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おやつは心を育てる

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最終更新日:2010年3月6日

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今月の視点
[2004年1月]

国日本女子大学 人間社会学部心理学科
教授  飯長 喜一郎

子ども時代のおやつ   おやつの習慣
現代のおやつ おやつの意味
孤食の進行 共働き夫婦の工夫
終わりに  


 人は自分の育った環境を「しごく当然」と受け取る傾向があるのではないでしょうか。自分にとって当たり前だったことが、他の人と話してみると当たり前でなかったという経験は、誰にでもあるものです。
 私にとってそういうもののひとつにおやつがあります。

子ども時代のおやつ

 ものごころがついてから、私の生家では休日には一日2回のおやつが習慣でした。午前10時、午後3時ですね。小学校の高学年になって勉強と証して夜更かしをするようになってからは、夜9時のおやつが加わり3回になりました。
 おやつにはいろいろなものがありましたね。何しろ昭和の20年代からですから、今のようにものが豊富ではありません。でもずいぶんと様々なものが用意されていたように思います。
 300年以上の歴史のある城下町でしたので和菓子が豊富でした。おまんじゅう、おはぎ、生菓子などです。私は求肥(ぎゅうひ)のお菓子が大好きでした。またその土地独自の和菓子もありました。「寿(ことぶき)ようかん」というものは白インゲンで作った大振りのようかんで、お正月にしか出回らないものでした。お年賀に使うのです。上品な味で保存のきくものですが1ヶ月ほどして砂糖が浮いてきて角が砂糖で固くなったものがまた独特の風味でおいしかったものです。
 洋菓子(ケーキ)もありましたが普段は食べられませんでした。お金持ちのお客様がおみやげで持って来てくださった場合くらいですね。それも今のように多種多彩ではありません。いわゆるショートケーキかシュークリームくらいのものです。それと、クリスマスには必ずデコレーションケーキが用意されました。と言ってもおそらく昭和30年くらいからでしょうね。別にクリスチャンではなかったのですが、私の行っていた幼稚園がキリスト教系だったこともあり、ツリーを飾って楽しみにしていました。もちろんそのころはバタークリームのケーキばかりです。昭和30年代も後期になって、生クリームのケーキに出会ったときにはびっくりしたものです。
 むろんお菓子ばかりではありませんでした。サツマイモ、栗、リンゴ、ミカン、スイカ、ウリなど果物の類。手作りのおはぎ、ちまきなど。おしるこ、甘酒などの飲み物。これらは今の人々にもわかっていただけるおやつです。しかし今の人々にはちょっとわかりにくいものもありました。何もないときには、特に昭和20年代半ばには、砂糖をわら半紙に乗せて少しずつなめた記憶があります。時には赤砂糖でした。これは葛湯(くずゆ)や甘酒を用意してくれることのあった祖母が、特段のおやつが何もないときにくれたものです。
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おやつの習慣

 私の実家のおやつの習慣は、なぜ生じたものでしょう。父方の家は麹屋(こうじ)でしたが親戚には農家もたくさんありました。城下町ではありましたがその外周に位置する集落の出身でした。米農家の文化だったわけです。農作業する人々は当然休憩をとります。「お茶にしよう」というわけです。そしてそのときにはおやつを食べます。必ずしも甘いものとは限りませんが、重労働には間食が必須だったのです。東北地方には「小昼(こびる)」という言葉もあるほど、大切な習慣だったのです。
 また、母方の家は昔からの魚屋兼料理仕出し屋で、多くの使用人がいました。当然主人たちはグルメでしたし、おやつの習慣もあったようです。
 結局私の実家では家事の担い手だった祖母も母も育った環境は異なっても、おやつの習慣を持っていたということなのでしょう。
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現代のおやつ

 現代の子どもたちのおやつはどうなっているのだろうと、インターネットで検索したら、東京都文京区立昭和小学校の平成14年調査の結果がでていました。(注1) 11月中旬の調査です。
 「昨日食べたおやつ」としては、全学年では清涼飲料水、果物、クッキーなどの甘いもの、チョコレート類、スナック菓子の順になっています。また、「いつもよく食べるおやつ」では4〜6年合計で、清涼飲料水・アイス、チョコレート・クッキーなど甘いもの、果物の順でした。
 おやつの内容の変化は時代と共にあるわけですが、私の子ども時代より画一化しているように思います。大量生産されたものを何種類か繰り返し食べているのではないでしょうか。社会生活のスピードが速くなり、男も女も大人はみんな忙しく、ゆっくりおやつを準備することなどままならなくなっているであろうことは容易に推測されます。
 また、いずれの項目でも第一位にある「清涼飲料水」はおそらく決まったおやつの時間というよりは、のどが渇いたときなど気が向くままに、自動販売機や冷蔵庫から取り出して飲んでいるのではないでしょうか。
いつもよく食べるおやつは何ですか
昨日食べたおやつは何ですか
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おやつの意味

 私にとっておいしいおやつは確かに楽しみでした。また、甘味は疲労を回復させ次の活動へのエネルギー源になったことは間違いないでしょう。しかしそれに止まらなかったように思います。おいしいものを食べるという楽しみと同じくらいに、またエネルギーを補給するという意味以上に、家族が集まってあれこれと話し合うという喜びがあったと思うのです。これには食事を家族全員でとることと同じような意味があるのではないでしょうか。
 また、たとえひとつまみの砂糖に象徴されるささやかなものであっても、それが祖母や母親によって自分のために用意されたものであるという事実は、今考えると、私の心の安定感・自己信頼感にかなりの影響を与えているのではないかと思います。
 私は子ども時代さほどの勉強家ではありませんでしたが、それでも9時のおやつを楽しみに、それまで頑張ろうと思ったりしたものでした。当時は気がつきませんでしたが、その楽しみには家族とのコミュニケーションの楽しみが含まれていたことでしょう。
 実家のこのおやつの習慣は今に至るまで続いています。常に何らかのおやつが用意されています。そしてそのおやつを囲みながら、家族や来客との会話が続けられるのです。
 先ほどの昭和小学校の調査で、もしあったらほしかったなあと思った項目があります。それは「誰と」「いつ」おやつを食べたか、ということです。何を食べたかということは栄養学的には大切なことかも知れません。しかし、心の育ちという点からするとおやつを食べた状況が大きな意味を持つと思われるのです。
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孤食の進行

 もっとも、ことはおやつにとどまらないともいえます。実は30年も前から、子どもの食生活の問題は指摘され続けてきたのです。
 食べるものの偏りでいえば、例えば毎朝カップラーメン、みそ汁とコーラ、朝食も夕食もホットケーキなどという報告があります。
 また、子どもたちの「孤食」という言葉が作られてもいます。すでに平成5年の厚生省(当時)の「国民栄養調査成績」で子どもだけで朝食をとる例が31%に及んでいます。そして孤食の傾向は進み、例えば高塚人志著「食卓からの叫び」(富士書店)によれば、平成10年の鳥取県の中学生は、90%の子どもが家族一緒の楽しい食事を望んでいるのに、朝食40%、夕食10%が「子どもだけ」「ひとりぼっち」で食事しています。そして「ひとりでさびしかった」「家族がばらばら」と食卓の現状に警告を発しているのです。さらに、子どもがひとりで食事しているとき「親は何をしていたか」に対し「寝ていた」「テレビ・新聞を見ていた」「別の部屋にいた」など一緒に食事できる親も多かったといいます。(山陰中央新報、注2)
 つまり、このような子どもの孤食現象は、大人が作り出している部分が多いということです。私たちはともすると子どもの食行動に対して、子どもに責任を押しつける傾向はないでしょうか。
 文部科学省は、食に関する指導の一層の充実を図るため、平成14年3月に全国の小学校5年生、中学校1年生を対象に、食生活学習教材「食生活を考えよう−体も心も元気な毎日のために−」を配付しました。教材の構成は「望ましい食習慣に関する内容」「食の自己管理能力に関する内容」「食文化に関する内容」となっています。
 むろん子どもたちが自分たちの食行動を考えてみることは大切です。
 しかし、ことはそれで済むわけではなく、大人が自分自身と子どもの食行動を、ひいては子どもとの関係を見直す必要があるように思います。
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共働き夫婦の工夫

 私は結婚以来、今に至るまで共働きで過ごしてきました。子育てをするとき、いかに親子のコミュニケーションを確保するかということに心を砕いてきました。両親が家にいる時間が少ないのですから、親子の接触時間は絶対的に足りません。それを質で補おうとしてきました。つまり、親子が一緒にいられるときには、短時間でも向き合える時間を作ろう、ということでした。
 別に大げさなことをするわけではありません。一緒にいられるときには、少しでも遊んだり話したりしようというものでした。
 おやつも工夫しました。何かしらのおやつを用意しました。そして、必ずメモを残すようにしたのです。「お帰り○○ちゃん。今日のおやつは△△です。では(塾へ)いってらっしゃい」というようなものです。特別なものでなくても、親の心が伝わることを願って、毎朝数分の時間をとって、そういう用意をしたものです。
 今から15年も昔のことなので、その感覚を忘れていました。実はさきほど「おやつについて文章を書いている」と話したところ、次女が「そういえば、学校から家に帰ると毎日おやつが用意されていたねえ。それを食べて塾へ行ったわ」と言ったので、思いだしたのです。と同時に、自分たち夫婦がそういうことに心を砕いていたことが間違いではなかったという思いを新たにしたわけです。
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終わりに

 現代人の生活はますます時間に追われて、せわしなくなっています。その中でともすると食生活は簡素化されています。カロリーさえとれればよい、簡単にすますに越したことはないという考え方が増えているように思えます。一方で、グルメ傾向が進むという二極化現象が起こっているようにも見えます。そして、普段の食事ではスーパーマーケットやお総菜屋さんで買ってきたものを、ともするとトレーのまま並べるような食事が増えています。中食ですね。
 生活が複雑化しスピードが速くなる中で、この中食の傾向自体を止めることは難しいでしょう。女性の社会参加などを考えると、そのこと自体はやむを得ない側面があると思います。しかし、そうだからこそ食事のシチュエーションにこだわりたいと思うのです。忙しいからこそあえて意識して孤食を避け、語らいながらの食事の意味を考え直したいものです。
 そしておやつも、個人の楽しみのみならず、家族の心をつなぎ心を育てる役割を持ったものとして、また、私たちの生活を豊かにするものとして見直される必要があるのではないでしょうか。


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「今月の視点」 
2004年1月 
年頭所感
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おやつは心を育てる
 日本女子大学 人間社会学部心理学科 教授 飯長 喜一郎
砂糖と健康 〜肝臓と筋肉の働きを高める砂糖の生理的役割〜
 県立広島女子大学生活科学部健康科学科 医学博士 加藤 秀夫


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