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最終更新日:2010年3月6日
[2007年5月] |
「甘み・砂糖・さとうきび」(8) |
独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 九州沖縄農業研究センター 研究管理監 杉本明 |
世界各地のさとうきび 〜南西諸島、日本本土〜 |
当時栽培されたさとうきびは、シネンセ種(中国細茎種)、栽培起源種(Saccharum officinarum2n=80)と野生種(S.spontaneum)との自然交雑の後代、染色体の数(2n=118)からは栽培起源種とススキ属植物のオギ(Miscanthus sacchariflorus2n=76)との自然交雑後代とも言われる。今では少ないが、この種で作った黒糖・きび酢の美味しさには定評がある。フラクトオリゴ糖成分が高いことも報告されている。和歌山在来、大島在来、羽犬塚在来等、往時をしのばせる、地名の付いた系統が今に残されている。
前号で、世界の生産地を紹介しながら、日本はその何処に位置するのかを考えた。本土のさとうきび、寒い冬、小規模な地場産業、美味しい黒糖・黒蜜は、勿論どこにもあてはまらなかった。九州本土の南、紺青の海に浮かび、花飾りのように大陸の縁を飾る琉球弧(東南の縁で反りを作る外弧と西北で支える内弧がある)・南北大東島地域のさとうきび生産、海に向かう傾斜した小面積圃場(写真1)と美しい礁糊、台風・干ばつ被害の常発(写真2)、高い地代・労賃を特徴とする生産は、世界の何処にも位置づけられなかった。このことは、私達に、「持続的なさとうきび産業」があるとしたら、それは、世界のどこにもない、「日本のさとうきび」としての生産の概念、圃場・作物・機械・施設の利用方法と人間活動のありようを、記憶と経験の深層から見つけ出すことに始まることを伝えている。そのようにして創り出した「日本のさとうきび」という概念、そこから技術を創出し、実用技術としての開発に成功することが必須であることを示唆している。今号では、その初めの一歩として、日本のさとうきび生産地、波照間島、与那国島、北大東島から種子島に広がる主産地と、九州本土、中国、四国、東海等に点在する産地の姿を概観する。
写真1 海に向うきび畑・分蜜糖工場(徳之島) |
写真2 台風後のきび畑(与那国島) |
沖縄県下の島々
南端は波照間島、西・東・北端の与那国島、北大東島、伊平屋島、太平洋・東シナ海に根付く4島に囲まれる島々が、沖縄県のさとうきび生産地である。石垣島(石垣島製糖)、宮古島・伊良部島(宮古製糖、沖縄製糖)、沖縄本島(球陽製糖、翔南製糖)、久米島(久米島製糖)、南大東島(大東糖業)、北大東島(北大東製糖)、伊是名島(JAおきなわ)等、比較的大きな産地では分蜜糖(白砂糖の原料となるので原料糖あるいは粗糖とも呼ばれる)が製造される〔伊江島(JAおきなわ)は原料生産の減少によって製糖工場が閉鎖された。〕。一方、与那国島(JAおきなわ)、波照間島(波照間製糖)、西表島(西表糖業)、小浜島(小浜糖業;写真3)、多良間島(宮古製糖)、粟国島(JAおきなわ)、伊平屋島(JA伊平屋)等、生産量の少ない島々では黒糖製造が行われている。新しい試みとして、沖縄本島南部では「きび酢」、南大東島や沖縄本島では「ラム酒」が、粟国島では「ケーンセパレーションシステム」と呼ばれる新しい利用法による高品質分蜜糖の製造、ケーンワックスやバガスの高価値利用が始められている。
この十数年、日本ではさとうきび生産の作付け減少が顕著であるが、沖縄県下では1989/90年期の20,994ヘクタール(177.9万t)から2004/5年期には13,611ヘクタール(67.9万t)に、面積比で65%に激減している。波照間島、西表島、伊是名島、南大東島等の離島では比較的安定しているが、沖縄本島、伊江島等では減少が激しく、製糖工場の閉鎖は、伊江島のほか、沖縄本島でも5工場から具志川市、豊見城市の2工場に減少した。
石垣島は県下最高峰の於茂登岳に連なる中央山系を背骨に持ち周囲を礁糊が飾る美しい島である。周縁部は島尻マージと呼ばれるサンゴ石灰岩土壌、中央の傾斜地は火成岩由来で国頭マージと呼ばれる酸性土壌を特徴としている。比較的広く緩傾斜な島表部と、中央山系の直下、傾斜が急で比較的土地が狭く、冬の季節風の影響を強く受ける島裏部(裏石垣とも呼ばれる)に分けられる。さとうきび、畜産、パイナップル、水稲が島を支えてきたが、今はパイナップルは少ない。畜産が発展してさとうきびとの圃場競合の様相を呈している。ハーベスタの普及が沖縄県内では大東島に次ぎ進んでいる。持続的なさとうきび生産には、畜産との連携に有効な梢頭部飼料化を可能にする生産、園芸の振興を可能にする柔軟な生産技術、観光との連携を前提とした環境保全型の生産・利用技術の開発が重要である。
さとうきびの島で県内第一の生産量を誇る宮古島は、いわゆる山がない。空と海の青、雲の白、圃場の緑と赤い土、色が目に眩しい平坦な島である。さとうきびのほか、葉たばこや畜産も盛んである。ハーベスタ収穫が少ない点、ほとんどが夏植えで株出しの面積が少ないのがさとうきび生産の特徴である。収穫面積の増加(すなわち株出し面積増加)による増産、機械収穫の振興、畜産との連携強化に必要な梢頭部機械収穫、園芸作との連携や機械施設の稼働率向上に有効な収穫期間の拡張等の技術の導入が必要であろう。
沖縄本島は、大まかに北部と中南部に分けることが可能である。中南部は、那覇市、浦添市や宜野湾市等を背景にすることから、都市化の影響が強い。都市地域に供給するための園芸作も盛んである(写真4)。圃場は、水分保持力は高いが物理性の劣るジャーガル(灰色台地土)と干ばつの影響を受けやすい島尻マージが主流である。北部は水田転換畑で生産力の高い平地の圃場と、国頭マージでpHが低い痩せ地の圃場に大別できる。ヤンバル(山原。ヤンバルテナガコガネ、ヤンバルクイナ等の基礎となる呼称)と呼ばれるように照葉樹林の多い地域であり、柑橘類を中心とする果樹栽培も多い。山地にはパイナップルの圃場も認められる。中南部も北部も栽培面積の増加は望み難く、土地・作物・機械施設の高度利用と都市を背景とする立地を活用するための技術、すなわち、収穫期間の拡張と小区画圃場用・小型機械に適した栽培技術の導入、製品の多様化等が必要であろう。
南・北大東島は太平洋の青、深い海の底に根ざす緑と赤の宝石であり、さとうきびの島、また、台風(茎の折損に加えた潮風害による萎凋・生育阻害)・干ばつ被害の常発する島である。耕土深が浅く水事情が悪い上に、台風による潮風害発生の激しい幕外(島の周縁地域。内部より一段高いため幕上とも呼ばれる。写真5)と、比較的水事情が良く台風被害も軽い幕内(島の中央部地域で周縁地域と比べ一段低いため幕下とも呼ばれる)と、幕元(一段高い周縁部と一段低い中央部との境の地域で島内では水事情が最も良く、比較的風も当たらないため作物の生育には最も恵まれた地帯である。写真6)、地形から同心円状に三つの地域に分けられるのが特徴である。台風・干ばつに適応性の高い安定生産技術と輸送適性の高い高価格農畜産物との組合せの成立が重要事項であろう。
久米島はこの数年、台風の集中的来襲を受けている。山あり谷あり、国頭マージと島尻マージの圃場にパイナップル、さとうきび、水稲が併存しうる豊かで美しい島である。防風林育成等の長期的基盤整備、そして、自然災害を回避しうる作型の付加、自然災害に抵抗力の強い品種の導入、畜産、園芸等との連携強化に必要な柔軟で環境保全効果の高い栽培技術の導入が必要であろう。
含蜜糖地域には、各島の自然環境に適した省力的生産技術の開発に加え、製品の高品質化、高付加価値化に必要な多様な商品開発が必要であろう。
写真3 黒糖工場(小浜島) |
写真4 オクラ栽培の防風垣として(那覇市) |
写真5 少収の圃場(南大東島幕外F161)
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写真6 多収の圃場(北大東島幕元Ni12)
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表1 沖縄県におけるさとうきび生産の状況 |
注)沖縄県農林水産部さとうきび及び甘しゃ糖生産実績による。()は89/90年期実績に対する04/05年期実績の比。 |
鹿児島県下の島々
沖縄本島の北端辺戸岬から見える距離にある与論島(与論島製糖)に始まり、鉄砲百合等の花き生産で名をはす沖永良部島(南栄糖業)、宮古島と共に南西諸島の代表的さとうきび産地徳之島(南西糖業・2工場;写真1)、奄美大島(富国製糖)、喜界島(生和糖業)、さらに、大隅半島、開聞岳を望む琉球弧の北の入り口、なだらかで穏やかな景観をもつ種子島(新光糖業)までがさとうきびの主産地である。全て分蜜糖の島であり、黒砂糖の生産は、家内工業規模で行われるのみであり、沖縄のようないわゆる黒砂糖工場は見ることができない。奄美大島の南に隣接する、緑と海が輝く加計呂間島(作家島尾敏雄氏が戦時を過ごしたことでも知られる)では、黒糖・きび酢の製造が定着している。1989/90年期の12,607ヘクタール(90.3万t)から2004/5年には9,547ヘクタール(50.6万t)と、面積比で76%に減少している。沖縄県と同様、収穫面積、生産量の減少が激しいが、その程度は沖縄県より緩やかである。かつて島の活性化に寄与した屋久島(日本澱粉工業)、馬毛島(新光糖業)でのさとうきび生産・製糖は今では行われていない。三島村や十島村ではさとうきび産業の成立はない。
与論島は畜産とさとうきびが中心であるが、園芸・花きの生産にも熱心である。小さな島で耕地は限られており、現在は畜産の振興、飼料畑の増加にさとうきびが押されている。鹿児島県内では沖永良部島の次に生産減少の大きい島である。春植に続く複数回の株出し栽培を基本にしているが収量は低い。株出し処理も実施できない例が多いようである。この島では、まず、株出し処理が実践可能な栽培技術、畜産との連携強化に寄与する作物・圃場の利用技術開発が求められよう。
沖永良部島は、花き・園芸の盛んな島であり、一戸当たり農業生産額は多い。ばれいしょの間作等の導入の先駆けとなった島でもあり、さとうきびの生産減少が、南西諸島で最も早く顕著に表れた島でもある。欠株による少収が栽培上の特徴的な欠点であり、植付け・収穫作業の分散等による園芸との両立に向けた栽培技術、畜産を介在した有機物循環機能の高い生産技術の開発等が重要であろう。
徳之島は、さとうきびの島である。耕土深が浅く保水力が低い砂質土壌と島尻マージが特徴の周縁平地と、国頭マージで湿地も見られる山手の圃場に大別することが可能である。この島も畜産業が盛んである。農業生産意欲は高く、ばれいしょ生産等の取り組みも目立つ。沖縄県の宮古島と並ぶさとうきびの多量生産地であり、従来型のさとうきび生産成立の可能性が比較的高い島である。冬が適度に寒く糖度上昇には有利であることから、収穫早期化による収穫期間の大幅拡張、新植・株出し栽培技術の確立を通した増産に基づく機械・施設の稼働率の向上、梢頭部飼料化の促進等による畜産との連携強化等の技術開発が有効であろう。
奄美大島は深い山、国頭マージの傾斜地の利用が特徴である。ここでも、より一層の省力化と、他の農畜産業との連携強化に寄与しうる技術の開発が重要である。加計呂間島では、何よりも製品、黒糖・きび酢の高品質生産に適した品種や肥培管理法の導入が重要であろう。
喜界島は、夏植を中心とする生産意欲が高い島であるが、徐々に生産は停滞の方向に向いている。栽培期間の短縮による収穫期間の拡張、株出し栽培の増加と植付け作業の分散等による省力化、他の農畜産業との連携強化を可能にする新技術の導入が必要である。
種子島は黒ボク、赤ホヤと呼ばれる物理性の良い火山灰土壌における安定多収生産を特徴とする島である(写真7)。冬には霜も降りるため、生育期間は相対的に短く、さとうきびの糖度は南西諸島では最も低い。マルチ処理等により完全な新植・株出し体系が成立している(栽培面積と収穫面積が等しいことを意味する)ため、栽培面積の割に生産量が多い。小型ハーベスタ(写真8)が普及し機械収穫の割合も高い。島内の人口は4万人と多くはないが、米、ばれいしょ、花き・園芸、子牛生産、酪農が盛んな、農畜産業の均衡のとれた緑の島である。持続的な発展には、畜産や園芸作との一層の連携強化、作業分散、機械・施設の稼働の分散、一層の省力化が必要であろう。
写真7 海に向う多収圃場(種子島) |
写真8 省力化の切り札小型ハーベスタ(種子島) |
写真9 岡山県のさとうきび畑(NCo310) |
表2 鹿児島県におけるさとうきび生産の状況 |
注)鹿児島県農政部農産課さとうきび及び甘しゃ糖生産実績による。()は89/90年期実績に対する04/05年期実績の比。 |
日本本土の産地
鹿児島県の阿久根、出水、熊本県の水俣、三角、宮崎県の日南等、九州本土の海岸沿いには、地場産業としてさとうきび栽培・黒糖生産を行う地域がある。いずれも規模は小さい。種子島の普及品種NiF8等が見られるが、どの圃場もモザイク病の罹病率が高く、新しい圃場以外ではほぼ全株が罹病しているように見える。生育は不十分で収量も高いとは思われないが、各地域で熱心なグループが工夫をしながら生産を続けている。幸い、黒糖の売れ行きは、地産地消、都市圏への移出等を合わせ堅調であると言われる。九州沖縄農業研究センターが品種の選定、栽培技術の助言等の圃場試験を開始し、技術支援を始めている。
四国では、香川、徳島両県での和三盆生産が有名である。シネンセ種(中国細茎種)を用いた伝統食品、日本の名品として高価格を維持している。モザイク病の罹病等栽培上の苦戦の状況も知られている。安定的な発展に向けて、伝統としてこだわりを持つ中国細茎種に適した栽培技術の向上に基づく生産基盤の安定強化が必要であろう。高知県下では、九州沖縄農業研究センターが開発した黒砂糖用有望系統(KY96T―547)の試験栽培が始められている。
中国地方では、岡山県吉備の里での「とろりん黒糖」、とろとろに煮詰めた黒糖、黒蜜の生産が知られている。NCo310が栽培されている(写真9)ことから、原料品種に特段のこだわりや制限はないようである。NCo310が特に適応性が高いとも思われないことから、品種の選定や肥培管理等に改良の余地が大きいと思われる。
東海地方でも、伝統が息づいている。横須賀村、豊岡村の地場産業である。数年前に一度数品種の栽培を試みたがその結果はまだ聞いていない。
おわりに
国産糖の3割弱、国内砂糖需要の9%弱を供給する南西諸島は二重の苦戦をしている。後継者の不在や高齢化、作物転換等による生産農家のさとうきび離れによる栽培面積減少
、そして、単位収量の低迷である。手厚い支援を受けながらの生産縮小は、現在のさとうきび栽培、砂糖生産が、地域や担い手にとって適切なものとは言い難いことを示しており
、生産技術の根本的転倒が必要なことを示唆している。一方、九州本土・四国・中国・東海等では、極小規模生産とはいえ、支援のない状態で栽培が継続されている。
冒頭に、南西諸島に「持続的なさとうきび産業」があるとしたら、それは、世界の何処にもない、「日本のさとうきび」としての、生産、圃場・作物・機械・施設の利用方法、人間活動のありようを記憶と経験の深層から見つけ出すことに始まると述べた。「日本のさとうきび」という概念、そこから創り上げた技術を産業に仕上げることが必須の課題であるとした。今号で紹介した日本におけるさとうきび生産、各地域の状況差異の中に、今後のさとうきび生産の方向を模索する鍵があるのか否か、もう少し地域を見、もう少し詳しく分析し、その後に、将来に向かう技術の方向を述べてみたい。