでは、女性
が活躍した。



茶と砂糖は、女性のイメージであった。