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お砂糖豆知識[2008年7月]

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最終更新日:2010年3月6日

お砂糖豆知識

[2008年7月]


“歓びも悲しみも”さとうきびの夏植え
―第二話 POJ2725の夏植え―


鹿児島県農業開発総合センター農業大学校 非常勤教授 安庭 誠

 第一話では沖縄県や奄美地域でPOJ2725の夏植えが大成功を収めたことを述べた。この夏植えを伴ったPOJ2725はその後、NCo310が登場するまで約30年間一時代を築くことになる。徳之島支場では毎年品種見本としてPOJ2725を栽培していたが、現在の品種に比べると極端に茎が短かったことが印象に残っている。この他に、台風で折れやすく、株出し栽培における萌芽が悪いなどの短所も持ち合わせている。
  このような品種であるPOJ2725は、夏植えを伴うことで南西諸島さとうきび作の主力品種として長期間栽培されてきた。本稿ではこのことについて解析することにする。

1.POJ2725の夏植えが成功した要因

 私はPOJ2725の夏植えが沖縄県や奄美地域に定着し、成功した要因を下記のように考えている。①POJ2725の品質は当時の品種のなかで特に優れていた。②この時代、さとうきび作農家は製糖(黒糖)を行っていたため、POJ2725の品質の良さを直接実感することができた。③POJ2725は夏植えに適していた。すなわち、茎が短く低収である短所は生育期間の長い夏植えで補うことができ、出穂しない特性も夏植えに都合が良かった。④当時の農業事情に夏植えは適していた。⑤POJ2725は夏植えで過繁茂になり倒伏しても枯死茎が発生しなかった。⑥夏植えは台風や干ばつの被害が小さいため、収量が安定していた。以上であるが、枯死茎については第三話で、安定性については第四話で述べることとし、本稿では①から④について順を追って解析する。

2.POJ2725の品質

 POJ2725の特性は、何と言っても品質が優れていることである。繊維分が少なくジュースが多かった。また、当時としては糖分も高く、土壌の種類を選ぶことなく特性を発揮し、製造される黒糖の品質も優れていた1)。POJ2725の品質の良さは、その後多くの品種が導入されたにもかかわらず、NCo310が登場するまでこれを上回る品種は出現しなかったことからも分かる。導入された品種のなかで、特に注目される品種はPOJ2878である。POJ2878はwonder―cane(驚異の甘蔗)と呼ばれ、世界のさとうきび作を席巻し、甘蔗糖業に大きく貢献した品種である2)。この品種には奄美地域も大いに期待したのだろう。昭和6年から10年までの5年間、大島郡7カ所で品種比較試験が行われている。しかし、本品種は普及することはなかった。その理由のひとつが晩熟で糖の上昇が遅かったとされる。このことからも、POJ2725がいかに優れていたかが分かる。

3.さとうきび農家の黒糖製造

 この時代、さとうきび農家は自ら黒糖を製造していたから、POJ2725の品質の良さを実感することができた。私はこのことがPOJ2725の夏植えが成功した最大の要因と考えている。当時の黒糖製造は農家にとって重労働であった。喜界町誌3)によると、1日の作業は早朝のさとうきび刈り取りから始まり、運搬、脱葉、圧搾、製造、砂糖のかく拌、樽詰と続くが、三番竈(かま)まで炊きあげる時は、夜の7〜8時頃までかかったとされる。この黒糖製造は1軒の農家ではとても対応できず、数軒の農家がグループを作って行った。このような重労働を経て、貴重な換金作物である黒糖は製造された。製造される黒糖の量は農家にとって何よりの関心事であったに違いない。それが第一話で述べたように、POJ2725の導入により、1日当たりの黒糖の製造量は30キログラムから60キログラムに倍増したのである。製糖にかかわった農家はこの驚くべき高い黒糖歩留まりを直接目の当たりにした。そして、この話は農家から農家に口づてに広まり、POJ2725の夏植えは定着したと思われる。

4.夏植えに適したPOJ2725

 冒頭で述べたように、POJ2725の短所は茎の伸長が劣り収量が低下することであった。このため、POJ2725を実用化するには、この致命的とも言える短所を解消する必要があった。生育期間の長い夏植えは、さとうきびの茎を伸ばすための最良の方法であった。さとうきび夏植えの収量と品質を表すため、平成18年度における徳之島支場の気象感応試験(平年値)を表1および表2に示した。

表1  栽培型別収量および収量構成要素
注1:データは平成18年度徳之島支場サトウキビ試験成績書気象感応試験の平年値である。
2:品種はNiF8で、夏植えの植え付け時期は9月上旬である。

表2  栽培型別品質
注1:データは平成18年度徳之島支場サトウキビ試験成績書気象感応試験の平年値である。
2:品種はNiF8で、夏植えの植え付け時期は9月上旬である。

 このことから下記のことが分かる。

1) 夏植えの茎長は春植えおよび株出しに比べて明らかに長く茎も太くなる。このため、夏植えの1茎当たりの重さは、春植え・株出しよりも80%程度増加する。
2) この結果、夏植えの原料茎重(収量)は、春植えに比べて77%、株出しに対して63%の増収を得ている。
3) 夏植えはこのような多収を得ても品質は劣ることはなく、春植え・株出しに比べて明らかに良質である。

 以上のことから、夏植えはPOJ2725の短所である茎の伸長の悪さを補い、長所である良質性をさらに引き上げる技術であったと言える。
  POJ2725は出穂しにくい特性を有していたが、この特性も夏植えに適していた。山崎氏の夏植え誕生(第一話)のなかで、夏植えの植え付け時期が6月から11月であったと紹介した。このなかの6月植えを可能にしたのは、POJ2725が出穂しない特性を有していたからである。私は徳之島で次の話を聞いたことがある。農家が4〜5月頃に植えたPOJ2725の春植えは、収穫時期になっても生育が劣る場合、翌年まで収穫を延ばしていた。すなわち、春植えと夏植えの植え付け時期による境界は明確でなく、収穫時期の生育量で決められていた。これを可能にしたのはPOJ2725は出穂しなかったからである。写真1のように出穂したさとうきびの茎は成長が止まり、その後成長することはない。しかし、出穂しない品種は翌年の収穫時期まで生育を延長することが可能であった。このため、POJ2725の夏植えは植え付け時期を早めることで、さらに茎長を伸ばすことができた。

写真1 さとうきびの出穂

  ここからは私見であるが、POJ2725時代には、現在のような春植えと夏植えが植え付け時期による明確な境界はなかったと思っている。現在でも雨の多い年は春植えが4〜5月に遅れることを目にする。境界ができたのは出穂するNCo310時代になってからではなかろうか。すなわち、NCo310は5月から6月に植え付けると、生育量が不足した状態で出穂するため極端に収量が低下する。この結果、春植えは3月を中心に植え付け、夏植えは8月〜9月を中心に植え付ける現在の栽培型が確立したと考えられる。

5.当時の農業事情に適していた夏植え

 第一話の冒頭に食料確保に苦悩している時代に、2年に1回しか収穫できない夏植えは、土地利用の面からの効率が悪いと述べたが、果たして、当時の夏植えは非効率的な栽培であったのだろうか。これを検証するには、当時の奄美の農業事情を踏まえる必要がある。当時、島の食料は自給自足が基本であった。さとうきび以外に、稲、麦、粟、とうもろこし、さつまいも、田芋(浅い水を張った水田で栽培されるさといもの一種)、大豆などの豆類、野菜類を栽培していた3)。これらの農作業はすべて手作業で行われるため、農家は多忙を極めていた。
  さとうきびの春植えはこれらの農作業と競合し、特に、何よりも優先される黒糖の製造時期でもある。こうしたなかで、植え付け期間の長い夏植えは、農家にとって労力分散ができるため非常に都合が良かったと思われる。このことは沖縄糖業論4)にも触れられ、夏植えの利点として農閑期の7〜8月に植えることをあげている。
  夏植えの阻害要因として、病害虫発生の温床になることと蔗苗に多くの原料を用いることが考えられる。しかし、POJ2725時代には、特に病虫害の被害に悩まされた話は聞かなかった。これは当時の農家1戸当たりにおけるさとうきび栽培面積は20アール程度3)で、夏植えは10アール程度と推察される。このように夏植え面積が狭かったため、病害虫の発生源になり得なかったと思われる。また、蔗苗についても少ない蔗苗で済んだのだろう。
  最後に、さとうきび夏植えは輪作作物にも適していた。沖永良部の特産であるユリの球根栽培は、連作障害を受けやすくさとうきびとの輪作が必要であった。5月に収穫するユリの球根栽培とさとうきび夏植えとの相性が良かった話はよく知られる。
  以上のことから、当時の夏植えは奄美の農業事情に良く適しており、農家は夏植え導入に抵抗感は小さかったと思われる。なにより1日当たりの黒糖製造量が倍増したPOJ2725の夏植えは、少々の阻害要因を振り払ったに違いない。

6.おわりに

 POJ2725の夏植えが成功した要因を要約すると、夏植えはPOJ2725の短所である茎の伸長の悪さを補い、長所である良質性をさらに引き上げたことにある。そして、農家は黒糖製造をとおして品質の良さを目の当たりにしたことによる。言い換えると、夏植えはPOJ2725を活かす技術であり、POJ2725は夏植えがなかったらここまで普及しなかったと言える。まさに、山崎氏5)が述べたように、夏植えとPOJ2725は相まって普及したことが分かる。
  この話は古い時代のことであるが、次のことは現在にも適用できる。①夏植えには適した品種があること。②農家は黒糖歩留まり(品質)を重視していたこと。そもそも糖業における生産量とは原料茎の量より砂糖(当時は黒糖)の量ではなかろうか。このような本質的な考えを投げかけている。③出穂しない品種は6月植えも可能であること。④夏植えは労力分散が図れること。―以上である。
  その後、POJ2725の夏植えは波瀾万丈の世を過ごすことになる。60年あまり前、沖縄県では悲惨な戦争があり、糖業はほぼ壊滅状態になる。「さとうきび畑」の歌にあるように、戦争中、さとうきびの中に身を隠したとしたら、それはPOJ2725の夏植えである。この時期、身を隠すほど成長したさとうきびは夏植えだけである。そして戦後、わずかに残ったさとうきびを蔗苗にして、沖縄県の糖業がみごとに復活するのもPOJ2725であった。
  このように、夏植えを伴ったPOJ2725は近代さとうきび栽培技術の夜明けとして多くの農家に歓びを与えたが、私たちが知らない辛い悲しい思い出も多いのではなかろうか。そのような想いから、表題は「“歓びも悲しみも”さとうきびの夏植え」とした。次回は第三話として、夏植えに大きな被害をもたらした枯死茎について述べる。

参考文献
1) 宮里清松:サトウキビとその栽培、日本分蜜糖工業会、1986、P44
2) 宮里清松:サトウキビとその栽培、日本分蜜糖工業会、1986、P24
3) 喜界町誌編纂委員会:喜界町誌、2000年8月、P399〜408
4) 池原真一:沖縄糖業論、琉球分密糖工業会、1969年4月、P84
5) 山崎守正:さとうきび季報第7号、財団法人甘味資源振興会、1979年3月、P31〜32、